岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

書評:歌集「屈伸」篠原克彦著 青娥書房刊

2015年05月26日 23時59分59秒 | 書評(文学)
歌集「屈伸」篠原克彦著 青娥書房刊


 著者の篠原克彦は『星座α』の選者で、佐藤佐太郎門下の川島喜代詩の薫陶を受けた。川島喜代詩はこまやかな感性、独特のユーモア、日常を誠実に生きる、意気な人柄の歌人だった。

 著者の篠原もそういう資質を受け継いでいる。

 巻頭近くに「食」に関する歌がある。


・レトルトの炊込飯に庭に摘む木の芽ひと葉を添へて食ましむ

・飯粒ののこる餅にてつぶ餡をくるみて椿のひと葉を添ふる

・草餅もつつめる笹も香にたちてすがしき緑たのしくもあるか

 川島は「食べ物を詠うならうまそうに詠え」と言った。篠原のこの作品は川島を彷彿とさせる。また心理詠には繊細な感受性が感じられる。その繊細な感受性は病の妻へのいたわりや、社会を見る目に向けられる。

・加ふべき何ごとあらん囀りに覚めて蛙の鳴く音にねむる

・個性あり才覚あれば疎まれて泥の船にて沈められたり

・つつがなく生き来しことを負ひ目とし病がちなる妻を目守らん

・入院の妻見舞はんと門の辺にかをれる梅のひと枝を折る

・いくたびも富士を仰ぎて砲弾の音の聞こゆる尾根道あゆむ

・南国の木々しげり花の咲くなだり地下に核兵器貯蔵のうはさ


 また、写実派流れをひくまでに、こういった作品の根底に堅実で確かな叙景歌があるのも見逃せない。

・断崖は風つよければことごとく海にそむきて墓群ならぶ

・風の道とらへし鳶か流れ矢のごとく日ぐれの山越えてゆく


 作者は茨城県のひたちなか市の在住だが、東日本大震災の被害を目の当たりにしている。震災詠だが、当事者意識が作品の根底にある。

・いのちあるものの影なく声もなき原発のうみ雲わたりゆく

・震災の名残の路地の水たまりときに烏がきて水をのむ

・天地のなべて汚染のすすむ間に沈丁闌けてその香うするる

・日常のままの百五十キロただよひて茨城沖に着きしなきがら


 これらの作品に、嫌味がないのは独特のユーモアと、自身を見つめる冷静な視点があるからだ。

・何もののしわざか狭きこの居間にわれの眼鏡がときどき消える

・わがともす門灯さえや列島に満ちてきらめく奢りのひとつ


 衒いなく、嫌味なく、静かにものを見る視線があり、人間への愛しみ、社会への愛しみ、も感じられる。幼児性の目立つ短歌作品が多いなかで、大人の抒情を表現した歌集と言えよう。また作品に折々現れる価値観は、これが60余年生きて来た作者の独自の世界とも言えよう。


 出版を心から喜びたい。




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