![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ec/03e77c116cddf7585a7d5a297d734680.jpg)
今日は桃の節句、我が家にも娘が三人居たが祝いをした憶えがない?高度成長期は誰もが仕事人間で朝早く帰りも遅く休日も少ない、「働き方改革」など思いもよらなかった。おまけに年々物忘れ?関心ない出来事は排除される設定がなされているのだろう。そんな桃の節句の昔話が今の時代を風刺、考え過ぎとは思うが書き記してみた。
「昔々ある村におばあさんと美しい娘が二人で暮らしていました。ある年の田植えの季節におばあさんは町へ買いものに出掛けました。帰りに田んぼのあぜ道を歩いていると、ヘビがカエルを追いつめて今にも飲み込もうとしています。「これこれ、なにをする。許しておやり。欲しいものがあれば、わしがやるから」カエルをかわいそうに思っておばあさんが言うと、ヘビはおばあさんの顔を見あげながら言いました。「それなら、娘をわしの嫁にくれるか?」おばあさんはヘビの言うことなどとあまり気にもとめずに、「よしよし。わかったから、カエルを逃がしてやるんだよ」と返事をしてしまったのです。
その年の秋も深まった頃、若い侍が毎晩、娘のところにやってきて、夜がふけるまで娘と楽しそうに話していくようになったのです。そんなある日の事、一人の易者が家の前を通りました。おばあさんは易者を呼びとめると、娘には内緒で、毎晩のようにやってくる若い侍の事を占ってもらいました。すると易者はこんなことを言いました。「ほほう。その若い侍の正体はヘビじゃ。放っておくと娘の命はなくなる。娘を救いたいのなら、裏山の松の木にワシが卵を産んでおるから、その卵を侍にとってもらって娘に食べさせるんじゃな」おばあさんはビックリしてこの話を娘にしました。娘も驚いて、その晩やってきた若い侍に言いました。「実は最近とても体がだるいのです。元気をつけるために裏山の松の木に巣をつくっているワシの卵を獲ってきて食べさせてくださいな」「よしよし、そんなことは容易いことよ」次の日、若い侍は裏山へ行って、ワシの巣がある高い木にのぼっていきましたが、そのときいつのまにか、若い侍はヘビの姿になっていたのです。そして木をよじ登って、巣の中にある卵を口に咥えた途端、親ワシが戻ってきました。親ワシは鋭いくちばしで、大事な卵を咥えたヘビを何度も突きました。そしてヘビは頭を食いちぎられ、血だらけになって木から落ちていきました。
その頃、あの易者がまたおばあさんの前に現われると、おばあさんに頭を下げていいました。「実はわたしは、いつぞや田んぼのあぜ道で命を救われカエルなのです。娘さんの体にはまだヘビの毒が残っております。これからは毎年、三月三日の節句にお酒の中に桃の花びらを浮かべてお飲みください。そうすればヘビの毒ばかりではなく、身体に溜まったどんな毒もみんな消えて綺麗になりますから」そう言うと目の前の易者の姿はたちまち消えてしまい、一匹のカエルが庭先の草むらの中へピョンピョンと飛んでいったのです。桃の節句でお酒の中に桃の花びらを浮かべて飲むようになったのはこの時からだということです。」(おしまい)
現代社会に恩返しのカエルの話など有り得る筈もない。ただ今どきは食物連鎖というか弱肉強食?仮面かぶった毒ヘビがうじゃうじゃたむろして年寄りの弱みに付け込んだ詐欺が横行している。だから毒を消す意味でも節句の桜の花びらを飲む!戒めのようだが、老いて独りぼっちになっても甘い言葉などには誘われないようにしたいものだ。