真鍮地とも山銅(やまがね)地とも思われる古色溢れた素材を肉厚く造り込み、繊細な阿弥陀鑢(あみだやすり)を施した上に、金銀のこれも古様式の線象嵌を加え、虫喰いの様子をも意匠に採り込んだ大胆な作。
明壽に代表される桃山時代の埋忠(うめただ)派には、真鍮地に文様を布目象嵌の手法で表わす光忠(みつただ)などが知られている。光忠は明壽と同時代あるいは少し時代の上がる工と見られているが、さらに時代の上がる古埋忠などにも京の雅を充満させた作があり、同派の作品群から文様表現の完成されてゆく様が窺い知れる。
江戸時代の絵画や工芸において大きな流れとなった琳派は、ちょうど明壽の時代に始まる。本阿弥光悦、俵屋宗達などと共に、王朝時代の雅な題を得て文様風の作品を生み出し、銀地の時と共に変質してゆく様子そのものが絵画の要素として採られたと同様、金属の変容する様をそのまま作品中に生かした鐔などを製作したのが明壽であった。それと同時代あるいはその前の代に当ると考えられるのがこの鐔。美しさや洗練味は明壽に譲らざるを得ないが、鉄鐔に施された鑢目を真鍮地に採り入れ、朽ち込みを想わせる虫喰状の鋤き込みなどの装飾の技法に古風な味わいがあり、鉄鐔から金工鐔への変遷の過程も覗いとれるのである。(図柄に極めて細い放射状の鑢の線が刻されていますが、パソコンのモニターではモアレが生じて不鮮明な場合もあります、ご容赦ください)