第2章 求めたものが与えられなくても 71ページ不条理を受け入れる という題の中に 十字架の重みの御話しがでてきます。
古来、苦しみ、試練のシンボルとして「十字架」という言葉が使われてきました。外面的にはわからなくても、人はそれぞれ、他人がうかがい知ることのできない十字架を担って生きています。こんな話があります。
ある人が、自分に負わされた十字架の重みに耐えかねて、神に願いました。「もっと軽いのに替えてください」。大小さまざまな十字架が林立している部屋に案内された彼は、その中から、大きさも重さも気に入ったものを選び出し、神の前に出ました。「これなら一生背負ってゆけそうです」。そして気づいたのです。それは最前、自分が肩から外した十字架であったということに。
私はこの国の男社会からしたら、彼女がいかなるベールを被り、どのようなお話をしたとしても、第七師団長のむすめといふようにしか見られていない。そのような気がします。
私は病院の待合室で彼女の別の著書を拝読していました。9歳のころ父を失った話のところで、涙があふれとまらなくなりました。
私は9歳であろうが20歳であろうが、30歳であろうが、40歳であろうが、何歳の頃であっても、母であれ父であれどちらかでも失ってしまうというような事実など、とても耐えることができません。
彼女は1927年、祖父と同じ年の生まれです。どちらであっても失ってしまうというようなことは、とても耐えることはできません。
古来、苦しみ、試練のシンボルとして「十字架」という言葉が使われてきました。外面的にはわからなくても、人はそれぞれ、他人がうかがい知ることのできない十字架を担って生きています。こんな話があります。
ある人が、自分に負わされた十字架の重みに耐えかねて、神に願いました。「もっと軽いのに替えてください」。大小さまざまな十字架が林立している部屋に案内された彼は、その中から、大きさも重さも気に入ったものを選び出し、神の前に出ました。「これなら一生背負ってゆけそうです」。そして気づいたのです。それは最前、自分が肩から外した十字架であったということに。
私はこの国の男社会からしたら、彼女がいかなるベールを被り、どのようなお話をしたとしても、第七師団長のむすめといふようにしか見られていない。そのような気がします。
私は病院の待合室で彼女の別の著書を拝読していました。9歳のころ父を失った話のところで、涙があふれとまらなくなりました。
私は9歳であろうが20歳であろうが、30歳であろうが、40歳であろうが、何歳の頃であっても、母であれ父であれどちらかでも失ってしまうというような事実など、とても耐えることができません。
彼女は1927年、祖父と同じ年の生まれです。どちらであっても失ってしまうというようなことは、とても耐えることはできません。