さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

夏の月が見ていた

2017年07月09日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
夏になると時々この曲がラジオや有線でかかってるね。
冷房の効いたひんやりした部屋
帰れない理由を考えては 君と朝まで過ごした日々
「俺たち二人のような歌だな・・・。」
そうつぶやいたあの夜、君は「杏里のコンサート行こう!今度、大阪であるよ!」と嬉しそうに言ったよな。
いつだったか、その日行ったコンサートの記憶が殆ど残ってないんだ。
なぜだかわかるよね・・・。

よくない事をしていたふたりだったけど、答えを出したのは俺だった。
そう、一番卑怯なやり方でね。

結果的にはそれでよかったんだろうけど、嘘が傷になったまま君を苦しめたことは悪いと今でも思っている。

「夏の月」

今夜は珍しく聴きたくなったんだ。


長文だし、スルーしてもええでw

2017年07月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
ちょとわけあって久しぶりに冷酒をw
Facebookで昔聴いてた映画音楽をYoutubeからリンクアップしてたら、学生時代のいろんな思い出が頭を駆け巡っては、それが時にいい思い出だったり、また忘れてた嫌な思い出だったり・・・。

今思えば、なんて贅沢な生活を送っているんだろうと、やっぱり思ってしまう。
トタン屋根二間の貧乏小屋・・・そう、それは今から思えば家というものじゃなかった、玄関の鍵もなく、食卓もなく、6畳二間と二畳くらいの台所があるだけの空間、雨が降るとトタン屋根の音がうるさく、テレビの音が聞こえないw
ゴキブリは飛ぶわ、ネズミは布団中に入ってきては足で知らぬ間に踏み殺してるわ、ナメクジやムカデはしゅっちゅう部屋中に出現するわ、そんな中で、大酒のみの親父と世間知らずの母親、そして妹ふたりとの5人が住んでたんだから、今の暮らしを考えると、いくら時代が変わったとはいえ、贅沢な暮らしをしてるんだなと気づく。
懐かしい昭和の曲を聴くと、決まって頭によみがえる記憶は、酒に酔いつぶれては、大きな声で「おまえら!殺しちもうたるぞ!よぉっ!」と叫びながら夜中、近所に迷惑をかけながら帰ってくる親父の姿。 それが嫌で嫌で、妹ふたりと俺はいつも笑い飛ばそうとするかのように、テレビの前でちょけて(ふざけての意味)は、必死に楽しいことを話したりしてた。 
親父が帰ってくると、決まっておかんと喧嘩、挙句の果てには殴る蹴るが始まり、いつだったか俺があまりも腹が立って、ガラスで出来た分厚い灰皿を投げつけたもんだから、親父の額から血が噴き出したのを鮮明に覚えてる。
当時はそれこそそういう時代だたのかな? いわゆる「ヒロポン」とかいう薬物が広まってたのか、うちに来る親父の悪い連れは、そんなものを持って入ってくる奴らもいて、子供ながら「こんな奴らがおるから、親父がダメになるんや!」と恨んでたものだ。 親父が実際、同じようにそんなものを打ってたところは見たことがなかったが、親父が死んでから一年ほど経ったころだったか、制服姿の刑事が二人来て、当時出入りしてた連れの件で家宅捜査させてもらうときた時には、刑事にも嚙みついた。 そんな悪い連中しか友達にいなかったのも、親父の若い頃の写真を見れば、ああ仕方ないかなとも思う。 風呂場で右肩に中途半端に入ってた桃?のような刺青を見た時に訊いたものだ、「おとうちゃん、なんでここだけなん?」「ああ、痛かったから途中でやめたんや」だと(苦笑) ようするにチンピラだったわけねw まあ、根性なしというか、悪になりきれなかったとでもいうか。
ただ、親父は酒さえ飲まなかったら、めちゃ働く男だった。 トラックの運転手をしてた頃もあったのに、なぜあんなに貧乏暮らしだったのかが、未だに謎すぎるんだが、まあ、酒と女と見栄っ張りがそこには関係してるんだろう。
そんなろくでもない親父だたが、素面の時に見せる寂しそうな顔や、言葉からは、子供のためにこの貧乏生活をどうにかしなきゃならんという葛藤があるのは感じていた。 だからそんな突っ込んだ話も出来るようになるかなと思ってた頃に肝硬変で親父は逝った。 当時二十歳でわけわからず喪主を努めたんだが、そりゃ保険も本人が生きてるときに解約しまくって借金はあちこちにあったけど死んで降りる保険金など一銭もない、だから自分が勤めてた会社から借りて葬式をしたという、まあ、大変な騒ぎだった。 そんなこんなでその後もここでは書けない、書いちゃいけない?(苦笑)出来事もあったりで、23歳の時に、生まれ育った吉野郡大淀町の貧乏暮らしから脱出することになるわけだが、新天地「奈良県大和高田市」そして結婚して「奈良県橿原市」今はいまでいろんな問題を抱えながら生きてますが、少々の事では驚きもしないし、弱音を吐いたとしても乗り越えて行く自信はあったりする。 これは妹ふたりもそうだろうと確信するw
誰に読んでもらいたいのか長文を久しぶりにブログに書いてしまったが、こうして誰かに読まれてでも、惨めだった貧乏少年がそのまま大人になって生きてこれたのは、まぎれもない今、一緒に遊んでくれてる仲間、そして幼なじみの友達がいるからであって、自分が寂しがり屋なのをさらけ出せず、意地張ってたら今頃どこかでくたばってただろう。 ありがとうなぁ ありがとう、みんな。 糖尿病で一番禁じられてるんやが、今夜はいろいろあったから冷酒、ちょっと飲んで気分ええからさあ。