張果老図小柄 (鐔の歴史)
張果老図小柄 銘 栄乗作光孝(花押)
町彫り金工に多々見られる仙人図は、後藤家でも描かれたようだ。紙の驢馬を持ち歩き、瓢箪に入れられた薬をこれにかけると、たちまち紙の馬は実在の驢馬になる。長旅をする際には驢馬を出し、必要のないときには紙片として懐に入れておく。この仙人が張果老。なんと合理的なのりものであろうか、仙人という意識から発達し、理想を追求した一つの形だ。
驢馬の表現を眺めてみたい。初代祐乗の馬や鹿図と比較しても良いだろう。初代の鹿の斑文はふっくらとした量感が感じられるも、馬のように平滑に仕上げられている。顔などの表情は馬とは異なる優しさが漂うようにもみえる。一方、張果老の姿がいい。ふっくらとした高彫による立体感がすばらしく、鏨が効いてくっきりとした画面となっている。これに動きが加わっている。
張果老図小柄 銘 栄乗作光孝(花押)
町彫り金工に多々見られる仙人図は、後藤家でも描かれたようだ。紙の驢馬を持ち歩き、瓢箪に入れられた薬をこれにかけると、たちまち紙の馬は実在の驢馬になる。長旅をする際には驢馬を出し、必要のないときには紙片として懐に入れておく。この仙人が張果老。なんと合理的なのりものであろうか、仙人という意識から発達し、理想を追求した一つの形だ。
驢馬の表現を眺めてみたい。初代祐乗の馬や鹿図と比較しても良いだろう。初代の鹿の斑文はふっくらとした量感が感じられるも、馬のように平滑に仕上げられている。顔などの表情は馬とは異なる優しさが漂うようにもみえる。一方、張果老の姿がいい。ふっくらとした高彫による立体感がすばらしく、鏨が効いてくっきりとした画面となっている。これに動きが加わっている。