さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

洋楽が好きなわけ・・・なのに?

2013年06月30日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
僕が洋楽を好む理由・・・素直にいい曲がたくさんあるからだ。




よくこんな事を訊く人に会う、「英語解らないのに聴いてて面白いんですか?」

そんなこと言うあんたがアホだ。

俺は英語を楽しんでるわけじゃない、「音楽」を楽しんでるんだ。
もちろんその曲の意味が分かったほうがいいので、安い輸入盤より日本語訳歌詞つきの日本盤を買うし
歌詞を楽しみながら聴いたりする。 そんなの当たり前で、「英語解るの?」としょうもないことを
訊くやつのほうが、音楽を楽しむスタンスとしてどうかしてる。
それに、日本の音楽(ロックやポップス等)がいくら頑張ったって、所詮輸入された文化の「ものまね」
でしかないんだから・・・。唯一、過去にビルボード入りしたのは坂本九さんの「上を向いて歩こう」
だけであって、日本でいくら売れてるミュージシャンであっても、スティービー・ワンダーなんかと
肩を並べてステージに立てるものじゃない・・・しいて言えば坂本龍一さんや葉加瀬太郎あたりなら
通用しているのかな? とにかく洋楽には、いい曲というよりも「ものすごい曲」がたくさんあるのだ。

だからといって、邦楽すべてをバカにしてるわけじゃない。
邦楽には素晴らしい、「日本語」という美しい言葉の世界があるし、日本人にしかわからないメッセージを
歌うアーティストだってたくさんいる。
ただ、現在の邦楽シーンにおいては、もう終わってる感があるのは確かだ。
3年・5年前のヒット曲のコードを変えず、メロだけ変えて歌手も若い新人を用意して売り出す。
だから売れるのは当たり前で、「あれ?どこかで聴いたような曲だなぁ」ソングがヒットチャート入りする。
100均の品物感覚、使い捨て出来るほどウジャウジャと歌手を目指す人材はいるわけだし、そのほうが事務所や
レコード会社は効率よく運営出来るんだからね。
とある俳優兼ミュージシャンなんかは、「俳優も出来てロックも出来る奴」として最初から売り出すつもりで
作詞・作曲なんか出来ないくせに、本人が作ったように見せかけ、実は超有名なミュージシャンがゴーストとして
携わってるパターンが大いにして実在する。 俺は騙されるのは嫌いだし、そんな自分の言葉を吐かずして
歌ってるやつなんか、ロックミュージシャンとして認めたくない。 それなら最初から、歌謡曲を歌う歌手として
そいつを聴くよ。 そんなんだから、邦楽シーンはもう終わっちゃってるんだ。
いつからだろう? 70年代フォークで活躍していたアーティスト達が、現役で音楽雑誌を賑わせていた頃は
そうでもなかったはず・・・やはり80年代後半以降か、ようするにアルバムを出しても売れなくなった時代
からなのだろう。 僕らが音楽を始めたころは、レコードを出せるようになりたい・・・ってのが夢のひとつ
でもあったはず、だけど今はプロに近い音源で、簡単に自主制作出来てしまう。 またそれを「レコ発ライブ」
だとか言って、平気でお金をいただく始末。  どうかしてる・・・。
プロとアマチュアの壁を、ごちゃ混ぜにしたのは、業界だけじゃない、僕らのようなアマチュアミュージシャンの
一部の人たちによる「勘違い」もそこには関係してるんだと思うのは俺だけかい?
俺は逆に、アマチュアミュージシャンたちのライブにこそ、ホンモノを感じる。 だからこそ、あんな世界の音楽
と一緒になったらあかんのや! みたいな意気込みをみんな持ってほしいと思う。
本当に音楽で飯を食いたいなら、歌いたくない歌を歌ったり、人形にでもなって本業にすればいい、だってさ
それが仕事なんやから堂々とすればいいじゃないかい? でも、自分の歌いたい世界を極めたい、伝えたいこと
を歌いたい・・・そんなメッセンジャーたちは、別にプロを目指さなくてもいいんじゃないかい?

あれ・・・洋楽と邦楽の話をしてたのに脱線してるぞ・・・(><)

話を戻して・・・そう、洋楽には歌詞が解らなくても、音楽として聴くだけで「ものすごい曲」がたくさんある。
俺は英語の歌詞も、楽器の一部だと捉えて聴いてるからね。
あ~なんだか書いてて疲れたよ(苦笑)

2013年06月25日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
7年経過して、定期的な診断も1年に一度にしましょうかと主治医から言われてたらしい。 でも妹は、それでは少し気になるからせめて年に2回の診断をと
希望していたやさきのことだったから、今回は大変なショックを受けている。

兄妹3人の末っ子だった彼女は、3人の中でも一番苦労しながらも一番しっかりた性格。
負けん気の強さは、7年前の抗癌剤治療中、昼間は会社の事務をこなし、夜は回転寿司のアルバイトと、高額治療費のため働いていた。
そのころは、まだ甥っ子も保育園・・・髪の毛が無くなってた母親に気づいていたのかどうか・・・

ただ、今回はいろんな意味でかなり辛いと思う・・・。

家族や職場では平然を繕う彼女も、俺の前では泣きながらこういう・・・「お兄ちゃん、息子にどう話したら・・・」

「母親が病気と闘う姿を、見ておくんやでって言うくらいの気で話さなしゃあないやろな・・・」と俺は言った。

入院するんじゃなく、自宅療養での抗癌剤治療。 隠しても毎日家に居る母親を見てたらすぐにわかること。

母親が病気と闘う姿を見て、最初はショックを受けてうつむくだろう・・・でもきっといろんな事を自分で学ぶだろう。

妹はここ2年間、俺がお世話させていただいてる特養ホームの施設で、日常清掃スタッフの一員として働いてもらっていた。
女が3人以上集まると、つまらぬことでイザコザを起してくれる。 誰がどうした、ああした、ちょっと話をきいてくださいよ・・・ってね。
結局、いがみ合ったり、派閥を作りたがったり、若い子を辞めさせてしまうこともある。 そんな様子を、彼女はいつも「いいかげんにしてよ!」
「文句言わんと黙って今日するべきことをやってよ!」「お金いるから働きに来てるんちゃうのん?」てな具合に、俺が言わんとすることを
代弁してくれてたものだ。 

そう、この仕事がきついだの、時給が安いだの、休みがないだの、そんな甘いこと言ってられる時代じゃない。
なんなと働かないと食っていけない、生活出来ないんだから、他にいいとこあると思うんだったらさっさと辞めてくれ!ってなものだ。
彼女も俺と一緒、中学校・高校時代は朝刊配達をしながら、自分の身の回りのものは自分で買ってきたんだから、甘い考えの人を見ると
腹が立って仕方がないのだろう。 そんな頑張り屋で、真面目なあいつにどうして・・・って俺だって思うよ。

神様? そんなの居てるんだったらなんだってするよ、妹を助けてくれるならね。

俺は俺の出来る位置で、妹を応援し続ける。

そして、俺もつまらんことで弱音を吐かず、働ける場所でしっかり働き、毎日頑張って生きようと思う。

頑張れ!!幸枝!! 目の前で「頑張れ」は言いにくいからここで・・・頑張れ!! 頑張ってくれ!!




昼下がりのLIVE

2013年06月22日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
今日は奈良市富雄北にOPENした、Cafe Cocochino というお店でのOPENING LIVEに出演させてもらった。 

ここは音楽仲間KADOYAくんの知人、Kikiさんという素敵な女性が経営するお店で、オープン祝いの花で店内は埋まっていた。
それがまたいい香りが店内いっぱいに広がり、花の似合わぬ男だが、花の香りに癒されながらのリラックスライブだった。
まあ、20人前後のお客さんが来られ、ライブは無事成功に終わったのだが、一番手の俺が歌っているときの写真がないので
主催者のKADOYAくんが歌ってる写真をとりあえずアップしとこうと思う。


しかしだなあ、いつも思うんだよなあ・・・誰か気をきかせて写真の一枚くらい撮影しておくれ~(泣)

本日のセットリストは 昼間のCafeということもあってコピーをめずらしく入れての

1)時には昔の話を (加藤登紀子)
2)ひまわり
3)暑中お見舞い申し上げます
4)別れの予感(テレサ・テン)
5)22時のバーガーショップ
6)飛鳥の路
7)分岐点

来てくれた ゆはず君、みどさん、ありがとう。
そしてたくさんのお客様、僕の歌を聴いていただきありがとうございました。
堅いMC、疲れませんでしたでしょうか?
そして誘ってくれたKADOYAさん、オーナーのKikiさん ありがとうございました。
おかげさまで有意義な時間と、また新しい出会いをいただけたこと感謝しております。
今後ともよろしくです。

しかし太陽が昇っていると、調子が狂うものだ。(苦笑)

さあ、明日は仕事だ、頑張ろう・・・。

回想その2

2013年06月02日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
4月に16年使ってたPCがお釈迦になってから、ホームページの再築に頭を悩ませ、結果、プロに依頼することを決心してようやく完成。 
HTMLが何なのかすら解らず、ホームページ制作王とかいうソフトで作っていたから、センスもへったくれもなかったが、やっぱり他人に依頼して正解、すっきりした。
「ならフォーク村」の存在意義はいったい何なのだろうか?と考えながらも、7年続けてきた事実に驚き、簡単に辞めるべきでもないと気づく。
仲間の一人がこう言ってくれた・・・「きっと俺もながたさんも、損得勘定なしで行動してしまうのは、それで喜んでくれる顔が見たいからでしょうね。」
そう言われて納得したのもあって、今後、この「ならフォーク村」をもっと仲間のお役にたてるサークルにしたいとも思った。
基本、俺にはやっぱりサービス業でお客さんとのふれあいを通じて、自然と養われてきた「サービス精神」が宿ってるみたいだ。

2か月前、数年背負っていたリュックを降ろすことが出来た。
35歳で脱サラを夢見て梅田の「喫茶学校」へ通い、そこで知り合った講師の誘いでとあるネットワークビジネスにひっかかってしまい、夢どころか大きな借金を作ってしまった。
絶対にそんな話には乗らない自信があったのに、K製鋼ラグビー部元キャプテンやら、有名女子マラソンランナーなんかが一緒にこのビジネスをやりましょう!ときたわけだから
脱サラ開業資金を目的に、まんまとひっかかってしまったのだ。
その後、再びサラリーマンに戻るが、借金は数年で雪だるま式に増え続け、朝刊配達を始めて1年後、本業の営業車で玉突き事故を起し、その会社も退職することになった。

苦しかった・・・本当に辛かった。  過去に6年間、朝刊を配った経験があったが、それは学生時代・・・大人になってからの睡眠時間3・4時間が1年以上続くのは辛かった。

そして妻に数年隠し続けていた借金だったが、悩みに悩んだ結果、自分の罪をさらけ出すことに決め、司法書士との相談の結果、法的処理を行った。
その後の俺は、自分で自分を罵り続けるようになり、転職もなかなか決まらず、送った履歴書は30通を越え、心はどんどん蝕まれて行った。
家にいるのが辛くて、ある日、奈良の興福寺の「阿修羅像」を見に行った後、何十キロも徒歩で歩いて帰ったことがあった。
途中、疲れ切った足で電車に乗り込み、最寄り駅のホームについたとき、目の前に車椅子を押しながら歩く姿・・・阪口夫妻だった。
「夕涼みに来ただけや~」・・・そんな馬鹿なことはない・・・閉店間際のドーナツショップでコーヒーをご馳走になりながら、何を語ったのか思い出せないが、ふたりの笑顔は忘れはしない。

それから間もなく、短期間の派遣アルバイトが決まった。
ギターもCDコレクションも機材もすべて売り払い、「音楽なんかしてる場合じゃない」と言い聞かせ、アルバイトに行く途中、一本の電話が鳴った。
「兄貴・・・歌うことはやめたらあかんって・・・兄貴らしくないって・・・」
竹本信幸・・・彼の言葉は救ってくれた・・・電話を切った後、自転車を漕ぎながら号泣きしていた。

その後、タイミングよく、そっさんが一緒にライブに出ようと誘ってくれた時に、ギターがないだろうとJAGARDを譲ってくれた。
弾きこむうちに鳴り出したギターを、フォーク村コンサートの楽屋で「お!よく鳴ってますやん。帰っておいで・・・」と彼は言ってたが、これはもう俺のものだ。

5年前、とある人脈を通じて現在の「おそうじ会社」に就職出来た。 週休二日制だとか、年に二回の賞与だとかが当たり前だったD社時代とはまったく逆転した職場ではあるが、
自分で何も出来ない、情けない50歳前の男を雇ってもらった恩を簡単には裏切れない。

これまで自分が作った「ならフォーク村」をはじめ、音楽仲間とのふれあいは、何よりも大きな治療薬となった事は事実だ。 ここには書いていなくても、たくさんの仲間の笑顔や
言葉にどれだけ救われたことだろう・・・忙しく過ぎ去る日常の中で、忘れてはいけないことだから、いま改めてこうしてブログに書いてみた。

いつも みんな・・・ありがとうね。