新笠通信 奄美電信版

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私が 中学校の 教員だったとして 生徒らを どこに送り出すために日々を過ごしているか

2017-05-21 05:14:19 | Diaries
私が 中学校の 教員だったとして 生徒らを どこに送り出そうとして日々を送っているのかと問われるとすれば、それは、永遠の謎であるということになる。

彼らをどこに送り出すためにあなたはそこにいるのかと問われても、定年するまで、定年してからもずっと、謎のまま、わかることはないだろう。

誰しも、産みの親なりの、育ての親なりの、人生しか待っていないから、親なりの仕上がりにしかならないのだから、産みの親がしょっちゅう自転車泥棒などで捕まっているようなこそどろ、窃盗犯、粗暴犯、常習犯であるならば、わたしたちは必死で育ての親を求め、人柄を見極め見定め、教えを請いに行く。

教室での生活を続けているうちに、自分の親はまわりの人たちと、規則を共有するつもりのない、足並みを揃えるつもりのない人間だということに気づいていき、悟っていき、そういう人間なのだとだんだん理解するようになっていった、学習が進んでいったのだといえるでしょう。そして、見習うべき対象、お手本とすべき対象となりえない、精神的支柱になり得ない、そういう確信のもとで、育ての親の必要性を強く感じ、危機感を抱きながら、必死に探し求めよう、見いだしていこうという試みに移っていきます。

16歳までは学校に登校するということになっている。それでは皆さんは何を教わるためにここへ、教室へ連れてれてこられているのか。
それは、いつわりの大将の号令によって、誰かを攻撃し、傷つけたりあやめたりしてしまわないために、社会に出るまでに、いつわりの大将がなんなのかを見極めることができるようにと、十分な時間をかけているのである。

あなたにふさわしい大将が、わたしのグループの人間でなければ、どこまで粗末に扱っていいんだよ。乱暴に扱ったってかまわないんだよと教えるでしょうか?

あなたは黙って私が指定した相手を攻撃しなさい。

誰からもっともそういう雰囲気を感じたか、それに気づくために、気づかせるために、長い時間をかけて、みんなでいっしょに生活してきているのです。

あなたにふさわしい大将であるのならば、あなたのグループでない人間と接触する機会があるときは、どうありなさいと教えるでしょうか。

ことさら、失礼がないようにと、丁寧に対応してきたでしょう。

それが、突然、天主様が、隣国に、退陣を勧告したので、多くの国民が、悲しまれました。

天主様が、そのようなことをいったので、ことさら、多くのにほんじんが、悲しみました。