レンタル店で借りた映画『パブリック図書館の奇跡』の感想です。
本作は、アメリカのある公共図書館の元副理事がロサンゼルス・タイムスに寄稿したエッセイを元に11年の歳月を費やして製作・監督・脚本とともに、主演で図書館で働くスチュアートを演じたエビリオ・エステベス氏によるアメリカにおける様々な社会問題に焦点を当てながら世界中の国々のあらゆる社会においての様々な問題を考えさせるような映画だった気がします。
舞台はとあるアメリカの公共図書館。映画の最初のシーンで図書館員の資質について語っていたシーンがありました。「本が好きで人が好き、この二つが当てはまったら図書館員に向いていおり、年配の人とも若い人ともうまくやれて、どんな立場の人ともやって行けたら、図書館員の仕事は、自身の喜びが人に伝わっていく職業です。」とモノクロの図書館の背景をバックに流れていました。この映画は、主人公のスチュアートが、図書館員としてのこの信念を常に秘めながら、自身の喜びが人に伝わっていくように最後まで知恵を振り絞って自ら奮闘、体験した喜びがピカイチ光っていた映画だったと思いました。その信念と行いは、偏見や固定観念を超えた人としての在り方や社会の在り方を教えてくれているような映画でした。
スチュアートが勤める図書館では開館時間を待ち遠しく待つ常連のホームレスの人々がたくさんつめ掛ける図書館でもありました。大寒波がやってきた日、ホームレスたち約70人がスチュアートが勤める図書館にやってきて、大勢のホームレスの人々に寄って3階のフロアを占拠されるようになりました。政府が用意した寒さを凌げるシェルターは満杯状態で、路上にいると凍死してしまうような危険な寒さを凌ぐ場所として図書館にやってきたということでした。図書館を取り巻く様々な人々の思惑が交差して、警察やマスコミも大勢押しかけてきて、大きな騒動に発展して行きます。いろいろな窮地に陥って行きながらも、占拠されて何かが起こるかもと想定している図書館外の動きや図書館の取り巻きの人々の作り出すFAKE NEWS にもめげずに、図書館を求めてやってきたホームレスの人々とうまくやって行こうと常に実直に誠実に対応していくスチュアートの様子が描かれながらストーリーは進んでいきました。
図書館の権利宣言の採択の基になったスタインベックの「怒りの葡萄」の一文を読むシーンや利用者のプライバシーを守るシーンを観ると彼が立派な真の図書館員だったことを立証していました。
映画の中で冒頭と最後に流れる「I Can See Clearly Now」を歌うシーンもとても印象に残りました。その歌を歌うホームレスの人々のいで立ちとこの歌の歌詞が心に響いた映画でもありました。図書館員として図書館の存在と本に助けられたことがあったスチュアートが図書館員としてどんな対場の人々にもそれぞれの人々に必ずあると思われる喜びをちゃんと伝えることができたというスチュアート自身の喜びでもあったのだろうと思いました。最後のシーンで、晴れ晴れとこの歌をみんなでともに歌っていたシーンは、外見はとても滑稽に見えるかもしれないけれど、スチュアートとホームレスの人々の心が通じ合っていたという人と人との基本的な繋がり方、社会の在り方を魅せられた映画でもありました。