さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

古墳が好き

2012年04月29日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
始まりは上田書店での立ち読みからだった。 「UFOと宇宙人」みたいなタイトルの本を開くと、石舞台古墳(写真1)の写真が掲載されていた。「奈良県明日香村には、不可思議な古代の石造物が点在する。」などと書かれていて、石舞台古墳の写真の下のコメントが「あたかも、巨人が寝そべって空を見上げるかのような姿だ!一体誰がこの巨石を積み上げたのだろうか?」というふに書かれていたものだから、当時、小学校5年だった僕は友達といっしょに「UFOブーム」の最中、こんなものが奈良県にあるのなら行かなくちゃ!みたいなノリで明日香村を訪れたのがきっかけだった。(苦笑) 

(写真1)

古墳の存在なんか知らなかったし、当時は「古代人にこんな巨石を積み上げる技術があるわけないよなあ・・・これは絶対に宇宙人がUFOの力を持ってして積み上げられたに違いない!」なんて真剣に思っていたのだから笑ってしまう。

それからというもの、当時の古墳好きな友達二人SとHと俺は、明日香村散策に始まり、卑弥呼の墓と推測される箸墓古墳がある桜井市と天理市を結ぶ古道「山の辺の道」散策、奈良県各地の古墳を古代人の霊にとり付かれたかのように歩きまわり写真に収めた。
ちょうど中学生になったばかりの1978年、大阪の藤井寺市でこれまで想像されていただけの「修羅」が三ツ塚古墳から発掘された。「修羅」とは、古墳の石を運ぶソリのような形をした道具で、これで僕が考えていた「UFO巨石運搬説」は崩されることになるのだった。(笑)

なぜこれほどまでに古墳が好きなのだろうか?別にその古墳に纏わる時代背景や、天皇・豪族に詳しいわけでもなく、何となく言えるのは、「石の組み方」「古墳自体の姿・形」に興味があるのだろう・・・現に、宮内庁が管理されている仁徳天皇陵をはじめ多くの御陵なんかは、立ち入り禁止だから興味がない。(発掘すれば本当に葬られている人物が解明されるのに)また、○○○古墳と重要文化財の看板があっても、石室が見れない古墳であれば残念に思ってしまう。

写真2・3・4は、大阪府羽曳野市、上ノ太子駅北側のブドウ畑に存在する観音塚古墳である。

(写真2)
(写真3)
(写真4)

これは最近撮影したものだが、変わり者仲間3人は、中学生の頃、迷いに迷って見つけられなかったので、大人になった最近、僕がひとりで散策して発見に至った。
この付近は、聖徳太子の墓とされる古墳(叡福寺境内)や小野妹子の墓、推古天皇の墓などが点在する、「近つ飛鳥」と呼ばれる地域。 そう、「遠つ飛鳥」とは、奈良県明日香村の「飛鳥」を指すらしい。 見てのとおり、立派な石の切り方、組み方をしてる・・・もうここにたどり着いたときは、感激のあまり「やった~!!」とひとり叫んだものである。 古墳には3世紀から7世紀頃にわたり、前期・中期・後期と分けられ、それぞれ古墳の形や石室の造りに特徴があり、(円墳・方墳・前方後円墳・双方中円墳・・・竪穴式石室・横穴式石室・・・)この観音塚古墳は7世紀後半の横穴式石槨という造り。
まあ、こんなこと書いても、興味ない人は読んでてもおもしろくないだろうけど(苦笑)

そうそう、その変人3人にこんなエピソードがある。 これは前にもブログか何かで書いた記憶があるのだが、ある日、友人Sの家に遊びに行ったときの事である。 なんと、家の前にSは古墳を作りあげていたのだ!! その辺の小石を使って石室を造り、ちゃんと盛り土をして、直径20センチ前後のミニチュア古墳があった。しかも、ちっちゃな立看板まであって、○○塚古墳とか書いて、さらに石室内にはスズメか何かの死骸まで入れて・・・(><) それを見たHは、負けずと思ったのだろうか、遊びに行ったときに自慢げに見せてくれたのは、なんとなんと!!1メートル前後の前方後円墳が畑の横に作ってあったのだ!ヽ(*゜O゜)ノ だがその後、お母さんの運転する車がバックした際にすぐに破壊されるという始末。ヾ(^▽^*アハハ・・・。
で、俺? もちろん作ってましたよ、二人をバカにしながら陰でこっそり畑に。(^^;
いまでも仕事中に偶然、古墳を見つけることがあるが、わくわくしてしまう自分がおかしい・・・古墳散策歴35年、いつまで他人の墓参りをするつもりなのだろうか。


思いつき粘土工作???

2012年04月27日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
早朝から部屋の片づけをしていたら、2、3年前に買って放っておいた紙粘土が乾燥状態で出てきた。 そのまま片付けは中断、洗面所でその紙粘土を濡らし、アクリル絵の具とニスを出してきて2時間、意味のないものを作っちゃいました。



まあ、アップするような作品じゃないのは承知、小学生並ですが(苦笑) 空き瓶に紙粘土をかぶせて、チョコレート色を塗って、残り少ない白色をチューブのまま垂らしただけです。 塗る前と塗った後にニスを着けてドライヤーで強制乾燥。
お菓子風の花瓶?鉛筆立て?の出来上がり。ヾ(^▽^;おわはははっ!!

何年か前に、何を思ったか100均で買った紙粘土、絵の具、ニス。 
その時も写真のようにわけわからん怪獣を作った・・・アレルギー怪獣アレルゲン。
現在はライブスポット「異空間BarScarFase」にあるはず・・・捨てられたかな(^^;



気が着いたんやけど、紙粘土とアクリル絵の具でダミースイーツとか和菓子を作れるんじゃないかな? あかんあかん、性格上、はまりそうや・・・。

思うこと・・・。

2012年04月24日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
東北地方太平洋沖地震によるさまざまな問題について、僕は僕なりに思うことがある。
ブログに簡単に書き立てる行為は、軽率なのかと意識していたので書かなかったが、自宅療養中ともあって、テレビを見る機会が多いとよけいに叫びたくなるものである。

いつかのブログにも少し触れて書いたことがあったが、昔、電力会社に勤める友人と朝まで「原発」について語り明かした事がある。 もう20年以上も前のことだが、当時は音楽の世界でも反原発の歌が多かった。
爆風スランプだったかな?「スパゲティー」の歌を歌っていたのは? ヨーロッパまで放射能汚染されたために、小麦粉で作られたパスタから、放射能が感知されたというような歌だった。 RCのアルバム「カバーズ」の中で、清志郎さんが歌うサマータイムブルースだとか、その他多くのミュージシャンが反原発体制の歌で叫んでいたにも関わらず、多くの日本人はたぶん他人事のような感覚でいたのだろうな。

その時によく読んでた本が当時、全世界を脅かす大惨事となったチェルーノヴイリ原発事故に関する書物だ。 当時は、読んでいてもいまひとつ感覚的に他人事のような捉え方をしていたように思うが、まったく同じことが日本で起こってしまったのだからな・・・。



日本がヒロシマを体験していて、放射能の恐ろしさをどこの国よりも知っていたはずじゃなかったのか?  その国が、その日本列島の周りが原発で囲まれている。

石原知事が言っていたように、日本ほど無駄な電力の使い方をしている国はないという意見にも同感だ。

パチンコ店・自動販売機なんか無くなればいい。

僕がずっと前から言ってるように、24時間ストアやコンビになんかもいらない。
テレビだって深夜は砂嵐でいいんだって・・・夜の節電を大規模な国家政策のもと行えば、原発に頼らなくてもすむ気がする。 

そのためなら、僕はいつからでもいい、覚悟はある。 夜の電気を蝋燭に頼ろうが、テレビが観れなくなろうが、インターネットが出来なくなろうが・・・極端すぎるかもしれないが、それに近いことを国民みんなで協力しあって実施しなければいけない事態になってるってこと。

医療の世界でも、たぶん数年先の事態を考えて、甲状腺癌や放射線病?なんかの研究が進んでることだろうと思うが、数年後、10数年後になって、どれだけ病に苦しむ人達が出てくるのかを考えただけで恐ろしいし、それは他府県の出来事ではなく、僕たちも一緒なのだから・・・。 だってね、地球は丸いんですよ・・・海には海流があるんですよ。
それより何より、近くに同じような原発があるんですよ、逃げれないんですよ。
放射能は臭いも無く、色もないんですよ、国は、TVやマスコミは、新聞は、人は、嘘を平気でつくんですよ。
安全です・・・漏れてません・・・色も臭いも無いのにわかりますか?
いましてること、仕事のこと、家族のこと、夢見てることすべてが、否定せざる得ない世界になるかもしれないんですよ。 だから俺は何をする? わからない、何もしていない、そうです、でも自分の意見だけは常に、確かな情報を模索しながら信念として持っていたいし、身近に行動できることがあれば参加したい。

また、長ったらしい文面をアップしようとしているが、とにかく僕は怖い。

おかしいかい?

診察日

2012年04月21日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は気分的に滅入ってしまった。

診察の結果、骨の再生は進んでるものの、この脇下までくるフレームコルセットは次の診察まで装着しておいて下さいとのこと。

これが外れたならば・・・ていうか、てっきり今日こそは、外す許可が出ると思い込んでいたものだから・・・来週から職場復帰のつもりでいたのに・・・。

「デスクワーク程度なら、まあ・・・」と先生。

うちの仕事には、デスクワークなんて悠長な仕事はない!

営業に出るか現場に出るかなんや・・・。(--;



気分はフィル・コリンズ・・・。



そろそろ

2012年04月19日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
若い頃は歌や音楽によって、その時の悩みを解消したり、人生の岐路に立たされた時に励まされた事がたくさんあった。 特にTULIPの財津和夫氏の歌には特に助けられた。

僕もいつしか、趣味で弾き語りライブをするようになったけど、よくプロとアマチュアの大きな違いは?ってな話を耳にすることがある。
単純明快に言えば、音楽を仕事にしてるかしていないかだろう。
もうひとつ噛み砕いて言えば、「人に感動や夢を与えている」ということだと思う。
その人の唄う歌や演奏する音楽を聴いて、悩んでいた答えが見つかったり、明日も頑張ろう!と元気をもらったり、自殺しようと考えていた人が、頑張って生きようなどと、その人の心を動かすことが出来るのがプロであり、プロはそうやって夢を売って食べていく仕事だと思う。 だから、そのプロの世界の裏側で、どんなに表に出せない「仕掛け」があったとしても、バレてはいけないし、顔に出してもいけない。極端に言えば、そんなつもりで歌っていなくても、聴き手がそんなふうに捉えて感動したならば、それはそれでプロの成す技だと思うし、ゴーストライターが依頼されて作った歌を、自分が歌いたくなくても歌わざるえないし、たとえ、肉親が危篤状態であろうとも、コンサートツアー中は帰れない・・・そして顔に出さずに聴いている人に夢を与える、それがプロなのだろう。 実際に多くのプロのミュージシャンはそうやって、いろんな悲しみをこらえて、笑顔でステージに立っている。


アマチュアは趣味だから、好きなときにだけ歌える

プロは仕事だから、歌いたくなくても歌い続けなければならない



音楽だけではない、たとえば大工さんやいろんな工事の職人さんがいて、近くで日曜大工程度の技術で商売されてたら腹が立つだろう。
飲食業でもそうだろう、プロと呼ばれるからには、アマチュアとの差があるはずだ。

そんなことを考えていると、自分がときよりライブで歌うことの意味を何度も改めて考えてしまう。 アマチュアで歌わせてもらっているのに、お店にお金を払って、聴いてくれる。これってすごく嬉しい事だし、申し訳ないなといつも思う。 また、自分がメインでブッキングを組んだとき、お客さんが少ないと、今度は店に対して非常に申し訳なく思ってしまう事が苦しい。 これが、店側が企画して、お店から依頼があっての出演ならば、少しは気分もやわらぐというものだが。
だからここ最近、自分が歌うことについてあれこれと考えてしまう。

僕にとって歌うことの意味は、自分に出来る最大の自己表現の方法であり、歌を通じて生まれる出会いがたまらなく嬉しいから。
それはいつも変わらず思っていることなのだけど、本当に自分を出せているか? 出会いを大切にしているか? とまた、自分に問いながら・・・でもそろそろ歌いたいなと思っている。(^^;

今週末、また診察の日で病院にいく。  うまく骨がくっついていれば、この大きなコルセットが外れて、小さなコルセットになる。 職場も気になることだらけなので、そうなれば少しずつ出勤していこうと思う。


4月18日

2012年04月18日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
おいおい、また自分から逃げてないか?

自分から逃げてる奴が 他人のことかまってられる余裕あるのか?

とにかく今は、現状維持で頑張る・・・。

とにかく今はって、明日も明後日も無事に生きてる保障が100%あるのか?

時間が解決してくれること・・・確かにあると思う

でも、時間が解決してからでは遅い、間に合わないことだってたくさんあるよな?

何も考えないで今日はとにかく寝よう・・・。

今日は寝ようって、いつもそうやって寝てるだけだろ。

いったい何がしたい?

紙に書いてみよう

生きてる間に何がしたいの?

紙に書いてみよう

子供の頃何を夢みてたの?

紙に書いてみよう


このまま無難、平凡で生きていく?

平凡に生きるのが一番難しいって?

そんなの言葉遊びだよ

自分を殺さずに生きるのが一番難しいんだ。

僕のこの手は誰に動かされてる?



脳は誰に動かされてる?

心臓

心臓は誰に動かされてる?

・・・・・・・・・・・

心臓は心臓自体が生き物なのか?

心臓が動かなければ、心も存在しないのか?

じゃ、誰に心臓は操られてるの?

僕がいつ死ぬかって その操ってるモノは知ってるの?

先がわからない

わからないからこそ 今しかない

今しかないんやって・・・。

考えろ! 

ちょっとは考えろ!!




ふたり

2012年04月14日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
何気なく、相棒の声が聴きたくなった。

彼が亡くなってから編集した音源がCD2枚分ある。

オーディオに放り込み、少し大きめの音量で流す。

彼の性格、彼の顔からは想像できない、透き通ったやさしい声が部屋に響いた。

「やだっち、久しぶりに合わそうか。」

ギターを思い出しながら爪弾くが、音源の劣化なのか、音が微妙に合わない。

仕方なしに音源にあわせてチューニングしなおし、一緒に弾いた。




当時、彼が作ってきた歌には、俺がリードギターを入れてハモり、俺が作った歌には、彼がリードとハモりを入れる。 そんなふうに、お互いの曲をふたりでアレンジしながら、ギター2本でたくさんの曲を作った。
彼は音程もしっかりしていて、声もキレイ・・・なのに俺は今と変わらず、音程も悪いし声も悪い。あ、顔も・・・お互い様か。
でも、お互いの好みも似通っていたからか、息はぴったしだった。







コルセットしたままのギターはつらい・・・。

ギターを壁に戻し、寝転んで彼の歌にハモッてみた。

「やだっち、ごめん・・・ここどうやったっけ?」

独り言をつぶやきながら、久しぶりにふたりで歌った。




2003年から一人、「下手の歌好き」として歌い出した。

そろそろ、相棒がほしい・・・ひとりは飽きた・・・。






俺の勝手やぁ、ほっといてくれ。

2012年04月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
みなさんは友達や知人に「俺の勝手やぁ、ほっといてくれ。」って言われたことないですか? 今日は数日前の音楽仲間との間でちょっと激論?した話、シャツの「タックイン・タックアウト」の話。

そもそも、普段着シャツのタックアウトなんて、僕が社会人になったころから流行り出した記憶があるんだけど、いつしか僕もそうするようになったのは、シャツの裾を出していると、お腹周りが楽だなとわかってから・・・でも、ジーパンの上にジャケットなんか羽織る時は、絶対インしたほうがいいよな・・・と感じるほうなんだけど、これって今時の目線で見れば、「ダサい」と呼ばれることのほうが多いらしい。
僕はファッションには疎くて、金もかけたくない人だから、興味が殆どないし、天邪鬼な基本性格もあってこう考えるのだが、そもそも、ファッションであろうが音楽であろうが、流行というのは、その商品が売れるために作られた「仕掛け」であって、「みんながいいって言ってるから、私もこの服着よう」「いま流行の歌やから、とりあえず買って聴いてみよう」といったふうに、自分の感性を無視して手をだしているパターンのほうが多いのが現状ではないだろうか・・・。 ファッション雑誌のモデルと同じように誰もが着こなせるとは限らない、まあ、それもその人が気にいっていればそれでいいのだが。

僕なんか、安いからユニクロなんかで服を買うほうだけど、目上に張られてるパネルのような着こなしをしたからって、あんなにカッコよくなれるわけでもないから、好きなものを好きなように着てる(笑) 昔、嫁に言われたことを思い出した。映画「ダイ・ハード」を観た後の会話、「やっぱりカッコいいわ!白いインナーシャツにジーパンだけでもブルース・ウィルスは。 あんたやったら、ただの寝起きのおっちゃんやもんなぁ」
そう、ファッションには顔や体格も重要なのだ。(ーー;

でも、こういう俺も、時々ひとに「おまえ、それはちょっと合わんやろ・・・」と言ってしまうことや、「いまの時代はやっぱりこれやでぇ~」とか言ってることがある。
決まって、「俺の勝手やぁ、ほっといてくれ。」って言われて(苦笑)
だから気をつけたいものである。
何を言いたかったのか、支離滅裂になってきたが、基本的に俺は流行が嫌いで、流行にとらわれず、自分なりの工夫、自分なりの生き方、ルー大柴流に言えばどうなるのだ?「マイ・ライフ イズ マイ ファッション!?」 それをもう少し大事にしていける人達で、この世界を作り上げたいのだ!! ん???なんかおかしいかな・・・。

昔、「筋肉少女隊」の大槻ケンジが言ってた、「変な宗教の信者になるくらいなら、自分が教祖になれ!」と。 俺は言う、「自分らしさを無くしてまで流行りに飛びつきたいなら、自分が流行りになれ!」と・・・ん???これも違うかな。(苦笑)

つまらぬ文章、拝読ありがとうございました。


俺はファザコンでありマザコンだ。

2012年04月05日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
ブラックコーヒーと黒砂糖    作詞・曲:ながたたかし



寒い夜だった 母は俺と妹ふたりを 連れて駅へ行った
日付が変わって 静まり返った 踏み切りで母は ため息をついた

その夜の宿は 駅の宿直室 朝まで寝かせてくれと 頼み込んだのだろう
朝がた家に戻り イビキかく親父を 起こさぬように また眠りについた

   酒に酔いつぶれる 理由があったのだろう
   悔しく 耐え切れぬことがあったのだろう
素面の親父は 働き者だったけど 酒に溺れる 親父を憎んだ


ある日 突然、 親父が言った「腹が痛いと学校を休め」と
その朝はじめて 親父のトラックの助手席に座り 胸が躍った
黙ったままで でかいハンドル 握る親父は 男らしいかった
初めてのドライブイン 初めてのコーヒー 初めての黒砂糖かじる俺がいた

   俺を連れてゆく理由があったのだろう
   きっと孤独な 夜があったのだろう
まともに話をしたことがなかった 親父は息子に何を思ったのか

病室で親父は 膨れた腹と 丸坊主頭で 苦しんで 逝った
結局最後まで 俺と親父の 男同士の話はなかった
後から聞く話は 親父の武勇伝 警察(サツ)じゃ、名の通ったやんちゃくれらしい
俺がただひとつだけ 受け継いだものは 外面ばかりの友達つきあい

   貧しい暮らしにも 何かが見えていた
   負けちゃいけないと 食いしばる俺がいた

あの町を出てきた俺は 逃げてきたわけじゃない 自分の力を試したいだけだ
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った




写真は、僕が3歳の頃に親父が入院していた堺市の病院。
トラックの荷台から大きな積荷とともに落ちて、足の複雑骨折だったらしい。
ちょうど、病室の白黒テレビだったか、フォーク・クルセダーズの「帰ってきた酔っ払い」が人形劇で放映していたのを鮮明に覚えている(笑) あと、サンダーバード2号の小さなプラモデルが30円で、同じ病室の兄ちゃんに作ってもらった記憶。



親父は、とにかく町で有名な大酒飲みだった。 ステテコに腹巻がユニフォーム。 
酔っ払うと、近所をフラフラになりながら「火つけて燃やっしもうたるぞ~!」と叫びもって帰ってくるから、火事が近くでおこるたびに「慎ちゃんちゃうか・・・」と声があがる。(苦笑)

そんな親父だから、連れてくる友達も悪い連中ばかり・・・中には注射器持参の連れもいた。 ガラスコップに水を入れて、外にあった「ぼっとん便所」に入っていく姿を見て、子供ながらにも、何を隠れてしているのかは理解していた。 ただ、今となっては、親父も同じようそれに手を出していたのかは、確信出来ないが、親父が死んだあと、私服の警察官がやってきて、タンスやあちこちの引き出しを調べに来たことがあった。

酒を飲む理由には、やはり当時の貧困が大きな原因だったのだろう・・・でも外面いい親父は、金のほとんどを飲んだ勢いでばら撒いていたのも事実らしい。
酔っ払うと、母親を殴る、蹴る、町長の自宅の家の窓ガラスを割りに行く、マツタケを山に盗みに行って捕まる・・・(--; とにかく、「死んでくれ!オヤジ!」と何度思ったことか。

そんな親父も、働くときは一生懸命だった。 吉本新喜劇が好きで、度を越した悪戯が好きで、人気者で・・・よくわからん。(笑)

そんな親父は僕が二十歳の時に肝硬変で死んだ。

いまになって、やっと冷静に、笑い話に、ただの思い出話に出来るようにもなった。
そんなことを思い浮かべながら、病院のベッドで作った歌がこれ。

俺はファザコンであり、マザコンなのだろう。
生きているときは、両親を何度も恨んで生きてきたくせに、死んで居なくなるとこんなことを書いたり思ったりするのだから。

母親が去年死んだとき、悲しむ俺に、仲間のひとりが言った。
「だって、あなたが産まれてきた場所を無くしたんやもん・・・あなたが浮かんでた海を・・・。」

親父は何だったんだろう・・・?

それを最近よく考える。





ならフォーク村作品集Vol.22号完成!

2012年04月04日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は音楽仲間のひろさん、みどさんに手伝ってもらって、やっと「ならフォーク村作品集」の編集が完成した。 入院で一ヶ月遅れになっていたので、気になって仕方がなかったのだが、毎日コツコツと家でCDを作りながら、やっと本日、最終の冊子ホッチキス留めに至った。



「ならフォーク村」も6年目、今回は作品集22号ということで、新しいメンバーも増え、とうとうCD2枚に振り分ける結果になった。
楽曲も多種多様、15名18曲の参加、毎回言っているが、決して商業ベースには乗らないが、心通うホンモノの歌が揃った。 





これがまた、老後になってからの宝物になるんやね。ヾ(^▽^*
早速明日、メール便にてみんなの家に送るからね、お待たせしました。

さて、これでじっくりと本当に骨を休めるというか、骨を固めることが出来る。
早く、このフレームコルセットを外したい・・・(><)


落ち着かない日々

2012年04月02日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
先月末、退院して二週間後の診察に行ってきた。 レントゲン撮影の結果、順調よく骨も固まりつつあるのだけど、自分が勝手に期待していた、フレーム型コルセットから簡易型コルセットへのチェンジはなかった。「もう半月ほど、このままのコルセットで我慢しててください。」だってさ。 (゜゜;) (--;



これね・・・夏場じゃないからよかったものの、結構大変なんだよね~ しゃがんだり起き上がったりするときね。 朝まで寝転んでしまう時以外はハメてるけど、なんだか縛られる快感さえ覚えてきたわ(^^; どうしょう・・・。

今日は嫁と娘二人は大阪の実家へ泊りがけで遊びに・・・というのも、次女の高校合格祝いを兼ねてか、いつものUSJにね。 
で、晩飯も相変わらず勝手に食ってて状態なもんで、仕方なしに今夜は残っていた冷や飯を利用して、真ちゃん和ちゃん宅からもらってた、とてもおいしい煎茶を使って、家族では自分以外絶対に食べない「茶粥」を作った。 吉野郡生まれ吉野郡育ちの俺には、これが何よりも美味いし、落ち着く食べ物。 これと漬物、もしくは佃煮なんかあればそれで十分、夏場は固まってしまうけれども、きんきんに冷やした茶粥にかつお節で最高の食欲が生まれるのである。 あとは、冷蔵庫を覗いて見つけた鱈を生姜で煮付けて、ダシ巻きたまごを作っての簡単な晩飯・・・だけど茶粥の食いすぎで今まさにコルセット炸裂寸前である。



しかし、全治3ヶ月かなと言われていたから覚悟はしていたけど、病院から自宅に戻ると、よけいに考えても仕方ないことで悩み、落ち着かない毎日が続く。

今夜はスカッとする洋楽ナンバーをヘッドホンガンガンにして寝よう。