もし、何でもいい、下手でもいいから一冊の本を書けと言われたならば、僕はタイトルを「青春のBGM」と題して、財津和夫さん率いるチューリップについてどこまでも書き続けることが出来るかも知れない。
記憶を辿れば中学2年か3年の頃、当時、映画音楽しか聴かなかった僕が、ちょうどFMラジオのエアチェック(死語)を通して、70年代フォークやニューミュージック(これも死語)と言われていた歌ものに、どっぷり体ごとはまっていた時期があった。その頃、たまたま観ていたテレビの歌番組で、衝撃的なメロディとコーラスワークに思わずノックアウトさせられたのがあのヒット曲、「虹とスニーカーの頃」だった。 決して裕福な生活ではなかった我が家には、新聞配達で買った東芝のステレオラジカセが唯一の音楽ステーションで、レコードの代わりに「チューリップBEST」と書かれたミュージックカセットテープを、下市口商店街にある西中レコード店で買ってきては、擦り切れるくらいに毎日聴いていた。
高校入試前にいった森本理髪店で、順番待ちで何気なく読んでいた雑誌の片隅に「新生チューリップ・NEWアルバム発売」と書かれていたのが、第二期メンバー編成直後に出されたアルバム「THE LOVE MAP SHOP」だった。 「よし、受験合格したら、自分で自分の合格祝いとして、このレコードを買って帰ろう!」そう心に決めて、数日後の合格発表の帰り、王寺駅前にあるレコード店で買って帰った宝物が、写真にあるLPレコードである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/d6/6c71196efac28f01102b1324134d672a.jpg)
今でも僕の部屋には、第一期メンバーから第三期メンバーまでの20枚以上のLPレコード、CDアルバムが大切に保管してあり、これらの楽曲のひとつひとつに、誰にも譲れない大切な思い出がかぶさって存在する。 どれを、どの曲を聴いても、頭の中には薄れかけてはいるものの、当時の学校生活の思い出、片思いで終わった彼女の思い出、文通していた彼女との思い出、酔っ払って帰ってくる親父の嫌な思い出(苦笑)と、それはまさしく「青春のBGM」として存在する。
観客動員数8000人を集めた、伝説の野外、鈴蘭高原コンサートが1978年だから、僕はその後の1979年、ちょうどチューリップ黄金期からのファンということになるのだが、そこから1989年の解散コンサートまでの10年間は、近畿圏内のコンサート会場にどれだけ足を運んだことか・・・。
文頭にも書いたように、チューリップを語ろうとすると、何回もタイピングを間違うくらいに指があせってしまい、いくらでも語りたくなる・・・たぶん、過去のブログやホームページでも、くどいくらい同じようなことを語っているんだと思う。
ギターをはじめたのも、財津さん、あなたのせいです。
ビートルズを知ったのも、財津さん、あなたのせいです。
悲しいメロディーには、明るい歌詞を・・・明るいメロディーには悲しい歌詞を・・・
そう歌っておられたから、あなたの楽曲はカッコよかった。
「大きな宇宙から観れば、僕らは、小さな小さな、塵のような生き物」そう歌っておられたから、僕は何度もくじけずにやってこれました。
「恋はいつもカラー写真、愛はいつもモノクロ写真」そう歌っておられた意味が、なんとなくわかる歳になりました。
「悲しいことやつらいことに涙するより、嬉しいことや美しいものに涙しよう・・・」
そう歌っておられたから、今でも時々、悲しい気持ちになると、青空をみたくなります。
財津和夫さん、すべてあなたのせいです。
そして、僕のチューリップへの思いは、長女の名前にも起用することになる。
メンバー姫野達也さんの長女の名前が「詩歩子」、僕の長女の名前はそこから少し頂いている。(笑) その娘も、今年高校受験・・・なんでも音楽科のある学校を受験するとかで、現在、ボーカルとピアノレッスンに通っている。