先日NHKの番組で、久しぶりにTULIP40周年特集があった。 その昔、歌番組「ザ・ベストテン」で、「虹とスニーカーの頃」を聴かなかったら、僕はギターを持って
いなかったかも知れない。 このことは、僕をよく知る仲間は「あ~またチューリップの話かいな」とこのブログをスルーするだろうけど、それが事実なのだ。
チューリップからTULIPへと変わる第二期メンバーの頃からのファンになるわけだが、2012年のコンサートパンフには、僕のメッセージが載せられているほどにw
「TULIPはいつも青春のBGMでした」
今でこそ、ソロ活動で弾き語りをしてはいるが、本当はバンド活動がしたかったし、それは今でも変わらない。
我流人・第二期「我流人」・と~てむ そして現在のソロと、高校卒業してから現在までの28年間、歌うことを一年以上辞めたことはなかった。
28年も歌ってるのなら、もっと上手くなるはずなのに・・・とまあ、そこは突っ込まないでほしい、何せ練習の嫌いな性格なのだから。
ただ、最近の楽器屋さんのターゲット客でもある「オヤジバンド」や定年退職後から若い頃のギターを引っ張り出してきた人達と一緒にされるのは嫌だな(苦笑)
話はまったく変わるが、アコースティックで弾き語りする仲間に多いのが、中川イサト氏 高石ともや氏 西岡恭蔵氏 大塚まさじ氏 高田渡氏 とこのあたりをかじってる人たち。
決して嫌いではないが、どうも僕には空気が違うような、居場所が違うような気がずっと前からしていた。
世代が違う? いやいや、僕だって岡林信康氏も友部正人氏も遠藤賢司氏も大好きだし、今でも泉谷しげる氏は大好きだからね。 まあ、色は違うだろうけど高田氏も西岡氏も聴いてたよ。
昨夜も、仲間が企画していた弾き語りライブに参加させてもらい、それなりに楽しく過ごして来たのは間違いないのだが、ふと感じる「空気が違う」感は何なのか・・・
それがわかった、というか、今更ながらわかった気がする。
「オリジナル」が聴きたいのだ。
誤解のないように、小心者の僕はここで弁解がましく言っておくが、決してコピーを歌う人が嫌いなわけじゃない。
それは、弾き語りを純粋に楽しむスタイルのひとつであって、ギターを持って歌うことや演奏することが素直に好きな人たちなのである。
それともうひとつの形が、「自分の言葉や音楽を他人に聴かせたい、伝えたい」という弾き語りの人たち。
僕は元が下手なので、コピーを歌うとよけいに下手なのが目立つし、自分の歌を聴いてもらいたい性格。
だからたまに言われる「誰もが知ってる曲も、1曲くらいリストに入れてあげてよ。」という要望にはいつも困るし、セットリストに入ることがもったいなく感じる。
でも時々、いろんな場所で歌ってて思う、「俺ってこの場所で邪魔になってないかな?」と。
大阪でも奈良でも、僕らのようなアマチュアが歌える(時にはお金まで頂ける)ライブバーなるものがここ10年?10数年?で増えては潰れを繰り返している。
店によってというか、オーナーの考え方によってその店の雰囲気も、システムにもかなりの差があったりする。
ミュージシャンを大事にしてくれる店、またそのように思わせておいて、本当は客が大事な店、宴会大好き、カラオケのマイクがギターに代わっただけよってな店。
僕はいまでも、自分の落ち着ける箱を探しているし、こんな僕を本当に受け入れてくれる店があるんだろうかと思ったりもする。
その昔は、アマチュアかプロかのどちらかしかなかった世界。 今じゃインディーズなるものが聴き手に受け入れられ、自分で勝手にCDアルバムなんかを制作して、
しかも売りさばくことが出来る今は時代になってきた。 これは、新しい文化だと言っても過言じゃないと思う。
昔は、オーディションがあって、事務所に入って、事務所の人形になって、レコード作ってもらって、売ってもらって、自分が売れる。
そして力が付いてきたら、事務所から旅立つなり、事務所と喧嘩するなりして独立、好き放題、業界に残るもの、消されるものに別れる・・・といったのが普通の形。
でも、そんな時代を知らない若い子たちは、いまのこの音楽業界やアマチュアの音楽メディアをどう見てるんだろうね。
「プロとアマチュアの壁がなくなったね。」と言う人に時々遭遇するが、いやいや、決してそうじゃない、今でも歴然と差は存在するよと教えてあげたい。
昔、僕が加入させてもらってたバンドのMさんがよく言ってた言葉を最近よく思い出す。
「俺は、アマチュアの中のプロになりたいねん」
いまでもよくわかるし、僕もそんな位置に早くなりたいなと思う・・・けど、練習嫌いじゃぁ、あかんよね。(苦笑)
今年はあと一つのライブで歌って終わり。 来年は自分の活動もさる事ながら、「ならフォーク村」を活性化しなければいけない。
まとまりのない走り書きの乱文を、読んでくれてありがとう。
いなかったかも知れない。 このことは、僕をよく知る仲間は「あ~またチューリップの話かいな」とこのブログをスルーするだろうけど、それが事実なのだ。
チューリップからTULIPへと変わる第二期メンバーの頃からのファンになるわけだが、2012年のコンサートパンフには、僕のメッセージが載せられているほどにw
「TULIPはいつも青春のBGMでした」
今でこそ、ソロ活動で弾き語りをしてはいるが、本当はバンド活動がしたかったし、それは今でも変わらない。
我流人・第二期「我流人」・と~てむ そして現在のソロと、高校卒業してから現在までの28年間、歌うことを一年以上辞めたことはなかった。
28年も歌ってるのなら、もっと上手くなるはずなのに・・・とまあ、そこは突っ込まないでほしい、何せ練習の嫌いな性格なのだから。
ただ、最近の楽器屋さんのターゲット客でもある「オヤジバンド」や定年退職後から若い頃のギターを引っ張り出してきた人達と一緒にされるのは嫌だな(苦笑)
話はまったく変わるが、アコースティックで弾き語りする仲間に多いのが、中川イサト氏 高石ともや氏 西岡恭蔵氏 大塚まさじ氏 高田渡氏 とこのあたりをかじってる人たち。
決して嫌いではないが、どうも僕には空気が違うような、居場所が違うような気がずっと前からしていた。
世代が違う? いやいや、僕だって岡林信康氏も友部正人氏も遠藤賢司氏も大好きだし、今でも泉谷しげる氏は大好きだからね。 まあ、色は違うだろうけど高田氏も西岡氏も聴いてたよ。
昨夜も、仲間が企画していた弾き語りライブに参加させてもらい、それなりに楽しく過ごして来たのは間違いないのだが、ふと感じる「空気が違う」感は何なのか・・・
それがわかった、というか、今更ながらわかった気がする。
「オリジナル」が聴きたいのだ。
誤解のないように、小心者の僕はここで弁解がましく言っておくが、決してコピーを歌う人が嫌いなわけじゃない。
それは、弾き語りを純粋に楽しむスタイルのひとつであって、ギターを持って歌うことや演奏することが素直に好きな人たちなのである。
それともうひとつの形が、「自分の言葉や音楽を他人に聴かせたい、伝えたい」という弾き語りの人たち。
僕は元が下手なので、コピーを歌うとよけいに下手なのが目立つし、自分の歌を聴いてもらいたい性格。
だからたまに言われる「誰もが知ってる曲も、1曲くらいリストに入れてあげてよ。」という要望にはいつも困るし、セットリストに入ることがもったいなく感じる。
でも時々、いろんな場所で歌ってて思う、「俺ってこの場所で邪魔になってないかな?」と。
大阪でも奈良でも、僕らのようなアマチュアが歌える(時にはお金まで頂ける)ライブバーなるものがここ10年?10数年?で増えては潰れを繰り返している。
店によってというか、オーナーの考え方によってその店の雰囲気も、システムにもかなりの差があったりする。
ミュージシャンを大事にしてくれる店、またそのように思わせておいて、本当は客が大事な店、宴会大好き、カラオケのマイクがギターに代わっただけよってな店。
僕はいまでも、自分の落ち着ける箱を探しているし、こんな僕を本当に受け入れてくれる店があるんだろうかと思ったりもする。
その昔は、アマチュアかプロかのどちらかしかなかった世界。 今じゃインディーズなるものが聴き手に受け入れられ、自分で勝手にCDアルバムなんかを制作して、
しかも売りさばくことが出来る今は時代になってきた。 これは、新しい文化だと言っても過言じゃないと思う。
昔は、オーディションがあって、事務所に入って、事務所の人形になって、レコード作ってもらって、売ってもらって、自分が売れる。
そして力が付いてきたら、事務所から旅立つなり、事務所と喧嘩するなりして独立、好き放題、業界に残るもの、消されるものに別れる・・・といったのが普通の形。
でも、そんな時代を知らない若い子たちは、いまのこの音楽業界やアマチュアの音楽メディアをどう見てるんだろうね。
「プロとアマチュアの壁がなくなったね。」と言う人に時々遭遇するが、いやいや、決してそうじゃない、今でも歴然と差は存在するよと教えてあげたい。
昔、僕が加入させてもらってたバンドのMさんがよく言ってた言葉を最近よく思い出す。
「俺は、アマチュアの中のプロになりたいねん」
いまでもよくわかるし、僕もそんな位置に早くなりたいなと思う・・・けど、練習嫌いじゃぁ、あかんよね。(苦笑)
今年はあと一つのライブで歌って終わり。 来年は自分の活動もさる事ながら、「ならフォーク村」を活性化しなければいけない。
まとまりのない走り書きの乱文を、読んでくれてありがとう。