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学歴社会について

2007-06-27 15:25:35 | B4
学歴社会について

士農工商のような身分が明確に区分されている社会では国などが強制的に教育を受けさせることは重度な税金負担の上さらに税金負担の困難さを感じる者が多くなると考えられます

親の職業は子供の職業であり孫の職業でもあるわけだから現代語で表現すると児童労働が標準の世界であるわけです
児童の年代の子供は労働力であると信じて疑わなかった世代が存在するのです
何百年単位で続いてきた児童労働に終止符がうたれるような変化が国には訪れます
国民すべての児童に教育を受けさせるようにと国が強制するとそれまで子供は労働力であると信じて疑わなかった大多数の人たちが混乱します
そういう人たちは子供の労働力を失ってしまったと考えるわけです
減少した労働力の分だけの税金負担を重く感じるようになるのです
公的サービスに資源を配分するには発生した公的サービスの規模に応じた税金負担をさせなければなりません
労働力を失ったと考えている人たちは対価である公的サービスの価値を理解するまでには相当の期間を要するか公的サービスの価値を理解しないまま子供を学校にだしてしまいます
教育の意味を理解していない親の子供たちは国の方針に沿った思想をはぐくまれることになります
教育の意味を理解していない層というのは主体がない層であるといえます
教育の意味を理解していない層が多数を占めることは危険な状態であるのでそのような親から分離するには国の方針に沿った思想を持つ子供を大量に発生させることが合理的であるといえます
労働力としての子供の存在を認めてしまうと子供を労働力としていることに特徴がある国となってしまいます
世界は自由競争社会であるので子供を労働力として扱える親の存在に利用価値が発生してしまいます
自国民には課せられないような労働負担をおしつけるのにはうってつけの層であることになってしまいます
人を難なく不利に扱うことができる種族ほど利用価値があると思うことは自然であるといえます

自国民に課せたくないというようなことはどこの国でも同じです
自国のために戦ってくれる戦闘要員がいれば助かります
自国のために自由を失いながらも協力してくれる人がいれば助かります
自国のために財産をさしだしてくれるような人がいれば助かります
ほとんどの人が教育を受けていない国はどこの国にとっても利用価値があるのです
人間社会に生存競争があるのだとすれば利用される種族をたくさんかかえている利用する側だけが人間として生き延びると考えられます
人間としての存在を制限することに成功した者だけが人間としての存在を維持することができます

植民地体質の種族にならないようにするには教育を受けるしかないのです
ただばたらきを求められたときにはっきりいやとことわるような種族でなければただばたらき専用の種族になってしまいます
世界の現実はただばたらきを求める側の種族とただばたらきをうけいれる専門の種族にわかれやすくなっています

自爆特攻を勇んで敢行するような種族はどこの国にとっても利用価値があります
集団のために人間としては存在していないような国民で占められているような国は利用価値があるのです
集団の思い通りに行動する人間はどこの国でも重宝されます
自国のために他国の人が自国の思いのままに行動してくれることを望んでいるのです
人間がいない集団は何度でも利用されると考えられます
人間がいる集団をむやみに思いのまま利用することはできないからです
現代で他人を利用するとすれば人間でない者を利用すればことが足りてしまいます
人間になりきれていない者は死ぬまで利用することが可能であると考えられます

人間になった者だけが利用されないですむのだから国は子供が人間になれるように教育を受けさせなければならないのです

生物学上や科学的な性質としては人間としての分類をすべての人に認めることが可能だけども他の動物とはことなるという点で習性ごとに人間を分類しなければならないのです

個としての思考による行動特性で分類しなければならなくなります

それで人間になりきれた者とそうでない者とに分類しなければならなくなるのです

すべての人が個をすてた瞬間に戦闘期にみられた人間が存在しない集団が発生し機能します

人間になりきれた者が存在してしまうと人間が存在しない集団が機能しなくなってしまいます

自爆特攻を拒否するような者がでてくると集団は機能しませんね

集団が人間であることを放棄させる社会はこの世の地獄の姿であるといえます

人間であることを主張した者は集団によって命を絶たれてしまいます

治安維持法のようなものがごく自然のことであるかのように通用してしまうような社会になると人間でないことだけが生き延びる要件になってしまいます

人間であることをやめさせられる人が発生する集団であってはいけないのです

ユダヤ人であるならば今すぐ死になさいと言われて本当に死んでしまうようなことと同じです

人間が存在しない集団はユダヤ人を強制収容所で殺してしまうようなことを平気で行なうのです

教育を受けた者は人間が存在する集団を発展させていかなければなりません

人間になりきれていない人を発見してそれらの人を利用している人を発見して利用している人には制限を与え利用されている人には教育を施してやらなければなりません

人間になりきれていない人たちを見てみぬふりをしないようにすることが教育を受けたものの役割です

江戸時代のように社会階級が固定されていると教育を受けなくても問題ない層があるのではないかとも思われますね
身分制度が硬直化しているような社会は教育を受けていたとしても応用する場を与えることができないので教育を受けることの動機が生まれてくることはありませんね

身分制度があると確実に教育を放棄する層がでてきます
必要以上の社会保障を受けている者は教育を受ければ受けるほど社会保障を受ける前提が崩されていきます
弱者の立場を維持しておけば社会保障を継続して受け続けることができるということだけはわかっているため成長型の思考を持つことはありません
社会保障を受けているものは今の身分を維持しようとする動機が発生しているので社会保障を受けている身分というものが存在しこのような立場にあるものの身分は過度に硬直的であるといえます

弱者を主張している限り支援を受ける根拠が存在し続けてしまいます
弱者であるという立場を固定させているうちに本物の弱者であるという身分が確立され弱者としての存在を長期にわたり受け入れていかなければならなくなります


今日は学歴社会の中でも学生時代に他者のことを知ることによって発見する自分の存在しているポイントを解説したかったのです
地方の人が首都圏の学校で生活を送ると他の地域の者との差を明確に肌で感じるようになります
あまりにもかけはなれた生活背景を気づくことによって無知にも気づくし他者の身分との差も実感することができると思います

大学などの集団でははじめて気づくことになるような事実がたくさんあると思います
あまりにもかけ離れた身分の者が一緒になっていることを地方の人であればより強く感じるのではないかと思います

そこではかけ離れた身分の人たちとは交流をもてなかったかあるいは現在でももっていないと思います

かけはなれた身分の人とは交わらなかったということがそのときの自分がおかれている身分そのものであったと考えられます

身分をなくすあるいは身分などは存在しないあるいは身分の壁を越えたいと思うのであればかけはなれた身分の人と交わることだけが解決の糸口になります

地方の人は中央に行くと圧倒的に弱い立場であることに気づくはずだから立場を改善しようと思ったらかけはなれた立場の人との接触をふやすことでしかよい立場を構築していくことはできません

資金力に余裕がある層の学生たちの存在に気づくと地方から出てきた学生たちは何パターンかに絞られたある反応を示す場合があります
層の存在に気づいて近づくか遠ざかるか層の存在そのものを認めないかのどちらかです

学生のうちから要領よくふるまえる人がいたほうがよいのかもしれません
違う層から離れていくことはあまり利口な選択ではないと思います

層が違うことによるねたみをエネルギーにしてはほしくないと思います
違う層に対するやっかみをにじませて表現したりする教員がいると違う層との壁が厚くなってしまいます
嫉妬から生まれるエネルギーはあまり美しくないので地方の人の特徴になりやすい場合があります

違う人種との差の表現はデリケートなものだから高校を出るまでの地方によって特色が出やすい競争概念を全国区であてはめてしまっては不理解の溝が広がってしまいます

いびつな感情が含まれている競争を煽ってしまうといびつな感情が中央にでてからの活躍に水をさしてしまうことになります

つぶしがきくから競争を続けろというような表現はあまりにも無責任ですね
目標が定まっていないのに競争の真っ只中にいるような人は目標を確定することを先送りし続けてつぶれてしまいますね
目標が定まっている人しか競争のレールには乗ることができないのですよ
目標が見つかったらようやくスタート地点にたつことができますね
入学することは目標ではなく通過点ですね
何らかの役割を維持するために吸収し続けるのですね
吸収しないと人の役にはたてないから吸収できる場所を選び続けるのですね

学歴社会と相性
最終学歴が中学である人との相性はよっぽどの事情がないかぎりよいとはいえませんね
両親の最終学歴が中学であるような学生は苦労することが目に見えていますね
同じような教養を吸収した背景がないのだからどちらかが同等の教養を吸収しない限り対話の前提が成立しませんね
社会認識の程度にずれがあって視野がせまいほうにあわせていたら無駄になるものが多いですね

最終学歴が中学であることを売りにする人が発生してしまうと調子が狂ってしまう人もでてきますね

逆に地方では最終学歴が高い人ほどお荷物になりやすい存在であるといえます
中央並みの年功序列型賃金体系を維持できるような企業は存在しません
高学歴の高齢者の存在は危機を招きやすいものであるといえます
高学歴の高齢者を抱えないといけないような事実と向き合えるような事業者は存在しません

事業者というのは高学歴でないのに機動力がある人を歓迎しています
誰もが事業者の立場をとってみればすぐ理解できると思います

給料だけを確実に確保するタイプはお荷物であるといえます
給料だけは確保していて事業リスクはなんら背負っていないからです

事業リスクを負っていなくてかつ高付加価値を出していない従業員の存在ほど事業活動の停滞につながることはありません
事業リスクを負っていないということはもうすでに大きな財産であるといえます
事業リスクを負っている人と負っていない人で人間を完全に2分することができます
従業員の存在価値を証明できるものは高付加価値の創出です
学歴社会の弱点は事業リスクを負わない従業員を発生させてしまうことです
事業者は高付加価値を創出していない者を整理することでしか対応することはできません

最終学歴を強みにしている者は市場性を持つサービスの交換の場では強みが生かされなくなるようにできています
学歴を意識しているものは市場経済には向かなくなる場合が多くなると考えられます

大阪のある市ではおおやけの者のほとんどが学歴詐称をしていたということですから開き直りもいいところであるといえます
信用されなくなって当然といえることが平気で行なわれているのですから最初っから信用されるつもりもないし信用されようがされまいがどうでもよいというようなことを公然と示しているようなものです
信用されなくなっても所得が確保さえできればたいしたことではないという人たちで構成されている集団であるとふれてまわっていますね
信用されているから合法的に所得を得る根拠が得られるというのに信用されていなくても所得を得ることは合法であると勘違いしてしまう人がふえたら社会秩序を構成している機関の存在意義が失われてしまいますね

戦時中の教員は戦闘要員補給のパイプ役にされてしまいした
現代の教員がもし有事非常事態の状況に直面してしまった場合にどのような指示を出すのかといったことに興味が集まる時期がくると思います
教員集団が機能しなくなることはよくないことなので教員集団の統率は必要です
しかし非常事態に国がどのような強制を教員に負担させてくるかが重要であるということです
最悪の事態が生じた場合に生徒を戦闘に加担させるかさせないかの判断の分岐点をどこに設定するかということが見守られてくると思います

教員が軍の中枢に変貌する瞬間が訪れるのではないかと心配になる人がいてもおかしくないと思います
公の者すべてが国軍機能の中間管理職に様変わりするような瞬間がやってこないか心配したほうがよいかもしれません

学歴社会についてですが世界での各分野における指導者や協力者としての地位を築かれなければならないので貢献の度合いが高い組織の存在を少しでも多く発見し得意な分野で従事することが望まれると思います

優れた社会認識をもっている種族でなければ国際機関でのリーダー的な役割は担えないと思います

学歴が国内でどんぐりの背比べのたぐいの用いられ方をしてはよくないと思います

競争ではなく役に立つために学校へ通っていた時期があったというだけのことだと思います

役に立つという目的がないまま学校に通ってしまった人はどういう学校を出ても役にたてる場には立てないと思われます

最終学歴が低い者ははやばやと最終学歴を確定してしまった人とくらべ遅い時期に学歴を取得する場合もあるから高齢になる時期までは総合的な評価は行なえないとみます

農家と学歴というようなテーマも今後少しだけふれてみたいと思います
農家と農業指導者である農業振興課のような公的な機関との関係のようなものです
農家を指導する機関が市や県などの公であるということはとても興味深い現象であるといえます
他の産業と比較し公的機関の介入が尋常でない産業はほかにありません

いちいち私企業の事業活動に対して監督を買ってでてくるような公的機関はそうあるものではないと思います
農業は決定的に私企業とは異なる産業であるといえます
農家は個別個別が単体の事業体ですけど他産業の私企業のように独立した行動はとっていません
北大島地区限定の考察になります

産業部門との接触を持つ公的部門はとても神経質になりやすいものだと思います
事業リスクを負っている立場の者と事業リスクを負っていない立場の者が共同作業を行なうことは神経質なことであるといえます
事業リスクを負っていないものは絶対的に安定した地位にあるということです
私企業を運営しており事業リスクを負っている者は経営が破綻した瞬間に生命保険から融通された事情資金の返済を行なうこともありえるのだから倒産リスクを背負っている事業者は明日にでもこの世から消えてしまうということもおこってしまうのです

命がかかっている人とそうでない人がいっしょに仕事をすることはとても難しいことであるといえます
生命の危機にさらされていない人が指導するものだからデリケートな世界であると考えられるのです

最低限の指導までに関与をとどめておかないと深入りしてしまうととばっちりの矛先をむけられることになってしまいます

基礎教養習熟度の程度が業界により違うことは当然なので指導を受けるものには正確に伝わらないこともあります

中規模経営までに拡大できない事業者は永遠に公的部門との接触を継続することになります

公的部門からの指導から卒業して発展してもらうために有用な情報を提供しているということが考えられます

中規模以上の経営を目指す意欲がない事業者は永遠に監督されるのだと思います

事業者が1人立ちを果たすようになると公的部門のサービスを縮小することができます

事業者が1人立ちを果たせない限り公的部門の存在価値が発生します

自立した人が増え自立した事業者が増加すれば公的サービス部門を縮小することができます

一般の中堅以上の私企業に成長する見込みはほとんどないと考えられるので産業別公的サービス部門は永遠に存在すると思われます

商業であれば独創性で切り抜けるしかないと思います
いかに快適さを提供できたかがすべてです
快適さを知らない企画者は快適さを提供することはできないと思います
いろんな人が喜んでくれる場面をイメージできない人は企画にはむかないと思います

あらゆる業界で充実感を得られる程度の差は違うと思うので完璧を求めないほうがよいのかもしれません
仕事が楽しいことを伝えられないとサービスを受けた人の気分が楽しくなくなってしまいます
楽しく仕事をしていない人に客の相手をさせることだけはよくないことだと思います

中長期的にみても経済規模に爆発的な変化を期待することは難しいのだから制度支援をとりこぼさないような動きを続けることがよいのだと思います
中規模以下の事業者は公的支援とどれだけ一体化することができたのかにかかっている側面もあるはずです
公的支援を要領よくひろっていった事業者だけが小さい規模で存続することができるのだと思います

公的サービス部門と共同作業が行なえない小規模事業者が生き残ることは難しいことであるといえます
南西諸島特有の事情です

小規模以上の事業者となると公的部門との接触は反対に減少してきます
採用時に労働局や県の職員などの知人はいるかなどといったことをおもむろに聞いてくることがあります
公的機関の活用に慣れている人が職場に入ってきたら不利となると考えている事業者が存在するということです
小規模を超えるぐらいの事業規模では社外に漏れてはいけないと考えられるような事情をたくさんかかえている状態である場合が多いわけです
正々堂々と法にのっとり事業活動を展開していると主張している経営体は大規模事業社ぐらいのものです
堂々とし続けるために堂々とできないような事情を傘下の事業者におしつけてしまっている大規模事業社がほとんどであるともいえます

表にさらされる代表組織の見た目を完璧に装飾するにはさらすことができない事情を抱えた事業者を大量に傘下にしておかなければならないということです

学歴から私企業までを関連づけてしまいました
南西諸島では私企業の事業者の立場からでは学歴はメインディッシュにはなりません資格もメインにはなりません
学歴や資格などに基いた正規の報酬を払わないですむ方法を考えて実現する者が事業者であるともいえます
財やサービスに付加価値をつけた者に対する対価は用意しているといえます

価値を創造していない人の比率が高まることが一番よくありません
価値を創造している人から手数料をとる人ばかりになってしまうと創造者は仕事や生活をしやすい国へ移動してしまいます
公企業・私企業を問わず経営コンサルタントのような人がふえてしまうと創造者が逃げてしまうかもしれません
ちょっと昔は経営コンサルタントとか経営研究なんたらという看板はやくざの事務所の代名詞みたいなものであった時期があると思います
事業者にとっての命綱は資金調達活動であるともいえます
資金調達を有利に円滑に紹介できることは能力のひとつであるともいえます
資金調達が円滑にいくということは企業の淘汰も円滑に進むということだからよいことばかりともいえません
資金の流動化がスムーズになったら事業者の消滅も発生もスムーズになります
資金調達がスムーズにいく環境になったのに資金調達資格をえられなかった事業者は死刑を宣告されたようなものです
公的資金を調達できない状態になっている事業者をはやく次の行動に移させることが人の役にたつことであるといえます

不幸の発生を未然に防止することは役にたつことだと思います
不幸は複数の人物に連鎖するわけだから不幸のもとを一秒でもはやく断ち切ってしまうことです
危険な状態にある事業者こそ支援の対象で取引先などに注意を促がしておかなければならないと思われます

危険な状態になっている事業者は相談相手がいなくなっているはずだからそのままにしておくと一般の事業者には考えられないような愚行におよぶことがあります
危険な状態になっている事業者は近い将来他人を犠牲にしてしまいやすいからおかしな行動には気づかなければなりません
小規模事業者の資金調達行動に言及するということはよその家の家計に口出ししていることと同じことですね
小規模事業者が崩壊するときはその家庭も崩壊するときです
1世帯の企業活動に真剣に相談にのっている機関もあるのだから機関との共同作業ができない人は事業を継続する資質がありませんね

企業経営なんていうものは一度破綻するぐらいの不幸を経験しておかないとみがはいるものではないと思います
比較的若いうちに小額の事業規模でもよいから破綻しておいたらいつ何が必要になるか意識しながら吸収してゆくことができると思います
家計や会計を破綻させた経験が役に立つのも事業者の特徴である場合があります
現在小規模以上の事業を抱えている人は破綻のさせようがありません
債権者から本当に殺されてしまうことがあるかもしれません
破綻を次に生かせるのは小規模事業者だけの特権である場合もあります

一度会社をつぶしてしまうと事業者でいることのメリットがなんなのかよくわからなくなることもあると思います
事業者でいることの意味づけができなかった場合組織の一員としてしか存在のしようがなくなります
事業者となる余力を残したまま組織の一員でいることのほうが賢い場合が多いと考えるようになるかもしれません

事業者であり続けるということはやりたいことを続けなければ生きている意味がないというほどまでに思い入れがないとできるものではない場合があると思います

長期的に小規模を維持してゆく農業者や商業者で占められるような社会構造になりそうです
小規模イコール制度とのつきあいがすべてということです
公的機関との共同作業が中心となるので小規模事業者なのに独立性が弱いという本末転倒な現象が長期にわたって続いていくことが考えられます

事業の醍醐味は各種第三者機関から独立していることにあることが多いので長期にわたって行政と二人三脚している業界は社会政策事業となるので国営農場が経営されているというような状況が続いてしまいます

社会政策事業から脱皮できたときに事業者といえる状態になるのだと考えられます


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