岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

戦争機械化の歌:土屋文明のリアリズム

2010年05月14日 23時59分59秒 | 写生論の多様性
・横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ・

 「山谷集」所収。1933年(昭和8年)作。

 同年の短歌総合誌に発表された「鶴見臨港鉄道」21首中の一首。大陸における戦火の拡大・日本国内におけ労働運動弾圧などの激動する時代の動きのなかで、このような作品を残した姿勢はリアリズムそのものである。

 戦争は個人の意思をこえて、個人の意思とかかわりなく展開する。そこが感動の中心であろう。

 結句の「陰惨にすぐ」と感じるのは勿論作者であるが、戦争が激しくなるにしたがって個人が時代の流れに巻き込まれていくことに、一種の戦慄・恐怖を覚えているのである。

 時代を凝視する眼の鋭さが際立っており、島木赤彦・斎藤茂吉にはなかった作風である。

 調べは乱調気味である。「写実派」の唱える「短歌調べの説」との距離感もあり、伊藤左千夫の影響を完全に脱している。「文明調」とでもいおうか。

 やがて文明の系統から、近藤芳美・岡井隆が現われることになるが、篠弘のいう「思想詠」の萌芽がここにはある。




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