30年近く前、私のインド一人旅、当時の日記をもとにお送りしています。
前回、カルカッタと言う、まさにあからさまな人間の生きる原点が渦巻いているような街で、クリスチャンであった私が、唯一絶対、全知全能の神のためにボランティアとしてマザーテレサの『死を待つ人々の家』に行かなくてはならい、そういう思いに駆られ、少しばかり心が病みはじめてきた、というところまででした
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『強迫観念』
おれがマザーテレサの『死を待つ人々の家』に行かなくてはならない、そう強く思ったのは、クリスチャンであったおれが、唯一絶対、全知全能の神からそう言われような気がした、まさに『強迫観念』からの思いであった。
貧しい子供や、病に倒れ、なす術もないような人々のために、東大大学院卒の肩書などかなぐり捨ててダッカへ向かった憧れのお姉さん、Mさん、彼女とおれは根本的に違っている、Mさんは、ダッカの貧困のために、自身の身を捧げることを喜びと感じている。
おれは違う。ただの強迫観念だ。
良いことをした、そんな自己満足の偽善にもならない、ただの強迫観念だ。
『死を待つ人々の家』で長く働いていたと言う人が、おれの通っていた教会に来て講演をした。
『理由は関係ありません、自己満足でもなんでもかまわない、一日でも半日でも、テレサの病院に来て手伝ってもらえればとても助かります』
おれがそこへ向かおうと言う理由は偽善にも満たない…。そんなおれが、『苦しむ人々のために力になりたい』そういう思いでボランティアに向かっていく人たちと共に、仕事なんかできるわけもない。
カルカッタと言う街にもすっかり慣れ、手足のない人、指の溶けた人、4本足の男、死んでいるのか生きているのかわからずゴミために埋もれている人、そういう光景には確かに慣れた。だが、『死を待つ人々』の身体に触れ、何かを手伝う、そんなことをする自信は全くなかったのだ。強迫観念に駆られ、偽善以下の、ややもすれば、身勝手な自己満足以下のおれの振る舞いは…、おれの醜い心持ちは、きっと『死を待つ人々』や、そこで働く人々に見透かされるに違いない…。
『偽善者め! 偽善者め! ここはお前のような自分のことしか考えていないようなヤツの来るところではない!』
相当に、いつの間にか心身が参っていたのかもしれない。
おれは、とても勝ち目のない決闘、死地に向かうような思いでホテルを出て、インド博物館前の地下鉄の入口へと向かった。
カルカッタ、世界で最も汚い街と揶揄される街、だが、地下鉄の構内はとても綺麗だ。物乞いもポン引きもいない。おれは切符を買い、テレサの病院の最寄駅であるカーリガートへと向かった。
カーリガートに着き外へ出る。地球の歩き方を開き、テレサの病院へ向かう。途中、腐りかけて、骨と内臓があらわになった大きなネズミの死体をまたぐ。サダルストリート付近ほどではないが、このあたりもかなり汚い。
地図どおりに歩き、おそらくはすぐ近く、というとこまで来た。ところが、それらしき建物が見当たらない、地図では目の前にあるはずだがわからない、日本の病院のようなものを想像していたわけではないが、わからない。看板のようなものも出ていない。この時、おれの心の誰かがつぶやく。
『場所が…、場所がわからないのであれば仕方ないじゃないか…、今日はここまで来ただけでも十分だよ、また明日出直そう…』
おれは、その誰かの声に従い、踵を返し地下鉄の駅に向かう。
『仕方ないじゃないか、場所がわからないのだから、今日はこれで十分だ、明日、もう一度来よう、そして、わからなかったら明日は誰かに聞いてみよう…、今日のところはこれで十分だ…』
ホテルに戻ったおれは、ウイスキーの小瓶をあおり、ピンクの頭のガネーシャを描きなぐった。
翌日、同じようにおれはテレサの病院へ向かう。そしてやはり場所がわからない。だが、場所がわからないから帰る、という手はもう使えない、おれはあたりを見廻す、するとそこへ一人の少年が近寄って来て言った。
『テレサのホスピタルへ来たの?』
『えっ…、いや、その…、』
『ボクが連れて行ってあげるよ! テレサのホスピタルには大勢のボランティアの人が来ているよ! アメリカ人、イギリス人、カナダ人、もちろんジャパニーもいるよ! さあ、行こう!』
『いや、いや…、違うんだ…、テレサのホスピタルに来たんじゃないんだ…、これから地下鉄で帰るところなんだ…』
『ああ、そうなんだ…』
自分で吐いた言葉に自分で愕然とした。何を言っているんだ! なんで嘘をつくのだ! それほどまでに、今、目の前で苦しんでいる人たちのために働くことが嫌なのか!
今思えば、おれのようなド素人に、死ぬ間際の人間の面倒を診させる、それこそ命に関わる難しいことなどさせるはずもないのだ、おれのようなド素人に手伝えること、ものを運んだり、食事の補助の補助をしたり、できることしかさせないはずなのだ。だが、おれは街中に溢れかえる手足のない人、指の溶けた人、生きながらにして腐りかけているかのような人、その人たちと直接に深く関わることを想像しビビりまくっていたのだ。
また、おれの心の中で誰かがつぶやく…。
『いや、今のは仕方ない、十分に心の準備ができていなかった…、不意を突かれ、ああ言うしかなかった…。また、明日来よう…。』
明日だ! 明日だ! 明日こそ! 今日は仕方ない!
ホテルへ戻り、同じように酒をあおり、ガネーシャを描く。
翌日、おれは心を強く持ち、病院へ向かう。そして同じ場所に辿り着く。
マザーテレサの病院(毎日新聞・私が行った時は、道はゴミだらけでしたが、だいぶ綺麗になっています)
心を落ち着けようと、屋台のチャイ屋で甘いチャイを飲む。屋台のチャイは、土器でできた御猪口のような器に注がれる。皆飲み終えるとその器を地面に叩きつけ粉々にするので、チャイ屋の周りは土器の破片で一杯だ。
誰かに聞こうと辺りを見回す、そして意を決し、一人の男に声を掛けようとした瞬間、目の前の建物(上記画像)の入り口の前に座っていた薄汚れたれたじいさんが、突然うめき声をあげ、ブルブルと震えだし、やがて泡を吹き、痙攣したまま倒れ込んだのだ。周りにいた男たち、中から出てきた女性たちがじいさんを支え、建物の中へ運んだ。
呆然と立ち尽くしそれを見ていたおれ。
『ダメだ、ダメだ、ダメだ! 無理だ! おれには無理だ! あんなじいさん、泡吹いてたぞ! 無理に決まっている!』
情けない!情けない!情けない!情けない!情けない!
おれは心でそう叫びながら早足でカーリガート駅へと向かった。
地下鉄のホームに立つ。壁にテレビが取り付けてある。プロレスをやっているようだ。客はインド人のようだから、インド人のプロレスなのだろう、… … ん? よく見ると、選手の一人は日本人のようだ、黒いトランクスに黒いリングシューズ…。
『藤波だ!! 藤波辰巳だ!!!』
『藤波!! やっつけろ!! インド人なんかぶっ殺せ!!』
おれは酷い自己嫌悪に苛まれながら、地下鉄に乗り込みホテルへと戻った。
*************つづく
この時、何がそんなにも怖かったのだろうと思い返してみますと、おそらくは、マザーテレサの病院でボランティアをするような人たちは、きっとこの時の私からはあまりにも眩しすぎるような純粋な行動力を持った人たち、そう思えたのだろうと思います。そんな人たちの中に入って行き、自分の弱さや情けなさ、不純さ、そういうものをさらけ出されることを恐れていたように思います。
結果、行っても行かなくてもそれを思い知らされることになりました。