さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

お別れの日

2017年04月21日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
きちんとお別れを告げて来ました。
「ありがとうなぁ、和ちゃん」と。

2004年、生駒のBadboysで知り合ってから、二人には「ならフォーク村」にも参加していただき、また、彼らの「まな板の鯉」ライブにも招いていただき、和ちゃんの手料理を家でご馳走になったり、山口県へのボランティアコンサートにも一緒に行ったりと、たった13年の間でしたが、たくさんの思い出があります。二人が紹介してくれた、まえちゃん印くん、竹本信幸くんを通じて僕の音楽仲間もどんどん広がっていったのです。

いつも笑顔しか見せなかった和ちゃん。 
「そんなん、なんとかなるでぇ~」と元気つけてくれた和ちゃん。
ほんまありがとうなぁ。そして、お疲れ様・・・天国でたくさん先に旅立って行った「パンダ合唱団」の仲間と、また再会して、合唱団を作ってな。

いつまでも悲しみに慕っていても、何にも変わらんから、俺は明日からまたいっぱい頑張って生きるで! いっぱい毎日を一生懸命に!!

和ちゃん、ありがとう!!






2017年4月18日

2017年04月18日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は訃報知ってからずっと泣きっぱなしで仕事でした。 もう13年?前だろうか、生駒のBadboysで僕が歌ってるところに来てくれた二人。
その二人の紹介で、まえちゃん印と出会い、竹本信幸と出会い、八木たかしさんと出会い、多くの出会いがそこから広がっていった。
ここ数年、ご無沙汰になってた年末の和ちゃんの作ってくれた茶粥が、もう食べれない。
僕が職を失い、どこに行っても採用してもらえず、うつ病状態で駅をふらついているところに、大和郡山から大和八木駅まで僕を心配して「夕涼みにちょっと来ただけw」といいながら、「ながやん、そのうち働くとこ見つかるって、元気出しや」と閉店間際のドーナツショップでコーヒーとドーナツおごってくれた和ちゃんが亡くなった。
思い出を掘り起こす気力もまだないけど、また大事な友達が旅立って行った。
和ちゃん、レコーディングにハープ入れてっていうから、楽しみに練習してたんやんか!! 和ちゃん!! 退院するの信じてたのに。
寂しすぎる・・・和ちゃん、貴女の笑顔、忘れないからね。 どうか安らかにお眠りください。

真ちゃん和ちゃん「がんばれの唄」ならフォーク村コンサートより

下手の歌好き 

2017年04月09日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
『下手の横好き』という言葉がある。 僕はそれを少し文字って「下手の歌好きソングライター」と自称している(苦笑)
18歳くらいから歌い続けてるのに、いまだギターも歌も下手なままで、よくもまあ、客前で歌うもんだと時には誰かに言われるほうがいいのかも知れない。

今年もバースデイソロライブを決行することにした。 
CD一枚作れる腕もないんだけど、情熱でカバーしてみせるから、これを読んだ方はじめ、一人でも多くの人に来てもらいたい。



昨年は、現在埼玉県に一人暮らししている長女に、ステージを手伝ってもらったのと、余命宣告受けたにも関わらず、大病と闘いながら、己の強い意志で何度も奇跡を起こしている彼女、ayaさんにもまた歌ってもらう。
このライブが彼女にとって生きる目標の一つにでもなってくれたなら、こんなに嬉しいことはない。

Yajirobe の相方、小麻呂こと勝さんにもまたリードギターをお願いして、Yajirobeと何が違うか?というと、勝さんには歌ってもらわない(笑) あくまでも僕の歌にスパイスを付けてもらうに徹していただく!
そしてもう一人、友情出演に、昨年から「ならフォーク村チャリティーコンサート」準レギュラーの とうや伽緒 さん、彼女に何曲か歌ってもらうことになった。

さてさて、5月20日で52歳!! 49歳しじゅう臭いの年もショックやったけど、ちゃんちゃんこが目先に見えてきたやんか!! そやし一般的に五十肩?にもなってるみたいやし・・・ちょっとへこむなぁ。
それに比べ、いいのか恥ずかしいのか、未だに若い頃作った歌を歌い続ける俺・・・なかなか新曲も出来ないんよ、家庭持って現実の世界にどっぷり浸かりきってしまうとね。

でも変わらなく伝えたいことはたくさんあるから・・・まだまだ歌い続けるよ! たった一人でもいい、こんな俺が作った歌に、うなずいてくれる人がいる限りね。

一年に一度、どっぷりたっぷり、「ながたたかし」を聴いてみませんか? え? いらん言わんと、よろしくお願いします。