駒引猿図小柄 (鍔の歴史)
駒引猿図小柄 銘 後藤顕乗(花押)
後藤顕乗の自身銘が刻された作品。幾度か説明したように、後藤家在銘作は大変に貴重。献上する作品には銘を入れないという慣例があったようだし、上三代には在銘作はなく、ようやく現代に売り物として出てくる後藤の在銘作は栄乗辺りから。それでも少ない。この小柄は、金の魚子地に暴れる馬を必死でなだめようとしている猿を高彫で描いた作。古く、厩では猿を飼うを慣わしとしていた。猿は馬と相性が良いらしいのだが、それと同時に、馬の流行り病を速やかに知る手段として猿が同じ場所で飼われたというのである。
後藤宗家七代顕乗は五代徳乗の次男。分家して理兵衛家を興すも、栄乗の嫡子(光重即乗)が若かったために宗家を継いだ。後に光重に家督を戻す。加賀前田家の御用を勤めた一人で、加賀金工の発展に寄与しており、加賀後藤の呼称が遺されている。
駒引猿図小柄 銘 後藤顕乗(花押)
後藤顕乗の自身銘が刻された作品。幾度か説明したように、後藤家在銘作は大変に貴重。献上する作品には銘を入れないという慣例があったようだし、上三代には在銘作はなく、ようやく現代に売り物として出てくる後藤の在銘作は栄乗辺りから。それでも少ない。この小柄は、金の魚子地に暴れる馬を必死でなだめようとしている猿を高彫で描いた作。古く、厩では猿を飼うを慣わしとしていた。猿は馬と相性が良いらしいのだが、それと同時に、馬の流行り病を速やかに知る手段として猿が同じ場所で飼われたというのである。
後藤宗家七代顕乗は五代徳乗の次男。分家して理兵衛家を興すも、栄乗の嫡子(光重即乗)が若かったために宗家を継いだ。後に光重に家督を戻す。加賀前田家の御用を勤めた一人で、加賀金工の発展に寄与しており、加賀後藤の呼称が遺されている。