1月20日、オバマ大統領の就任演説が行われました。演説は、大統領選の勝利演説同様、素晴らしいものでした。(『オバマ氏勝利演説 ― 人の心を動かす「文章学」』)
こう書くと、ごくありきたりになってしまいますが、勝利演説、就任演説ともよく読んでみると、やはり同一の人が書いている演説だな、と分かる気がします。
なんだ、当たり前のことじゃないか、勝利演説も就任演説も、オバマ氏が演説しているのだから―。そんな声が聞こえてきます。私が言っているのは、スピーチ・ライターのことです。選挙戦始まって以来、全米各地で行われたオバマ氏の演説は、一人の青年が草稿を書いてきました。ジョン(ジョナサン)・ファブロウ氏、27歳。
昨年の勝利演説を聴いた(読んだ)時、この原稿を書いた人間はどういう人物なのだろうと、ずっと気になっていました。ネットでちょっと調べれば、ファブロウ氏がオバマ氏の演説原稿をずっと書いてきたということはすぐわかります。もちろん、書いたといっても、オバマ氏の理念・思考を受けて、ファブロウ氏がそれを練り上げて文章化されるわけです。
卓越した文章力により作られた演説
私がこだわっているのは、その「文章学」というものです。勝利演説と就任演説の二つを読み比べると、ファブロウ氏の文章には明らかな特徴があります。それは、「目線を足元に落とす」ということです。どういうことかと言うと、厳しい現実に立ち向かう理想や夢、希望をうたい上げると同時に、その合間に、ふと足元の、“名もない人たちの、名もない行為”、“歴史からそのままでは消えうせてしまうかもしれない人たちの行為”を引き合いにして現すことです。それは、人々には知られていない勇気であったり、正義だったり、苦難や屈辱だったりします。ここに言葉が当てられるだけで、人々の心に光がさすのです。報われるのです。
―「彼らは私たちのために工場で汗を流して働き、西部を開拓し、むち打ちに耐え、硬い大地を耕してくれた。」
―「これらの男女は私たちがよりよい暮らしを送れるように何度も何度も苦闘し、犠牲を払い、手が腫れるまで働いてくれた。」
―「貧しい途上国の人々に言いたい。畑が豊かになり、きれいな水が流れるようになるようあなたがたとともに取り組んでいく。飢えた体を養い、向上心のある脳を満たしていく。」
―「堤防が崩れた時に見知らぬ人を受け入れる優しさ、友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の心が、暗黒の時に我々を支えてくれる。煙に満ちた階段を駆け上る消防士の勇気、そして子供を育てる親たちの意欲が最終的に我々の運命を決める。」
―「これ(自由、信条)があるから60年前ならレストランで食事をすることもできなかったかもしれない父を持つ男が、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのだ。」
―「米国が生まれた年、最も寒い月に、愛国者の小さな集団がいてつく川沿いの消えかけたたき火に身を寄せ合った。」
―「子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を終えることを拒否し、引き返すことも、たじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。」
(引用文は、日経新聞掲載の「オバマ米大統領の演説」日本語訳)
こうした引用は随所にあり、名演説といわれるケネディ大統領の演説には見られません。この書き方は、文学的表現の常道をいくものです。演説内容はオバマ大統領の意思が反映されているとはいえ、具体的な文章表現はファブロウ氏の手腕でしょう。ファブロウ氏は若くして秀才であり、政治・経済事情にもかなり精通しています。それ以上に、人をひきつける文章力、作家的素養も相当あるスピーチライターであると思います。政治のみならず、幅広い分野のジャーナリズムで今後活躍が期待される、ひじょうに楽しみな人です。
こう書くと、ごくありきたりになってしまいますが、勝利演説、就任演説ともよく読んでみると、やはり同一の人が書いている演説だな、と分かる気がします。
なんだ、当たり前のことじゃないか、勝利演説も就任演説も、オバマ氏が演説しているのだから―。そんな声が聞こえてきます。私が言っているのは、スピーチ・ライターのことです。選挙戦始まって以来、全米各地で行われたオバマ氏の演説は、一人の青年が草稿を書いてきました。ジョン(ジョナサン)・ファブロウ氏、27歳。
昨年の勝利演説を聴いた(読んだ)時、この原稿を書いた人間はどういう人物なのだろうと、ずっと気になっていました。ネットでちょっと調べれば、ファブロウ氏がオバマ氏の演説原稿をずっと書いてきたということはすぐわかります。もちろん、書いたといっても、オバマ氏の理念・思考を受けて、ファブロウ氏がそれを練り上げて文章化されるわけです。
卓越した文章力により作られた演説
私がこだわっているのは、その「文章学」というものです。勝利演説と就任演説の二つを読み比べると、ファブロウ氏の文章には明らかな特徴があります。それは、「目線を足元に落とす」ということです。どういうことかと言うと、厳しい現実に立ち向かう理想や夢、希望をうたい上げると同時に、その合間に、ふと足元の、“名もない人たちの、名もない行為”、“歴史からそのままでは消えうせてしまうかもしれない人たちの行為”を引き合いにして現すことです。それは、人々には知られていない勇気であったり、正義だったり、苦難や屈辱だったりします。ここに言葉が当てられるだけで、人々の心に光がさすのです。報われるのです。
―「彼らは私たちのために工場で汗を流して働き、西部を開拓し、むち打ちに耐え、硬い大地を耕してくれた。」
―「これらの男女は私たちがよりよい暮らしを送れるように何度も何度も苦闘し、犠牲を払い、手が腫れるまで働いてくれた。」
―「貧しい途上国の人々に言いたい。畑が豊かになり、きれいな水が流れるようになるようあなたがたとともに取り組んでいく。飢えた体を養い、向上心のある脳を満たしていく。」
―「堤防が崩れた時に見知らぬ人を受け入れる優しさ、友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の心が、暗黒の時に我々を支えてくれる。煙に満ちた階段を駆け上る消防士の勇気、そして子供を育てる親たちの意欲が最終的に我々の運命を決める。」
―「これ(自由、信条)があるから60年前ならレストランで食事をすることもできなかったかもしれない父を持つ男が、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのだ。」
―「米国が生まれた年、最も寒い月に、愛国者の小さな集団がいてつく川沿いの消えかけたたき火に身を寄せ合った。」
―「子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を終えることを拒否し、引き返すことも、たじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。」
(引用文は、日経新聞掲載の「オバマ米大統領の演説」日本語訳)
こうした引用は随所にあり、名演説といわれるケネディ大統領の演説には見られません。この書き方は、文学的表現の常道をいくものです。演説内容はオバマ大統領の意思が反映されているとはいえ、具体的な文章表現はファブロウ氏の手腕でしょう。ファブロウ氏は若くして秀才であり、政治・経済事情にもかなり精通しています。それ以上に、人をひきつける文章力、作家的素養も相当あるスピーチライターであると思います。政治のみならず、幅広い分野のジャーナリズムで今後活躍が期待される、ひじょうに楽しみな人です。