天童大人プロデュース 「詩人の聲」2015年1月(1)
1、竹内美智代 1月7日(水) 於)ギャルリー東京ユニマテ
竹内は33回目の公演。飾らない言葉だが日常語をそのまま使うのでなく、言葉を選んでいる。会話体を活かし、人間、故郷、家族への愛おしみが感じられる作品が読まれた。鹿児島弁が使われているが、言葉の修辞法としてではなく、作品の主題と合致した使い方をしている。
抒情がしみじみと伝わってくる作品で、何回聞いても作風と叙情の質がぶれない。聴いていて安定感がある。文学とは人間を描くものだと、つくづく思わされる。
戦争や過疎の村を題材にするなど、社会的視点も鋭い。
2、細田傳造 1月8日(木) 於)数寄和
細田は7回目の公演。この1月に詩集『水たまり』を出したので、その作品が読まれると思ったが、趣きの異なる作品が、アトランダムに読まれ、聴いていて当惑した。
今年の元旦に詩集が送られてきて、その書評も書きたいが、第一詩集とあまりにも落差があって、書きあぐんでいる。かなり作風が異なってきているが、何故なのか、そこを知りたいところだ。
3、天童大人 1月14日(水) 於)NPO法人東京自由大学
天童はこのプロジェクトのプロデューサーである。国際詩祭への参加、国内各所で聲の奉納など、聲を出す経験は充分だ。その天童の原点ともいえる若い頃の体験を叙事詩にしている。かなりの長編詩だが、これを完成させないと次へ進めないと言う。
ここ数回聲に載せているが、そのたびに表現と構成が変わっている。今回は、時系列ではなく、時間を前後させながらの構成になっていた。
体験したことが多く、その中のどれを表現するかで作品が様変わりする。しだいに形に成って来たが、まだ手を入れたいところがあると言う。
表題は「ピコ・デ・ヨーロッパの雪」聞いていてわくわくする内容だ。完成が待たれる。何より作品が作者の世界観から滲み出て来ているのが、ひしひしと伝わって来る。
4、文屋順 1月19日(月) 於)東京平和教会駒込チャペル
文屋は仙台の詩人、3回目の公演だ。第4詩集の作品が読まれた。まだ3回目なので時々リズムが淀む。作品は主題が鮮明に立ち現れず、言葉もしっくり来ない。言葉が練られていないような印象を受ける。やや理屈に走る傾向があって、言葉を飾っている感がぬぐえない。
公演を重ねるにつれて、変化して来るだろう。今後が期待される。
5、渡ひろこ 1月21日(水) 於)キャシュキャシュダール
2回目の公演。人間の葛藤を表現した作品、自分と他者の関係を表現した作品などが読まれた。しかしリアリズム的な作品、抽象的で象徴主義的な作品、人の死を悼む追悼の作品が、一冊に混在している。作品によって、作風が全く異なる。
これが第2詩集の一冊になっているので、作者らしさがどこにあるかが、よく分からない。表現された抒情の質が、ストレートに伝わってこない。これは公演10回未満の詩人に共通している。
カタカナ語のオノマトペに寄りかかった作品もあり課題が見えてきたようだ。これから先が期待される。しかし最後の詩篇はよかった。これが、一つの方向性を示すようになるかも知れない。