さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

納豆が美味しい!!

2019年09月22日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今回の慰安旅行でチャレンジしようと決めていた事がひとつあった。 みんな朝食で美味そうに食べている「納豆」に再チャレンジすることである。 臭いとあのネバネバ感がダメで、何度かチャレンジしたことがあったけど食べれなかった・・・なのに、今回は初日から食べれるようになった! しかも、味が解る!!美味いやんか!! ってことで、帰ってからも晩飯にひとつ、寝る前のおやつ代わりにひとつと食ってしまう(苦笑)



食べれなかったものが食べれるようになるっていう、この幸せな気持ちはなんだろう・・・人生に楽しみがひとつ増えたような気分だ。 糖尿病にもいいみたいだし、身体に良いのであればなお一層得した気持ちでいっぱいだw

人間の味覚は年齢や精神的体験によって大きく変わり、昔から好きだったものが食べれなくなったりもする。 下のうらにある「味蕾」という部分が大きく関わってるらしく、その数は人によっても違うし年齢によって減少するとも言われてるらしい。 ネット検索によると、この味蕾が通常より多い人は「スーパーテイスター」と呼ばれ、一般の人より3倍の味覚を感じることが出来るので、食べ物の好き嫌いが激しいんだって。 そういえば、うちの会社に昔、カレーが大嫌いな変わったやつがいたな・・・豆腐の嫌いな俺も変わってるのかな?(苦笑)納豆は食えても、豆腐はすすんで食べようとは思わないし、避けれるのであれば食べたくないな・・・とにかく納豆が食べれるようになって、嬉しくてしょうがない僕でした。

みんなちがっていい

2019年09月19日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
会社の旅行で山口県3泊4日の旅をしてきた。
中原中也がマイブーム最高潮だった12年ほど前、同じ山口県出身のミュージシャンSionが歌う「蛍」の歌詞に出てくる 一の坂川、「コンクリート・リバー」の歌詞に出てくるザビエル記念聖堂を探し求めて訪れたことがあったが、今回は26歳で亡くなった童謡詩人、金子みすゞが生まれ育った、金子文英堂から入る金子みすゞ記念館を初めて訪れることが出来た。


中原中也とは対照的な作風で、とてもストレートで読みやすく、とある作品のオブジェ前で僕は知らずのうちに涙をこぼしていた。 年齢を重ねるごとに、涙腺が緩くなり、ストレートな言葉に弱い・・・。


記念館から徒歩で5分ほど歩いた場所にあった「大漁」という詩のオブジェには感動した。
かまぼこ板に、町の人々?が自由に書いたメッセージや落書きが書かれており、それを何枚も張り合わせて作られた部屋。
ライトを消せば、「大漁」という詩とともに、たくさんの魚が浮かび上がる。

中原中也30歳没、金子みすゞ26歳没と短命な生涯が特徴なのが山口県かと思うと関係ない・・・104歳で亡くなられた「まどみちお」さんがいる。 まどみちお記念館は周南市にあるらしい・・・来年、また行かなくちゃ(苦笑)


今朝のニュースを見ていて思うこと

2019年09月12日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
ニュースを観ていて「この人、大変な役を押し付けられたんだな・・・」と思ってしまったのが小泉進次郎さん。 環境大臣ってことは、最優先問題として福島原発の原子炉メルトダウンに使われてる冷却水の処理問題があるじゃないかと・・・。予測では2022年にタンク内がいっぱいになると言われてるけど、そんなもん、それまでにタンクから漏れないとも限らないだろうし、その汚染水をいまのところ解決策?としては、海にそのまま流すしか方法がないと言ってるし。
海に流すしかって・・・海に流したらどんな危険が予測出来るかなんて、素人でも解ることで、なんとも恐ろしい日が我々の日常生活に迫ってることは確かだ・・・現在で100万トン以上の汚染水が溜まってるんでしょ? 原発の絶望的なところは、造って稼働させてしまったら、それを止めることは出来ない、壊すことが出来ないと聞いていたけど、それがこういうことだったんだ・・・。今もなお冷却され続ける作業費用だって莫大なお金がかかってるんだろうね・・・そのお金はどこから徴収されてるのか、いや、お金でどうにかなる問題じゃないよね、僕ら、一般市民に出来ることって、本当にないんだろうか・・・ないよな・・・ほんとえらいもんを人類は造ってしまったもんだ、なのにまだ原発を再稼働させよう、新たに造ろうとする・・・僕らは、反対することも大事だけど、反対するために日々の暮らしの中で出来ることを考え、実行していくことも忘れちゃいけない・・・。

久しぶりの珈琲タイム

2019年09月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
急性胃炎も完治したので久しぶりに「富田屋」に昨晩電話を入れ、本日焙煎してもらった豆を買ってきました。 今回は香り重視で「クマ」というコロンビアの豆を200グラム・・・ミルで挽く前からもの凄い、悩殺されるいい香り!!



コーヒー豆は、焙煎してから2、3日経過したほうが、ガスが抜けてまろやかな味になるとよく聞くが、僕は新鮮な豆を挽いた粉に湯を注ぐと出来る、このドームを観るのが楽しみなんだよな。
さてさて、今夜のコーヒーの肴は、BeeGeesのアルバムの中でも、僕が最高傑作とする「LIVING EYES」を聴きながら、一日の疲れを癒すことにした。
BeeGeesといえば、映画「小さな恋のメロディ」主題歌「メロディ・フェアー」、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」からの「スティン・アライブ」「ナイト・フィーバー」などが有名だが、僕が育った大淀町の家の隣が、在日韓国人が経営する旅館で、そこの兄ちゃんがいつも朝になるとステレオで「スティン・アライブ」を大音量でかけていた。 窓から聴こえてくるファルセット・ボイスを、当時まだ洋楽なんて知らない10代の俺は、「女性が歌ってる変な歌」としか思ってなかったなぁ(苦笑)男性トリオだったとは・・・これと同じようなことを、初めてオフコースを聴いた時も思っていたような・・・。



明日は午前中、一般家庭の浴室クリーニングで午後からはエアコンクリーニングとレンジフードクリーニングだ。 最近、いくら早く寝ても疲れがとれなくて困る。

ノスタル爺の戯言

2019年09月01日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
昔はよく会社を出たら喫茶店へ直行でモーニング、仕事が終われば駅前の居酒屋・スナック・うどん屋の3コースを同僚とバカ騒ぎしながらストレス発散、翌朝の仕事も元気でこなしていたよなぁ・・・そんな思い出話を昔の同僚と話す機会があった。
当時のトレンディドラマのような、そこに行けば必ず仲間が居るといった都心部のお洒落なバーもなけりゃ、ダブル浅野(浅野温子・ゆう子)みたいな女はいなかったけどね(笑)

1980年・・・80’s・・・僕ら同世代にとっては、青春そのものがそこにあったのではないだろうか? 山口百恵引退から松田聖子の時代へ、ビートルズのジョン・レノンが銃殺されたのも80年・・・音楽もレコードからCDに移り変わろうしながら、それまでは耳で音楽を楽しんでいたのがPV(プロモーションビデオ)という映像をもって視覚からも刺激をもらうようになった時代、小林克也の「ベスト・ヒットUSA」はテレビの中の宝箱だった。 日本映画は角川春樹が儲けまくり、洋画はサントラ盤が売れまくり、テレビは音楽番組もドラマもドキュメントもお笑いもすべてが元気で、当時、金もなく貧乏な家に住んでた自分が、楽しい思い出に囲まれていてこうして語れるのは、80年後半に日本経済が頂点達して泡のように弾けてしまった「バブル時代」という夢の一部を見させてもらっていたからであろう。 そう、80’年代は世の中が元気で騒がしくて楽しくて・・・もちろん、世間を騒がせたのは楽しいことばかりじゃなく、凶悪・残酷な事件もあったりするんだけど。



自分にもしも多額のお金が入ってきたら、一生を終えるまでに「80’sの音楽やおもちゃ、本や雑誌に囲まれた喫茶店」をやってみたいなと思う。(苦笑)そのためには宝くじを当てるしかないよなぁ~
僕の周りでは、そろそろ終活だとか言って、身の回りのいらないものを整理していこうとする仲間も多いけど、僕は無理だね・・・逆に買い戻してる(><) でもまあ、それもいいかなと最近は思ってるけどね、それが自分の心の安らぎになっているのなら。 あ~今度ゆっくり、たっぷり、80’sを語りあえる場を作りたいな・・・ノスタル爺の戯言でした。