さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

いらだち

2012年05月28日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
先週からぼちぼちではあるが、職場復帰している。

「デスクワークくらいなら、仕事に出てもらっていいよ。」

ところが、うちの会社でデスクワークなんてものは存在しない。

現場に出て体を動かす、もしくは飛び込み営業だ。

僕が管理する大口老人保養施設の常駐清掃の様子を伺いにいったり、周辺を営業したり

くらいは出来るかと思い、4日程出勤したが、週末から腰が痛みだした。

今朝、主治医の元へ行き診察してもらい、骨には変化が見られず痛み止めを処方しても

らった。 どうしても、骨の周りの筋肉が弱ってるのと、長時間車に揺られるのもよく

ないらしく、まあ無理しないようにとだけ告げられた。


周りが昼夜関係なく現場に出ているのを見ていると、「ぼちぼち」だとか「無理のない

ように」なんて言ってられない気分になる。  性格上、僕はそんな人間なので、どう

しても動いてしまう。 家に居たら居たで息苦しいしなあ・・・。

ま、こんな調子で「ぼちぼち」やってます。 苛々するけどねw

懲りもせず・・・完璧。

2012年05月19日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日の診察結果・・・フレームコルセットが外れた。(^^)
物を運ぶ作業をしなければ、仕事復帰してもかまわないと。
サポータ式のコルセットをもらって、そのまま連れの理髪店へ行き散髪。

家に帰ったのが12時半頃だったので、窓を開けて布団でも干そうか・・・と空を見上げる・・・もったいない。 月曜から仕事なんや、もったいない。

桜井へ行こう~!! (^^)V

電車賃200円で3時間、散策してきました。 え?何をって、古墳やん。
石の中に入りたい気分やったからさ。

もうくどくど説明書きなしで、写真だけアップすると・・・。

安部の文殊院境内にある、文殊院西古墳 ↓



素晴らしい!!この石室!!石組みを見よ!!



文殊院東古墳 ↓





谷首古墳 ↓ 名前が怖い・・・首ゲルゲが出てきそうな・・・(><)



中にもぐると、ほら!石舞台級の巨石が!! カメラのフラッシュで明るいが、入ったら真っ暗なのだ!! 時々、かまどうまの大群が天井にくっついていたり、コウモリがぶら下がってる場合もあるので、ちょっと勇気がいる。



石室から外を見る・・・こんなに狭い。



これが日本最大の高さ2.4m円筒埴輪が見つかったメスリ山古墳↓



とは言っても、墳丘長224mの前方後円墳は、現在古墳公園となっている。



その真横に在る、コロコロ山古墳 ↓





これこそ古墳であり、石室の魅力を堪能して来ました。(苦笑)

はい! これで悔いなし!! 

コルセットが無い分、幾分か早く歩けたんだけど、ちょっと腰痛が(--;
無理はあきませんね。 (^^;

古市古墳群へ

2012年05月18日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
いよいよ来週から出勤することにした。 明日の診察で主治医との約束では、この脇まである筒型コルセットがはずれるのだ。 これさえ外れれば、スーツも着れるし、運転も出来るようになる。 腰もかなり調子がよくなってきたように思う。

ということで今日は、最終のリハビリ兼、古墳散策を実行した。
それも、ちょっと無理しすぎ・・・のコースだったが、今日行かなければ、次の機会はない気がしたので。

古市古墳群を歩く・・・。



藤井寺駅に降りたのが、11時27分。 この駅に降りたのは33年ぶり、ちょうど藤井寺市道明寺にある三ツ塚古墳から石棺や石室の石や道具を運ぶソリのような「修羅」が発見され、それを見学に行った以来。(当時、中学1年生)



とりあえず腹ごしらえにと、見つけた黄色い店構えの「CoCo壱のカレー」!!と急いで歩けば、そこは「センチュリー21」だった。(--; オイ・・・似てるやん・・・。
仕方なく、イオンモールの中で、うどんを食ってまずは北方面、ファミマの角を真っ直ぐに進むこと10分、津堂城山古墳があった。
途中の道しるべと言えば、奈良のように大きなものはなく、写真のような見落としする小さなものだけ。



墳丘長208mの大型前方後円墳で、濠の周りは公園や、農地?になっており、周りは住宅で囲まれている。 古墳北側に、ちょっとしたガイダンス棟と公衆トイレがあり、今日は天気もよく、幼稚園児の遠足で賑わっていた。
 


写真は僕がセスナ機をチャーターしたわけでもなく、あとで記載する資料からの転用で、空から見た津堂城山古墳。 外周の濠を含めると、かなり立派な前方後円墳だと判る。



先に書いておくが、今回の「古市古墳群」は、個人的につまらない散策となった。
なぜかというと、時代的、地域的にも大型の前方後円墳が集中する場所で、小型の古墳があったとしても、未発掘だたり、発掘の後、石室が塞がれてあったりするので、大和の古墳に比べると、なんとつまらぬことか。 そう、僕は今日こそ改めて自分に確信が持てた。 古墳が好きなんじゃなくて、「古墳の石室」が好きなんだなと。(苦笑)
この古市古墳群の隣には、あの仁徳天皇陵とされる大仙古墳をはじめとする、百舌古墳群があり、このふたつを世界遺産にしようという活動があるくらい、大型古墳が集中する場所なのである。
・・・と、つまらなかったと書けば、これを見てくれてた方には失礼なのだが、せっかくなので書き終える最後までサラッと読んでもらいたい。w

足は来た道を戻り、駅の南側の商店街を歩いた。 しばらくすると、「葛井寺」という立派なお寺さんがあり、「葛井(ふじい)寺」と呼ぶらしい。 



知識・興味ないので素通りし、仲哀天皇陵古墳を目指す途中に、幼稚園?小学校?と住宅に囲まれて「鉢塚古墳」という墳丘長60mの小型前方後円墳があった。
う~む、ここもせせこましい・・・(--; 



少しもどり、分岐していた道に出ると、なんだか変な建物が見えた。



写真では木が邪魔しているが、屋根の上は「修羅」を模ったのだろう、「アイセル・シュラホール」という大きな建物があったので入ってみた。
中庭で、ギターとマンドリン、ボーカルの女性3人さんが練習をしていたので非常に気になったのだが、そのまま中へ入ると、市立生涯学習センターだとわかった。
2Fに少しだが、周辺の古墳から発掘された出土品などが展示され、ちょとしたビデオシアタールームなんかもあった。  1F受付に戻り、「このあたりの古墳マップなんかありませんか?」と訊ねたら、ありましたありました。 それをもらって、2F展示室で見た「古市古墳を行く」という豪華カラー63ページの冊子を200円で買った。
航空写真は、この冊子から転用・・・注意されたら消します。(^^;



ホールを出ようとした時だった、腰が・・・少し腰が痛む・・・や・ば・い・・・。

休憩コーナーで10分、ズレてきたコルセットをはめ直し、痛む箇所を確かめてみる。
うむ・・・骨折部分じゃなさそうだな・・・周りの筋肉かな。
コルセットに依存してしまって、硬直したままの筋肉もあるのだろうと、勝手な解釈で動き出す・・・おっけ! たいしたことないぞ。

仲哀天皇陵に行く途中、住宅内の駐車場の中にぽつんと「割塚古墳」という方墳があった。 「これもまた、どうでもいい古墳やなぁ~」とつい口に出すと、ちょうど側で洗車していたご主人、「犬のウンコ山になってるわ、あはははっ」って(--;



仲哀天皇陵 ↓



喉が渇く・・・今日は暑いが、湿気はないのでましだ。 国道を渡って「蕃所山古墳」に向かう途中、コンビニでガリガリくんと、ポカリを買って日陰で座り込むこと5分。

これもまた、判りにくい場所、住宅地に隠れた「蕃所山古墳」発見。



5世紀頃の直径22mの円墳で、国史跡・・・国の史跡ならさあ、もうちょっと・・・まあ、ええけど。 円墳だから、ここは石室見れるかな?と思ったがここも残念。

先ほどもらった地図を広げ、西名阪自動車道の見える手前、ちょうど外環状線かな?を横断して、次は「はざみ山古墳」・・・墳丘長103mの前方後円墳を見る。



しかし今日はすぐに疲れる・・・やはり、こうアスファルトの道ばかりだと、空気も悪いし、仕方ないのかなと。

野中交差点・・・あぁ、うまそうな吉牛が見える。



吉牛のちょうど裏手になるのかな、野中宮山古墳があった。 ここも幼稚園の横にあって、墳丘長154mの前方後円墳の後円墳部分が神社になっていた。



ここで、もう一息、ベンチに座り、スマホのGPSを使い、地図と照らし合わせて次の目標地点の確認。



次の「青山古墳」も円墳だけど、地図からすると住宅地の中・・・ここもただの小山なんだろうなあ・・・と歩く。 見つけた・・・やっぱり。(><)



さらに歩き、羽曳野市役所方向に向かう。 「よし、この辺りの3、4基を散策して終わろう・・・ちょうど古市駅があるし。」

浄元寺山古墳(67㎡の方墳) 石室見れず。 ↓



向墓山古墳 ↓ 向かいは羽曳野市役所 案内板見ただけ~(もう気力喪失)



墓山古墳 ↓(墳丘長225m 前方後円墳)





しかしだな・・・市をあげて、古墳のある古市だとかアピールしてるわりには、古墳の保存というか、環境整備がいまいちだと俺は思うのだが・・・。

駅に向かう最後に立ち寄った「西馬塚古墳」・・・はい、これも住宅の中でした。



古市駅にたどり着いたのは4時20分・・・10時半に家を出てよく歩いたものだ。

さすがにこのブログ、寝転んだまま打っている。(^^;
腰が・・・というよりも足が・・・痛い。

古市古墳群・・・大和に劣らず、なかなか見ごたえのある群集だった。
中には、石室開口の古墳もあるのだろうか? 今度、確認してみよう・・・って、懲りてないのか俺は。(苦笑)

ここまで目を通してくださった皆様、ありがとうございました。 (感謝)

明日、最悪の事態になってないことを祈る。


3時間660円の史跡散策

2012年05月13日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は、畝傍山周辺を歩き、体調に余裕があれば高取町の市尾駅まで足を伸ばそうと昨夜から計画していた。

12時10分、ウォーキングスタイルで家を出る。 いつもの通勤コースを徒歩で歩き、10分もすると大和三山のひとつ、畝傍山がでん!と見えてくる。



この山の後ろが橿原神宮で、今日はその西側にあるスイセン塚古墳、そして神武天皇陵には行かず、近くのイトクノモリ古墳を目指す。 奈良に住んでて、古墳好きでいまさらと思われるかも知れないが、このふたつ、古墳といっても形がはっきり判らず、何の楽しみもない小山を見るだけなので、今日までずっと無視していた。(苦笑) そう、わざわざ行くこともないだろうみたいな・・・埋葬者のお偉いさん、失礼。

家を出て25分、調べておいた慈明禅寺参道を見つけ、スイセン塚古墳の看板を発見。



だが、話には聞いていたがどこにその古墳があるのか判らない・・・が、長年の古墳ウォッチングで訓練された目で、この丘だろうという場所をみつけた。


看板の後ろはお寺さんのお墓なので、撮影して何か写ってしまったら怖いので違う角度から・・・。立ち入り禁止の看板の後ろの丘が全長69mの前方後円墳である。
ここは昔、第二代・綏靖天皇の陵に比定されていたらしく、そのおかげで未調査のままになっていたため、墳丘がきれいに残っているらしい。スイゼイがなまってスイセンと呼ばれるようになったとか・・・。(発掘してほしい!!)

35年間の心残りをひとつづつ削除するかのように、次は橿原神宮参道側へ向かってイトクノモリ古墳へ。



橿原体育館が見えたら、その向かいの森林へ入っていくと、池田神社(イトクノモリ古墳)の看板があった。



全長30mの小型前方後円墳、おまけに高さ1.2mというから、ようするにこの神社境内全体が古墳なのである。 ここも発掘未調査となっており、1980年に前方部の土を削った際に出土した土器や石器をめぐって学会で論争があったとか。
ここも大昔、第四代 懿徳天皇(いとくてんのう)の墓治定候補地にされていたということで、イトクノモリ古墳となったらしい。 (ここも発掘してほしい!!)

さて、やっぱり石室が見れなきゃ何の面白みもないということで、足は痛いが腰は大丈夫と判断、橿原神宮駅までそのまま歩いた。

市尾駅まで270円の切符を買い、久しぶりの近鉄吉野線。
22歳まで軍人、いやいや吉野郡人だった僕には、このホームが懐かしい。

すぐに電車は来て、岡寺、飛鳥、壷坂寺、そして市尾駅に着き降りた。



ここから行く、市尾墓山古墳と市尾宮塚古墳は初めてではない、それこそ20数年ぶりに行くのだが、20年以上も経つと、当時よりきれいに整備されていたり、逆に自然崩壊していたりするもので、このふたつの古墳は整備されていた。

駅を降りて西北に400m歩いて、天満神社の奥に宮塚古墳がある。



うぐいすがさえずり、森林の冷たく、おいしい空気が体を癒してくれる。
「頼む、頼むから蛇出るなよ!」 足音を強めにたてながら階段を上る・・・。



罰当たりだが、神社には一切興味がない俺・・・(苦笑)
初詣なんかでも、賽銭のことを捨て金だと言う俺・・・(すんませんなあ。)
この神社の右奥に進んでいくと・・・



宮塚古墳・・・全長44mの前方後円墳で、おもしろいことに、石室を覗き込もうとすると、センサーが反応して石棺(棺おけね)がライトアップ!! こんなの昔なかったぞ~(苦笑) 凝灰岩で造られた刳り抜き型の家型石棺で、その床周りには、Y字型の排水溝が掘られている。 これはあの有名な明日香村にある石舞台古墳の床でも見られる。(国指定史跡)

さてさて、足もくたくた、腰もコルセットがあたって痛い・・・最後に向かったのはそこから歩いて5分の側にある市尾墓山古墳。



見事な裸体・・・セクシーな前方後円墳だ。 
6世紀全半の古墳で、宮塚古墳同様、凝灰岩で造られた刳り抜き式家型石棺が残っている。 策の扉が汚れたプラスチック製の覗き窓だったので、撮影しにくかった。
ここも同じく、センサーが反応して内部を照らしてくれる。
この辺りの巨勢氏一族の墓とされる。

以上、4つの前方後円墳を今日は散策出来た。
昔は仲間と、どこまでもこうやって歩いていたのに、大人になってからは車があたりまえ、だから駐車スペースに困って行けない事の方が多かった。

療養中なのに・・・(苦笑) いや、こんな時しかね。 

今日は270円の切符2枚と缶ジュース120円一本の660円しか使っていない。

家に帰ったのが3時半頃だから約3時間で、これだけ好きな時間を過ごせました。

タイム イズ マネー ですな。

懐かしいパンフが出て来た。

2012年05月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
引っ越して19年間あけてなかったダンボール箱から出て来たパンフがこれ、1991年に大阪城ホールへ友達のS君と観にいった、ジョージ・ハリスンwithエリック・クラプトンのコンサートパンフ。 しばらく感動したままぼ~っとしてしまった。



この頃は、クラプトンも好きだったので、一緒に来日なんていうから、狂ったかのようにチケットを買って毎日騒いでたのを思い出す。 あくまでもメインはジョージなのだが、クラプトンが出て来た瞬間に物凄い歓声があがったものだ。 クラプトンがスローハンドで弾くたびに、前の席のオッチャンが酔いしれて首を横に動かす・・・つられて僕も動く・・・(苦笑) クラプトンが数曲演奏した後、「セット・オン・ユー」で再び現れたジョージにもまた大興奮だった。 またこの時にクラプトンが連れてきた「HIS BAND」には、僕の大好きな天才パーカッションの「レイ・クーパー」がいた、そうそう、そうだった・・・。
僕は今でも、4人の中ではジョージが好きだな、あの苦虫食ったような顔と声。 もっとインドにハマッてくれたらよかったのに(笑)

同時期、夢中になってたのはブルース・スプリングス・ティーンとフリート・ウッド・マックで、今でこそアコースティックギターしか弾いていないが、あの頃はブルースに憧れてテレキャスを家で弾きまくってた。 嗚呼、懐かしい懐かしい・・・。


考古学な一日。

2012年05月08日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は診察日・・・といっても整形じゃなく内科のほう。 高血圧症で通う市内の病院へと、昼前から出かけた。 コルセットを隠すようにポロシャツを着て、バックにはウォークマンと財布、スマホとカメラ。・・・ん?カメラ?(苦笑)
そう、今日はちょと無理して診察のあと、リハビリがてらのウォーキングを企んでいたので。

診察を終えて、血圧降下剤をもらい、家の側を通り抜け、今井町を抜けて橿原神宮参道~橿原考古学研究所付属博物館へと。



今井町の町並みは、我が家から数分の場所にあり、ここは600軒余の民家のうち、約500軒が江戸時代からの建物様式を残す民家で、8軒がわが国の重要文化財、4軒が県指定文化財、5軒が市の文化財とされていて、中には洒落た茶屋、アトリエ、醤油造りの家なんかもあって、着物を着た女性に出会うと、少しタイムスリップした感じがする。 まあ、僕はこの時代には興味ないので、近所にあってあまり無知な場所である。

橿原神宮参道入り口までは家から30分ほどでたどり着くことが出来た。 普段、絶対に徒歩でなんて考えることのない場所・・・歩けば普段見えていなかった景色や、発見がたくさんあるものだ。 ウォークマンというものは素晴らしい、好きな曲を聴きながら歩いていると、結構苦痛なく、どんどん進んでいけるものである。 今日は斉藤和義のアルバムと、かなり古いが山下久美子のアルバム、二ール・ヤング、クイーンとバラバラな趣向のBGMだ。(^^)

橿原考古学研究所付属博物館までは、一時間以上かかってしまった。 途中、コルセットがずれてきて、何度か立ち止まっては一息つきながらだったから。何もなければもう少し早く歩けるのだろうけど・・・


ここは、年に一度くらいは訪れる場所で、橿原市を中心に、県内の発掘調査された際のいろんな出土品が、石器時代~縄文時代、弥生・古墳時代~飛鳥、奈良時代、平安、鎌倉時代~と順を追ってコーナー別に展示されていて非常におもしろい。
今日は、春季特別展として「三国志の時代」というコーナーも観ることが出来たのと、毎日3回ほど係員による説明つきでブースをまわることの出来る時間があるらしく、ちょうどその時間に入場したようで、僕ともう一人、京都からきたという男性と二人だけのために、年輩の女性係員が90分ほど一緒に説明しながらまわってくれた。



途中、古墳時代のコーナーで、もうひとりの男性が、とある質問を女性係員にぶつけたのだが、僕はその返ってきた答えが、適当であり大間違いだということを解っていた。 でも、言えなかった。(^^;  言ったほうがよかったのかな・・・?  でもあれはあかんやろ・・・ってな答えだったのは確かだったな。

帰りはさすがに疲れた。 これはリハビリと言える距離じゃないのは、わかってたけど、家にいても一日に何の変化もないのが耐えられなかったからね。



久しぶりに橿原球場のある公園のベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら畝傍山をぼう~っと見ていた。 「よし、がんばって歩いて帰ろう。」・・・ 満足だった。
一日の時の流れを、自分の肌で感じながら大切に過ごせたのだから。