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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
いい加減あいちトリエンナーレ関連の記事なんか放っておきたいんですが、あんまりにもおかしなこと言っている人がいるものなので…
どうしてこんなこといちいちニュースになって出るんだろう…
ご一緒に考えて頂ければ幸いと思い記事に致しました
「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない 明らかになった、芸術をめぐる「分断」
ちょっと長い記事なので、リンクだけ貼っておきます 興味のある方は読んでみてください
書いたのは森 功次さんという方で、大妻女子大学国際センターの専任講師だそうです
記事の中で森さんは、まずChim↑Pomという方々の『気合100連発』という『作品』が『放射能最高!』という言葉を発して批判を浴びた、ということに対し『作品の一部だけを切り取り、悪意をもって批判している』とおっしゃっています
この作品は、福島の若者が円陣をくみ、自らの思いを叫び合っている内に高揚した感情の中で自虐的にそう叫んでいるものだそうで、決して福島の被災者を傷つけることを意図したものではないということです
これはおっしゃる通りで、一部だけ切り取り批判するというのはよろしくないですし、対立を煽ろうとするメディアの常とう手段でもあります
ですが、この『作品』に対してはさほどの批判もなかったようにも思いますし、あいちトリエンナーレの一部『作品』に不快な思いをして批判が殺到したのは明らかに他の『作品』でしょう
いかにも擁護しやすい『作品』について触れ、表現の不自由を強調し『分断』などというのは卑怯なやり方だと思います
で、この人はさらにこんなことを言って、今回の騒動があたかも『見る側』に原因があるかのような主張をなさっています
『作者本人には思いもよらない解釈を持ち込む、といったやり口が許されるのは、あくまでそのベースに相互理解と尊重があるからだ。』
『芸術作品をもはや芸術の枠内で見ない人達がそれなりにいる』
『今回の騒動を加熱させていたのは、芸術の評価軸を採用しない批判、つまり、芸術を芸術として見ようとしない者たちからの批判である』
この人は一方的に発表された『作品』の作者の意図したことを見る側も理解しようとして尊重し合うべきだ、とおっしゃり、その上で批判しろと、そこから議論があればすべきと
開いた口がふさがりません
一方的に発表された『作品』を芸術として鑑賞に堪えるか堪えないか、それを見たその個人個人の感じ方、受け止め方に対し、製作者側の意図を押し付けようとしております
表現の自由どころか、思想・良心の自由を侵害しているように思えます
いろいろ言ってますが、要は見る側の姿勢が悪ければ、こうした分断につながる、と言っているように見えます
そしてこの人は最後にこんなことを言っています
『悪意ある解釈は誠実につぶしていかねばならない』
これが本音ですね
確かに悪意ある切り取りによる批判などはよくありませんが、そもそもどこで『悪意』を判断するってんでしょ?
どこからどこまでが悪意のある批判なのかなんて判断基準がないでしょう
自分たちの意図したとおりに見る側が見なければ、それは悪意ある解釈だ、っていくらでも言えちゃいますよ
自分の意図したとおりに解釈されないのは、その『作品』がそんなもんだからでしょう
さらに
最も擁護しやすいChim↑Pomさんの『気合100連発』をもとに語っている、との批判でもあったのでしょうか
森 功次さんは追記を出しています
あいトリ「燃やされた天皇の肖像」「放射能最高!」を批判するなら知っておきたいこと 「燃えやすい素材」を表現者たちが扱わなくなる未来は暗い
この中で森さんは
『製作者は天皇を批判するとか冒涜する意図はまったくありませんとコメントしており、もしその公式声明に逆らってこの作品は天皇を冒涜するものだ、というなら批判者はそれなりの根拠を示さなければならない』
いやいやいや、その『作品』を見た人が感じたことについていちいち根拠を示さなければ感じた思いも発信してはならない、ってんならもはやそんなものは芸術なんかじゃないでしょう
感じ方なんか人それぞれです
それを批判されたからと言って根拠示せってのはいくらなんでも無理があるでしょう
小平次が夏目漱石の『それから』を初めて読んだのは高校生の時でした
その時に受けた感覚、20代になってあらためて読んで受けた感覚、家族を持ってあらためて読んだ時の感覚、すべて違います
ある程度歳を重ねてから読んだ時の方が、漱石の伝えたかったことを理解できたかな、とは勝手に思ったとしても、それが正解かどうかなんかわかりようもありません
漱石もいちいち説明なんかしませんし、もう聞くこともできません
そもそもその意図を説明したりしなきゃ伝えられないんなら、やはり芸術なんかじゃないでしょう
夏目漱石だって、言葉にしては伝えられない、もしくは言葉にしたら陳腐なものになってしまう、そんな激烈な内なる感情を表現したかったから『物語』にしたんじゃないんですかね
それを読んだ人たちが受けた想いを自由に語る、その中に正解があるかなんかわからない
漱石自身もひょっとすれば自分が伝えたいものは非常に漠然としたものであったかもしれないのです
だから言葉にはできない、物語にするしかなかったのかもしれません
誤解のないように申し上げたいのですが、小平次は天皇と皇室のみなさまに崇敬の念を持っております
ですから、作者の意図がどうあれ、昭和天皇の肖像を燃やし、灰を踏みつける行為を見るのは不快です
でも、だからと言ってそういう表現をしたい人の自由を奪っていいとも思いません
天皇陛下は、もしご自身を侮辱するとも受け取られる表現があったとしても、表現の自由を護るべきとおっしゃるとも思います
一番腹が立つのはですね
世の中には芸術製作を志しながら、世の中に認めてもらえない人なんかごまんといるんです
その人たちが、自分たちが認められないのは見る側の姿勢の問題だ、と言ったとして、そんな道理が通りますか?
それでも、内なる激情を表現したい、そう思って絵を描いたり、音を奏でたり、物語を造ったり、こういう人たちは権力に媚びたりしてはいけないんです
それはつまり、公金なんかあてにして芸術を造るなってことです
その公金が不交付になったからと言って、そのことを批判したり文句言ったりするのは政治家や批評家の仕事であって、『作品』を通じて感情を表現しようとする人たちが口に出して文句言うほどみっともないものはありません
『自分の意図したことはこーなんだー!』
と言って『芸術家』がわざわざ説明しなきゃならないなんてものほど野暮なものもありません
それにしてもですね
このたびご紹介した森氏の論、小平次にはとても暴論に聞こえるんですがどうでしょ
文春もなんだってこんな暴論をわざわざ発信するんでしょ
本当に分断を煽っているのはだれなんでしょ?
解せません…
御免!
批判の自由 VS.『悪意ある批判は誠実につぶしていかねばならない』
表現の自由 VS.『悪意ある表現は誠実につぶしていかねばならない』
解釈も批判も表現なので、「表現の自由」が正しければすべてが正しい事になります。
しかし、表現には猥褻・名誉棄損などの法的制約はありますが、解釈と批判には法的制約はありません。
森 功次氏は、この非対称性が理解できないのだと思います。
作品の一部分だけを見る自由。製作背景を考えない自由。狙いを考えない自由。理解しない自由。これらは総て法的制約は無いにも拘らず、「不自由展」では、ガイドの説明を聞かされるなどの「強制」が有りました。
この愚か者は、「法には強制されないが、芸術には強制されなければならない。」と信じているようです。
「表現の自由」って言葉の意味はそういうことか。とっても嫌らしい言葉ですね。
言われて見ると、当然で簡単なことだけど、気づきにくいですね。
小平治さんのブログ記事を読ませていただくのを楽しみにしています。
>一番腹が立つのはですね
>世の中には芸術製作を志しながら、世の中に認めてもらえない人なんかごまんといるんです
>その人たちが、自分たちが認められないのは見る側の姿勢の問題だ、と言ったとして、そんな道理が通りますか?
まったくその通りですよね。
目から鱗・・・痛快!痛快!
よくぞ言ってくださいました、の思いでした。
小平次さんに訂正します。どうも失礼しました。
おはようございます!
いやー、流石テレビとうさんさん、私が感情的にしか書けないような話を実に理路整然と解説していただきました!
感謝です
『この愚か者は、「法には強制されないが、芸術には強制されなければならない。」と信じているようです』
『愚か者』
ほんと、滑稽なほどの愚か者です
ありがとうございました
コメントありがとうございます
『表現の自由』によって与えられた権利を行使し、自由に表現した『作品』の鑑賞の仕方を強制しようってんですから呆れてものも言えません…
『天皇を批判するとか冒涜する意図はまったくありませんとコメント…』
とか言ってますが、私はむしろいわゆる『天皇制』に反対なのだ、とか言ってた方がすっきりしますし、不快ですが理解はできます
また、そう受け止められても仕方ないようなことを『題材』にしてるんですから、批判なんか覚悟の上だろう、って思うんですけど…
ありがとうございました
いつもコメントありがとうございます
私は、時に芸術は『反権力』的な表現をする場合も当然にあるだろうと思います
昭和天皇の肖像を燃やす、という行為はその意図がどうあれ『反権力的』です
時に反権力的な表現をしておきながら(そう受け止められても仕方ない)、その権力に媚び、公金を交付してもらおうっていう根性が気に入りません
そんな姿勢で芸術を語るな!
と思います
ありがとうございました