鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

投桐透図鐔 赤坂

2009-10-20 | 
赤坂派の投桐透図鐔 


 肥後鐔のデザインを採り入れた鐔工として良く知られているのが赤坂(あかさか)派である。赤坂派とは、江戸時代初期の寛永頃に京都から江戸の赤坂に移住した初代忠正(ただまさ)、二代忠正、三代正虎(まさとら)の、所謂古赤坂に始まり、四代以降は幕末まで忠時(ただとき)銘を切り、独特の意匠で隆盛した鐔工である。忠時の弟子の中でも特に優れた力量を示したのが忠重(ただしげ)で、他にも忠則(ただのり)など名を残している工もある。
 赤坂鐔の特徴は、古い時代の尾張鐔や京正阿弥、京透と呼ばれる透鐔を下地として個性的な意匠構成とした点。後に江戸の美意識の基礎ともなる粋に通ずる、即ち粋の美意識を先取りした感のある作品を残しているところに魅力がある。同じ投桐を意匠としても、赤坂のそれは、透かしの線の構成が美味に異なるのが写真でも判ると思う。



投桐透図鐔 古赤坂
 赤坂鐔工の初、二、三代はすべて無銘であり、戦国時代あるいは桃山文化の影響を多分に残すこの三代を特に古赤坂(こあかさか)と呼び分けている。後の赤坂鐔の意匠の原点がここにあると言っても良いだろう。
 この鐔は太く丸い耳によって切り取られた空間に、一見しただけでは桐とも何とも判らないような、草にくずした枝桐を見事な構成で表わしている。鉄色黒く、耳にはこの派の特徴でもある筋状の鍛え肌と鉄骨が窺える。


 
投桐透図鐔 忠時(八代)
 肥後鐔をそのまま写したような作。一般に赤坂鐔は厚手である点に特徴があるも、この鐔は肥後を意識したもので厚さ五ミリ弱(赤坂鐔は六ミリ前後)。葉花の構成、毛彫の表情なども肥後のそれであり、八代忠時(ただとき)が、己が技術を明示せんと製作したものとも考えられる。ただし、層状の鍛え肌を鮮明に出して赤坂派の作であることをも明らかにしている。



巴に桐透図鐔 赤坂
 江戸時代後期の赤坂の作。桐だけでなく二つ巴を意匠の要とし、唐花を想わせる構成としている点に特徴がある。地鉄は密に詰んでこの時代性が良く現われている。