Emerson,Lake&Palmer Fan Club 会報
KARN EVIL #9 vol.4 エイジア来日特集 1983年
ファンクラブの会報は何度かご紹介してきましたが、
これは、バンドとしてのEL&Pが活動休止状態に陥って、
東京から大阪にファンクラブの本体が移り、
再度東京に戻ってきた時の、ファンクラブの会報、vol.4という事になります。
画像① 表紙
画像② 目次の頁
画像③ ディスコグラフィー扉の頁
画像④ ディスコグラフィー最終頁
画像⑤ グレッグとカールのサインの頁
1983年は、グレッグ・レイクの「マヌーヴァース」がレコードショップの店頭に並ぶのと同じ頃に、エイジアの「アルファ」も店頭に並び、
タワーレコードでは、「ドント・クライ」をショップ内に頻繁に流していたと思います。
エイジア来日にグレッグが参加するとあって、
EL&Pファンクラブはここで会報の一つもつくらないと、
何をやっているのかも解りゃしないという状況であったと思います。
オール手書きの原稿になるわけですが、
ディスコグラフィーを担当してくれと言われました。
せっせせっせと、
英文字を同じ大きさでマスに埋めていく作業はなかなか根気のいる仕事でした。
グレッグとカールが参加しているアルバムの、
ジャケット写真を用意してくださった方がいたのですが、
「ポセイドンのめざめ」の写真が準備されておらず、
シンコーミュージックのキングクリムゾンの本をコピーして間に合わせました。
また、扉絵になる写真資料もあいにく手元になかったので、
当時の音楽専科の東芝のカラー広告を切り抜いて、(泣!)
適当に仕上げた後がありますね。
この会報が仕上がった後、
グレッグに会報を見てもらったとの事。
グレッグのシングルの中には、
グレッグ本人も知らないものが含まれていたみたいで、
グレッグ本人にこの会報を見せる事ができた時に、
「ジェフリー!こんなシングルが出ていたなんて、ボクも知らなかったよ!」
なんて会話をダウンズとしていたそうです。
こんなエピソードを聞く事ができたのも、
当時の勇猛果敢(?)な女性スタッフのおかげですね。
カールの「ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」時代のヒットシングル「ファイアー」の国内盤が存在していた事も初めて知る事ができました。
確かに頭の上で火が燃えていますわ。
当時のスタッフはまだ学生で、
ファンクラブの運営に関しても、プロの仕事をしているわけではないので、
いい加減な対応等も多くありましたが、
度胸だけはあったと思います。
本ブログはEL&Pにまつわる私が所持している様々な資料を若い人にお見せして、
その偉大さをよりいっそう認識してもらうための一助として綴られております。
クイック応援よろしくお願いします。
2012年3月27日 yaplog!
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ファンクラブの会報は何度かご紹介してきましたが、
これは、バンドとしてのEL&Pが活動休止状態に陥って、
東京から大阪にファンクラブの本体が移り、
再度東京に戻ってきた時の、ファンクラブの会報、vol.4という事になります。
画像① 表紙
画像② 目次の頁
画像③ ディスコグラフィー扉の頁
画像④ ディスコグラフィー最終頁
画像⑤ グレッグとカールのサインの頁
1983年は、グレッグ・レイクの「マヌーヴァース」がレコードショップの店頭に並ぶのと同じ頃に、エイジアの「アルファ」も店頭に並び、
タワーレコードでは、「ドント・クライ」をショップ内に頻繁に流していたと思います。
エイジア来日にグレッグが参加するとあって、
EL&Pファンクラブはここで会報の一つもつくらないと、
何をやっているのかも解りゃしないという状況であったと思います。
オール手書きの原稿になるわけですが、
ディスコグラフィーを担当してくれと言われました。
せっせせっせと、
英文字を同じ大きさでマスに埋めていく作業はなかなか根気のいる仕事でした。
グレッグとカールが参加しているアルバムの、
ジャケット写真を用意してくださった方がいたのですが、
「ポセイドンのめざめ」の写真が準備されておらず、
シンコーミュージックのキングクリムゾンの本をコピーして間に合わせました。
また、扉絵になる写真資料もあいにく手元になかったので、
当時の音楽専科の東芝のカラー広告を切り抜いて、(泣!)
適当に仕上げた後がありますね。
この会報が仕上がった後、
グレッグに会報を見てもらったとの事。
グレッグのシングルの中には、
グレッグ本人も知らないものが含まれていたみたいで、
グレッグ本人にこの会報を見せる事ができた時に、
「ジェフリー!こんなシングルが出ていたなんて、ボクも知らなかったよ!」
なんて会話をダウンズとしていたそうです。
こんなエピソードを聞く事ができたのも、
当時の勇猛果敢(?)な女性スタッフのおかげですね。
カールの「ザ・クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」時代のヒットシングル「ファイアー」の国内盤が存在していた事も初めて知る事ができました。
確かに頭の上で火が燃えていますわ。
当時のスタッフはまだ学生で、
ファンクラブの運営に関しても、プロの仕事をしているわけではないので、
いい加減な対応等も多くありましたが、
度胸だけはあったと思います。
本ブログはEL&Pにまつわる私が所持している様々な資料を若い人にお見せして、
その偉大さをよりいっそう認識してもらうための一助として綴られております。
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2012年3月27日 yaplog!
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