さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

音楽と出会いとこれからの僕

2024年10月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
橿原市民でありながら、初めて今日は「橿原市運動公園」の敷地内で、相方とふたりで野外練習をしていた。
天気がめちゃめちゃ良くって、秋なのに残暑が戻った感じで汗ばむ日となったので、公園の片隅にある屋根とベンチのある休憩場所を見つけそこで歌っていると、自転車をこぎながら一人の年配男性がやってきて、じっと僕たちの演奏を聴いておられた。そして演奏後の拍手をいただき、少し会話が始まり「私も昔は音楽をやっていてね・・・オーケストラでフルートを吹いていたんですよ・・・」「僕たちふたりもフルート吹くんですよ!・・・どこにお住まいですか?」と尋ねるとなんと僕がいま引っ越してきた町内の元自治会長さんだったことが判明!!「私が自治会長の時にですね、何かしらみんなでコミュニケーション図るために作ったグランドゴルフの倶楽部があって、そのメンバーの試合が今日ここであるので来たんですわ。」と・・・おまけに「今日は男女とも試合に勝ったので、今度、祝賀会を開こうと思っとるんで、そこで演奏してもらえないやろか・・・」とのお誘いもいただいたが、あいにくその日は仕事で断念。でもお互いの連絡先を交換し合い、今後ともよろしくという話になった。 
そしたら二人目、「少し聴かせてくださいね」とこられた散歩中の年配男性、演奏後また拍手をいただき、その方がギターに大変興味をお持ちで、楽器を買って、さあ習い事でもという時に脳梗塞を患い、動かなかった指が、リハビリでここまで動くようになったと・・・「あきらめないで、またギターやりましょうよ!」と言う僕の声に笑顔を見せていただきました。そしてまたここで名刺を渡し、また会うことがあったらよろしくですとわかれた。 
そして最後、片付けが終わって車に向かう途中、近くでギター練習しておられた男女の方々に「お上手でびっくりしてました~長いこと音楽はやっておられるんですか?」と会話が進み、訊くところによると、愛知県から友達に会いに奈良までやってきたとのこと、ここでもまた、名刺の交換をしていただいて、Facebookされてるんでしたら、また帰ってリクエストしますと言っていただきお別れしました。

音楽を通じて人とのご縁が生まれ、人を笑顔にする。 そして僕より年配の方でも、またこれから新しいことを始めたい、ギターを弾きながら歌ってみたい・・・などと思っておられる方がやっぱり多いんだなと感じた。
そして、僕のこれからやっていくべき事は・・・そんな自分自身にも何かしら熱いものをいただけた、ほんと良き日になりました。

なんだかよう~

2023年11月26日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
先日、会社を経営するハウスクリーニングのお客様と、ふとしたきっかけで従業員の育成について会話がもりあがっていた。
どういう流れだったか、「やっぱり人間は苦労してきた分、報われるかと言えば、そうでもないよね~」なんて苦笑いしながら、自分の生い立ちを訊かれあれこれ話していた。
「僕なんか、トタン屋根二間しかないあばら家の貧乏暮らしで、近所の子たちからは、屋根に石ころ投げられて、貧乏人とか言われてました。(苦笑)」「親からはおかずがないからと、ご飯に醤油かけて食ったり、平天を十字に切って分けておかずにしてた時期もありましたよ~」
「それでも、友達が買ってたものとか同じように欲しいじゃないですか?」
「そこで知恵つけたのが、兄妹三人とも、中学、高校と朝刊配達して、そのお金でみんなと同じ物買って近づこうと必死でしたわ。(笑)」
そんなような話をしていると、お客さん(奥さん)が涙を流しながら微笑んで、「よ~頑張ったね・・・顔に出てるし態度に出てますよ。」って言われて、不意に僕も涙腺が緩んでしまった。
その涙が、なんだろう・・・何十年も流した事のない、僕ら兄妹はそういう境遇だったから仕方なく頑張ってきただけだったのに、初めてここにきて、泣いてもいいんだよって言われたような気がして・・・。
なんだか、なんだかよう~ってな不思議な日だった。

ピアノフォルテ

2023年02月02日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
ピアノで弾き語りに挑戦しようと思う。
ずっと出来っこないと諦めていたけど、これから残りの人生を今以上に楽しく過ごせるようにと、
ここ2週間ほど前から我流で弾いている。
なんとか左指ベースの感覚が掴めるようになってきた? 
まずは四つの循環コードのみで構成されたオリジナル楽曲『好きだよ』を選んでみた。

頑張れ!俺なら出来る‼️

ねえ僕とあの月へいこう

2022年12月23日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
年末の激務もあと6日で終わりだ。
5連休が待ってるw

今年は例年よりも売り上げがあり、ハードなスケジュールなのに
スタッフにジョークをとばす余裕すらあるのは 君のおかげだ。
ありがとう・・・

フライミー・トゥ・ザ・ムーン / ながたたかし作詞バージョン

ねえ僕とあの月へ行こう
木星も火星も見に行こう
つまりね 君とずっと居たいんだ

僕の思いを歌にしたよ
少し恥ずかしい歌だけど
笑わず聴いてね
君が好きだ

君の笑顔が僕を癒す
どんなに辛い日があっても
だからね 君とずっと居たいんだ

夜空の星がにじむ時は
いつもこの歌を口ずさむ
君にも届けと
僕は歌うよ


じれんま

2022年09月05日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
法的に離婚となって二ヵ月が経とうとしている。
元々、夫婦間の会話がなかったので、基本的にひとりでも暮らしてはいけるけれど、
いままでテレビなんか数年観ることがなかったのに、仕事から帰ってきてとりあえず電源入れてしまうのは
よっぽど人気が無い寂しさに耐えれなくなって来たんだろうか・・・(苦笑)

仕事さえ困らないのであれば、別に奈良県に住んでいなくてもいい
お金さえ困らなければ、どこに住んでもいいんだ。
ただそうもいかない現実問題が今のところあるから、下手なことはできないけれど
選択肢がたくさん目の前にあるという事実・・・俺にはどうもここにきて「勇気」というものがないらしい。

いや、卑屈になる必要はない、文字にして、誰かが読んでくれて、優しい言葉でもかけてもらえないだろうかと期待してるのか?

どちらにせよ、もうしばらくはゆっくり考えればいい。
すでに年末モードに入ろうとしている仕事がある限り、思い切った行動は出来ないんだから。

生活の垢

2022年07月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
五徳の焦げを ケレンでゴシゴシ削る
めったにしなかったこと
ガスレンジの裏を キッチンのタイルを
ゴシゴシこする
めったにしなかったこと

それが なぜか 愛おしくなってしまって
掃除しながら泣いてる おかしな俺

生活してきた垢だから
掃除をさぼっていたんじゃない
みんな忙しかったから
みんな一生懸命 この家で生きて来たから

風呂の浴槽をゴシゴシ洗う
すると映画の回想シーンのように
娘をはじめて風呂に浮かべた夜を思い出す
掃除しながら泣いている おかしな俺

掃除ってこんなに愛おしいもんだったかな
どこを掃除しても 愛おしい
どこを掃除しても 愛おしい
ここも そこも 生活の垢がくっついてるから

ありがとう 君たち
ありがとう おまえたち
きれいになあれ
きれいになって さようなら

今日届いた、一通の手紙

2022年06月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
悲しいという気持でもなく、そう、この手紙に書かれている文字の通り『残念』という気持ちなのかも知れない。

奈良市に恋の窪町という町がある。 今でも仕事の関係でよく通る住宅街なのだが、当時僕が21歳の頃、何の雑誌か覚えていないが「バンドメンバー募集」の書き込みをしていて、この町のS君当時19歳と知り合った。
最初、彼S君から手紙をもらい、偶然にもTULIPやオフコース、また洋楽の趣味も同じで話が合って、いつだったか彼の家に遊びに行くことになった。
今でも鮮明に覚えてるのは、TULIPのアルバム「I dream」が最高のアルバムだと絶賛しながら、最近作りかけの曲「泣かないでメアリー」という曲を鍵盤で弾いて聴かせてくれたこと。
そして、彼は確か東京の青山学院を受験するとかで、結果、受験に落ちたことを後の手紙で知るのだが、実際にあったのはその一日だけだった。
親父さんと彼を、確か、西大寺の「ならファミリー」に用事があるので良かったら送ってほしいとかで、僕の車「アルト」で快く送り、お礼を言われながら吉野までひとり帰った事をいま思い出している。

それから、仕事が忙しくなったのか?どちらから手紙を書かなくなったのか?離れてるから一緒にバンドを組むのを諦めたのかは思い出せないが、お互いの連絡は途絶えた。

年月が経って、それでも恋の窪を車で走るたび、S君はどうしてるんだろうなぁ・・・絶対、東京の音楽学校に行くといってたから、奈良にはいないんだろうなと思っていた。

57歳になった先月、何を思ったかふと彼の住所に手紙を送った。

自分のあまりにも整理のつかない近況報告と、覚えてくれてたら一度会いたいと。

二週間ほど何の連絡もなかった・・・けど、今日手紙が届いた・・・女性の名前で。

封を切る前からの直感はあたってしまった。

「前略 この度お便りを戴きながらとても残念に思います。 と申しますのも、もう本人はこの世に居ないのですから・・・」と書き出された文面は、まるでいえば不謹慎だけど、お決まりの文章がそのあと続いた。
そして、やはり東京に住んでいた事、そして東日本大震災が起こったその日の昼間に、ステージ4の肺がんを告知され、お母さんに電話が入った事、そしてそのあと奈良に連れて帰り、大阪の病院で見離され、奈良のホスピタルで亡くなったと・・・それだけでなく、お父さんは1995年、阪神淡路大震災の翌年、60歳になる直前に亡くなっており、ふたりとも大きな震災の後ということで、忘れさせないためだったのかな?と書かれている。
そして現在、81歳になられたお母さんはなんとか立ち直り、通ってるスポーツジムの仲間に支えられ、今は日中は殆ど家に居なく、楽しくすごしてると。

そして何を僕は思ったか。。。

ほら、またやん、いつでも会えるって思ってたらこうなるって、昔の相棒Yが亡くなった時に思い知らされたんじゃなかった?

時間が経ったいま、残念が悔しいに変わりつつある・・・涙が出てこないのは、一度しか会ってなくて、顔を覚えていないからだろうか・・・

俺はもう決めた・・・時間が許す限り、会いたいと思ってる人には会いに行こう。






無題

2022年03月15日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
濃厚感染者扱いも、上手く利用して、普段できないことを・・・と言っても家で出来ることは限られてくるわけでね。

ネットを覗けば、疲れる情報が多くてしんどくなる、まあ、僕のブログを観てしまった人も含めて(苦笑)ごめんね。

ネットの情報だけでなく、書物も信じちゃダメ、自分の手と目で確かめるんだ! って誰かの歌にあったけど。(笑)

もう疲れたね・・・何もかも・・・人の思惑を気にしてちゃあかんねんけど。



祈り

2022年03月12日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
とにかくトップ同士の争いに、関係のないたくさんの子供や住民が死んで行くことが許せない、悲しすぎる。

ウクライナの事もロシアの事も、正直この戦争が始まってから興味を持ち、各国の歴史を少し学び始めた僕が書く言葉は、何の重みも感じられないだろうが、戦争は反対だ。

フェイク動画も中にはあるかも知れないが、人が死んでいるのは確かだ、それが一人であろうが何万人であろうが、国同士の戦い、戦い自体裏で何か工作があったとしても、関係のない人々が死ぬのは間違ってる!!

僕らは遠くから、毎日飛び込んでくるニュースと動画を観て、感情的になるだけしか出来ないが、もし、人間の『祈り』というものに、人の心を動かす力でもあるならば、何時間でも祈っていたい。

『祈り』というものが『テレパシー』のような働きをすることが可能なのであれば・・・。

とうとう我が家も・・・

2022年03月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
先日、妻が喉に異常を感じ、調べてもらった結果、新型コロナ陽性反応が出たと昼前に電話を受けた。 
俺はすぐさまこの数日間仕事がスムーズに運ぶよう段取りを済ませ帰宅、玄関のドアを開ける前に観た異様な光景は、自らを隔離するためにガレージの車の中で、保健所からの支持を待つ妻の姿だった。
結局昨日は連絡が来ず、今日の朝に来たみたいで、国、保健所のガイドラインの通り、今日の昼過ぎに迎えが来て奈良市内のホテルへ10日間?の隔離療養のため移動。
そして俺と娘ふたりは当然、濃厚接触者扱いで7日間自宅療養、不要不急の外出禁止。

まあ実際、話に聞いていたことが身に起こると、なんというか気分的におかしくなるね。

今のところ、娘も俺も何の症状もなく、食事の段取り、掃除・洗濯等、各々なんでも出来るので、気が付いたものが始めるといった感じで二日間が終わった。
週末、楽しみにチケット購入していた「クイーン50周年展」もあきらめ、久しぶりに会う友との約束事も無くなり、いろんな事を断念せざるを得ない悔しさ。
仕事も気になって気になって、身体が現在、無症状なもんだから余計に苛立つし・・・社長から「好きな音楽でも聴いてゆっくりと療養してください」と言われても、くそ真面目な性格で心底落ち着かない。
まあ、無症状でも、会社のスタッフにうつしてしまったら、客先にも行けない、会社の機能がとまってしまうからね。

せめてコロナ太りを防ぐため、早朝か夜に軽くウォーキングでもしないと・・・



ピノッキオ

2021年11月14日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今までにたくさんの本を読んできたけど、本が好きになったのは、母親が親父に後で怒られながらもローンで買ってくれた、54冊の「世界の名作図書館」講談社のおかげだった。
ブックローンというその名の通りローンで本を買えるからなのか、そんな名前のところから買ってくれたもので、トタン屋根二間しかない貧乏あばら家に、縦長5段?くらいの本棚とセットで送られてきたものだから、そりゃ親父も怒るわなぁ~(苦笑)エジソンや野口英世なんかの伝記、坊ちゃん、ドン・キホーテ、ガリバー旅行記、大宇宙の少年、十五少年漂流記、いま思い出せたタイトルがこんなの、その中で一番小学生の僕が感動したのが「ピノッキオ」だった。

最近、映画で「ほんとうのピノッキオ」という作品が公開されていて、観たいんだけど奈良県では上映されていない!!(怒)



僕が読んだ本も、あのディズニーのアニメ「ピノキオ」や日本のアニメ「樫の木モック」のような明るいタッチじゃなく、暗くて、ダークで、読んでて少し怖くて、悲しい・・・そして最後は感動的!!そんな印象だった。

今でも微かに本の挿し絵まで覚えてる・・・ゼペット爺さんがお腹を空かしたピノッキオに梨を食べさせるシーンがあるんだけど、ピノッキオは「皮を剥いてくれなきゃいや!」だとか「芯は食べれない!」といってだだをこねるんやけど、でも爺さんはそれを説得させて皮のまま食べさせる、そのシーンが永田家で親父が「ジャガイモの皮を剥くな!!そこに滋養があるんじゃ!」といって母親に怒鳴る場面と重なってるんやろね(苦笑)

悪い狐と猫?の盗賊に騙されて、怠け者の集まる遊園地でロバの姿にされるシーンは怖かった・・・そして最後はクジラのお腹の中でゼペット爺さんを見つけ、救出して、たくさんの事を学んだピノッキオが、女神の力でやったか、木の人形から生身の人間になり、ゼペット爺さんの息子になるという、そこに小学生の僕は「人の役に立つことで、夢はかなう!!」みたいな教訓を受けたんよね~たぶん・・・(笑)

で、これを書き込みながらネットで探せば、あるじゃないか~その僕が読んでた本が古本で!! これはもう一度買って読むべきちゃう? 



嗜む

2021年10月10日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日、第26回「ならフォーク村チャリティーコンサート」の会場で、長田Taco和承さん(スティール・ギター名手)が洒落た紙タバコを巻いていたので、「僕、そういうモノを嗜む人って好きなんですよね・・・」てな話をし出すと、「ええこと言うなぁ・・・久しぶりに聴いたわ嗜むって言葉。」と言われ、しばらく「嗜む」について話し込んでいた。(苦笑)

僕は珈琲も、わざわざ豆からミルで挽いて、ハンドドリップやサイフォンで淹れて飲むし、最近は音楽もレコード盤にクリーナーかけて、レコード針のホコリもとってといった手間をかけて聴くのが好きになった。

本来、お茶・珈琲も、音楽も「嗜む」という趣向だったはず・・・それが近代忙しい時代になって、なんでもかんでも「簡単」に「素早く」というキーワードの下に商品が変わっていき、落ち着いて「飲む」「聴く」ということをしなくなった。



「Tacoさんは、まわりの時間自体を嗜んでるんでしょ?」と言うと「そやぁ~」と笑顔で答えてくれた。

「嗜む」ことを大切にしたいし、これからの人生、「嗜む」ことの多い人生にしていきたいなと思うなぁ・・・。

未完成人

2021年07月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
久しぶりの休日は、うかつにも遅くまで寝てしまった。
この半日を、どう有意義に過ごすか考えながらシャワーを浴びていたら、隅っこの石鹸カスが気になってしまって・・・やっちまったよ、風呂掃除 ( ;∀;)

昼からはギターを弾いていた・・・来週スカーフェイスでのブッキングライブの練習だ。
スカーフェイスで歌うということは、僕にとっては闘いでもある・・・だいたい大将(マスター)が組む歌い手は、ミュージシャンというより、アーティストだから。
僕はただのサラリーマン兼業ミュージシャン、いや、ミュージシャンと呼んでもらえるかな?

曲は決まった。

歌唱力・技術とも乏しい僕は、この日「個性」で勝負するつもりだ。
たぶん、今までになく、自己をさらけ出すステージになるかも知れない。

今回は相方の力も借りずにソロで挑むのは、己をさらけ出して、己を表現するためでもある。
ただ、歌う世界は、いつまで経っても大人になり切れていない、中途半端な頃の自分だ。
仕事では、偉そうに部下を叱咤激励する立場の役を演じているが、本当の自分は歌のままかもしれない・・・そう、成人になり切れてない未完成人。
いやいや、もう還暦まであと何年って歳やろが・・・(苦笑)

こんな僕を聴きに来てくれる人がいるかなぁ・・・とにかく、何の飾りもない、ありのままの自分を歌います。




すかふぇ

2021年04月08日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
2004年7月11日、初めてのソロライブは、当時生駒にあったライブカフェ「BadBoys」だった。40歳で亡くなった相棒の歌を歌っていこうと「ながたたかし」としてソロで歌い始め、BadBoysではマンスリーで歌っていた時期があった。
奈良の情報誌「パープル」にBadBoysのライブ情報が掲載され、それを見たお客さんが時々来たり・・・ま、たいがい音楽仲間や、当時Yahoo掲示板で出会った友達がほとんどやったけどね。

いつだったか、しばらくして大和高田の「ScarFace」からmixiのメッセージだったか直接オファーが来て、どんな店だろうと西島くん(ちゅうねんさん)と怪しいあの扉を開けたのだった。(苦笑)
たぶんスカフェ出演は2005年だったと思う・・・当時は、僕らのようなアマチュアミュージシャンが歌える店なんて殆どなく、いや、ぼちぼちそういう店が出来て来た時代だったかな? 奈良で言うとビバリーヒルズやネバーランドくらいしかなくて、そこそこ上手くなければ出れないというか、チケットノルマがある店ね。そのうち、ScarFaceやPickといった店が出来てきて・・・いまや奈良県内にどれだけあるか・・・『おいおい、本番で練習する気か?』ってな人まで歌える店が増えてきたり。

先日、音楽仲間のみどさんとも話してたんやけど、「ScarFase」はそんな中でも当時から違ってたよねって。 何が違うか?そりゃマスターの大将という人物はじめ、店の独特なコンセプトしかり、何よりも僕らアマチュアミュージシャンをプロ、アマの垣根なく、とても大事に扱ってくれた。 雑談・飲食の時間とライブの時間はきっちり分かれていて、照明のカットアウトからはじまり、複数ブッキングも、アーティスト毎にきちっとステージの始めと終わりの演出があった。
そこには派手な照明もなく、こじんまりとした空間だったけど、張り詰めた緊張感と、無駄のない音響とアーティストが歌う緊張した板があった。 大将(マスター)自身、劇団の脚本家でもあり、アーティストだからだろうか、ミュージシャンがどうあるべきかを知っているし、出演者も個性豊かな、ミュージシャンというより「アーティスト」ばかりだったから、こっちもいい刺激をいつも貰って帰ってた。

早速、自分のいま感じている思いを昨夜メールで送ったら、長文で丁寧なメッセージを送り返してきてくれた。 そこにはいつもの熱い大将の思いが書かれていて、やっと今年、歌い出す決意を固めたところ。

コロナ騒動の中、タイミングを見て歌い出すよ。 もう迷わない。