「ISの邦人人質殺害追悼集会(渋谷ハチ公前) 2015年2月8日(日)
ISISによる邦人人質殺害が明らかになったのは、2015年2月1日。僕の55回目の誕生日だった。おそらく一生忘れられない誕生日になるだろう。
テロは許しがたい。だが戦争でテロはなくせない。テロ、戦争、テロ、戦争。こうした暴力の連鎖を生むだけだ。それは「うた新聞」の反戦歌2首とエッセイに書いた通り。このブログの記事でも紹介した。
テロをなくすには、テロリストの資金源を断つこと、テロリストへの人的補充を断つこと。これは国連で合意され、国際社会の合意となっている。アメリカを中心とする「有志連合」による爆撃が国際社会の合意ではない。
現にトルコは「有志連合」に加わっていなないばかりか、アメリカ軍への基地提供も拒んでいる。戦争でテロをなくせないのは、アフガン戦争以来、アメリカが軍隊を投入し、アルカイダの、オサマビンラディンを殺害したにも関わらず、テロがはげしくなっているので明らかだろう。
だがこの事件を理由に、政府は集団的自衛権の法整備を急ぎ、「邦人救出」という理由で、自衛隊を世界中の紛争地域に派遣できるようにしようとしている。
「邦人救出」は、日清戦争、日中戦争の前の軍隊派遣の口実として使われてきた。いずれも大きな戦争に繋がっている。さらに軍隊で、海外の邦人保護は出来ない。出来るなら、アメリカ人の人質が殺害されることはなかったはずだ。
追悼集会は、午後5時から7時まで行われた。ハチ公前の広場に、200人から300人の人が詰めかけた。(目測)年代、性別、国籍も様々だった。戦争反対を、叫ぶ大学生がいた。「われわれは無力ではない」というゼッケンをつけた男性もいた。若いカップルもいた。日本語、英語、フランス語、アラビア語と様々なプラカードが掲げられていた。
通りすがりに足をとめる人もいた。国会議員も来ていた。市民運動の活動家らしい人も来ていた。幼子を連れた若い女性もいた。
僕は話したいことがたくさんあったが、言葉を失ったように沈黙していた。2時間ほぼ全員が無言の集会だった。その厳かな雰囲気に僕は圧倒された。
この集会には意義があったと思う。
第一。札幌の時計台、大阪の天満橋などの全国で同時刻に多くの人が集った。「ハチ公前は200人くらいの人数での、追悼集会でした。」とツイッターで呟いたら、大阪から返事が来た。
第二。ハチ公前で集会が行われた。首相官邸前ではない。ターミナル駅の駅前広場だ。同じハチ公前で「沖縄の辺野古に基地を作らせない集会が開かれる予定だとも聞いた。
首相の「テロリストに罪を償わせる」という発言が、「リベンジ(復讐)」と英訳されて、アメリカで報道された。「誤訳だ」と首相が訂正を求めた形跡はない。
アメリカ国防省のHPには、いつの間にか日本が「有志連合」の一員と書かれている。アメリカ人の人質が殺害された。このままでは、日米共同の軍事作戦が中東地域で、展開されるかも知れない。「復讐戦争」だ。
アメリカが攻撃し、日本が「後方支援」を行う。ありうる話だ。確認するが「後方支援」とは軍事作戦だ。豊臣秀吉の、「小田原征伐」「朝鮮出兵」にあたって、兵糧、物資の補給を担当したのは、石田三成らの奉行衆。彼らは豊臣政権という軍事政権の幹部で戦国武将だ。つまり軍人なのだ。
今、日本は戦争への道を確実に進んでいる。だが僕は絶望しない。ハチ公前に集まったような人びとが、たくさんいるのだから。