FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

キング・コング ― 無意識層に眠る神話の映像

2009-10-07 02:50:32 | 芸能・映画・文化・スポーツ
私の少ない映画鑑賞歴の中で、『キング・コング』“King Kong"(1933年)は別格ものです。私の中でベスト3にランクする名作です。

先日、最新版『キング・コング』(2005年)がテレビで放送されました。公開時にも観ましたが、これも素晴らしい作品です。コングの表情や動きが‘人間のよう’で実にいいし、美女(ナオミ・ワッツ)もいい。コングと美女の心の交わりにリアリティがあります。巨大なペットとの愛情というより、‘人間の男’と女の情愛を感じ、心が動かされます。

『ロード・オブ・ザ・リング』を作ったピーター・ジャクソン監督が、初作の『キング・コング』を観てから「ずっと作りたかった映画」と言っただけあって、自由に、のびのび、贅沢に作っています(『ロード・オブ・ザ・リング』は『キング・コング』を作るための資金稼ぎ? とまで言われた)。日本では、今ひとつ話題にならなかったようですが、ちゃんとアカデミー賞3部門を受賞してるんですよ。

「キング・コング」は、日本の怪獣映画でもゴジラとともに登場していますが、アメリカ映画では何回かリメイクされています。最初の『キング・コング』(1933年)に続いて『コングの息子(コングの逆襲)』(1933年)、『キングコング』(1976年)、『キングコング2』(1986年)、そして今回の『キング・コング』(2005年)です。

最初の2作を観たのは、小学校ですから、当時はテレビで何回目かの再放送だったのでしょう。それ以降は、ほぼリアルタイムで観ています。人間の女とコングが愛情を交わすのが感じられるだけに、毎度、最後にコングが人間の欲望によって殺されてしまうのが、悲しくて、悲しくて、やるせなくなってしまいます。孤島で、神として崇められていたコングが、人間にとらわれて、ただの巨猿にされ、見世物となる――。やがて行き場を失い、エンパイヤ・ステイト・ビル(世界貿易センタービルの時もありました)に登っていく。コングには、故郷の島にある崖の上と思える場所なのです。

向かってくる飛行機を、大コウモリをやっつけるように仕留め、威勢をはる姿――。あの、森の勇者のごとく、密林の神のごとく、高層ビルのてっぺんに立ち、胸を両手でたたきつける姿に、こちらの胸が締め付けられるのは、コングに愛情を寄せる美女だけではないでしょう。

最初の『キング・コング』の時は、近所の子どもたちと釘付けになって観たのを覚えています。その後、ビデオでも観ました。CGのない時代、80年近くも前にこれだけの特撮映画を作ったアメリカは、すごい! 白黒の映像が、逆に現実感があって、それが夢の中の出来事か、現実のことなのか、わからなくなってしまい、脳裏に貼りついているのです。

なぜ、これほどまで、この映画にひきつけられるのでしょう。そこには、神話的世界が繰り広げられているからです。巨大な獣、神と人、絶海の孤島、原住民、いけにえ、美女、宝探し(金儲け)、野望、密林と都会、異世界の迷路、見世物(ショー)、大金持ち、英雄、破壊と恐怖、野獣と美女の再会、愛、高い塔(ビルの頂上)、人間界の掟、善と悪、悪(コング?)の抹殺――。精神分析学者ユングのいう集団的無意識層に眠る、人間と自然と社会のあらゆるものが、そこにあるからです。

集団的無意識というのは、人類全体が共通に持っている無意識のことです。それが、白黒映像の神話となって、私の意識下にずっとあるのです。『キング・コング』は、名作中の名作であり、かつ私の潜在意識を映像化してくれるものです。

ベスト3の残りのベスト2はって? また、いずれ紹介することにします。