岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座」創刊10周年座談会:尾崎左永子・馬場あき子・穂村弘

2010年12月02日 23時59分59秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
「星座」創刊10周年記念パーティーが、11月26日に「鎌倉プリンスホテル」で開催された。

 数々の祝辞があったが、何といってもメインは「現代短歌と口語」の座談会。コーディネーター:穂村弘、パネラー:馬場あき子・尾崎左永子。その概略を次に記す。馬場・尾崎の二人は阿吽の呼吸で話をすすめるので、二人の発言を一部まとめた。

穂村弘  :「まずは、お二人の馴れ初めのあたりから。」

馬場・尾崎:「戦後短歌の出発点のころ、< 新しい短歌表現を切り拓こう >という意気込みで、< 青の会 >のちに< 青年歌人会議 >を結成した。メンバーのなかの女性は石川不二子・大西民子・尾崎・馬場くらいで、あとは圧倒的に男性が多かった。」

尾崎左永子:「岡井隆・吉田漱・田井安曇など男性が多く、女性は発言しにくい雰囲気だった。< 歩道 >に入会したのは昭和20年。女性は黙っているのが当たり前という時代だった。」

馬場あき子:「< まひる野 >に昭和22年に入会したが、婦人参政権が認められたのは昭和23年。昭和30年代にはいるまで、女性は意見を言いにくい環境だった。」

尾崎・馬場:「< 前衛短歌前夜 >の時代で、< 青年歌人会議 >のころになるとメンバーが急にふえてた。寺山修司が参加してきたのはこの頃だった。ところがやがて、岡井も寺山も消えた(歌壇より離れた)。」

尾崎左永子:「私は渡米して帰国したあと歌壇に復帰せず、ラジオの放送詩や合唱組曲を作詞したりしたが、それを通じて日本語の基盤に5音7音のリズムがあることを感じた。その後、自分はなぜ短歌形式・窮屈な詩形を選んだかを考えた。アメリカでの生活を通じて日本語を見直す機会を得たと思う。」

尾崎・馬場:「昭和30年代にはいって前衛短歌全盛期となったが、そのころ近現代短歌の見直しをするようになって古典芸能を再発見した(=古典研究をはじめた)。昭和40年代に< 岩波古典文学大系 >が刊行され始めて、日本の古典を活字でよめるようになった。」

穂村弘  :「古典研究からどんなことを得られましたか。」

尾崎左永子:「古典を読んでいると散文のなかにも音韻と律があると感じた。さらに言うと日本人のDNAに5音7音のリズムが刻みこまれていると感じた。」

馬場あき子:「< 新古今和歌集 >などには遊びの要素もあるが、今の口語短歌のように単なる感想や思い付きでは詩にならない。用語の面からいうと、口語をまんべんなく漫然と使うのでなく、なぜ口語かという問いが必要だ。今の軽い口語短歌があと何年かしても読み継がれるものがどれだけあるのだろうかと思う。」

尾崎左永子:「古典に使われている古語は当時の口語だと思う。(=当たり前に使われていた:岩田・注)現在の日常的に使われる口語は< 練られて >いない。使うにしても< 言葉を磨く >ことが必要だ。言葉の格調の面からも重要なことだと思う。」

馬場あき子:「そう。口語を使う時も< 砥石 >にかける必要がある。」

馬場・尾崎:「文語にはやわらかい語調があり、固いことをソフトに表現できるという性質がある。また古典和歌では上の句が文語で、下の句が口語調のものが結構ある。口語で語りかけるように表現するという明らかな基準がある。」

穂村弘  :「尾崎作品には< 違和感のない口語 >が使われており、馬場作品は< 目立つ口語(=変化球として前提された口語)が使われている。(と、20首余りをあげて文体を分析する。)」

尾崎左永子:「そう分解されてもね。(私は)一首の中での韻律へのこだわりがあるから、違和感がないのだろう。」

馬場あき子:「私の口語はどちらかというと< 暴れん坊 >かも知れない。立場は違うが、歌に対する思いは尾崎さんと同じ。」

尾崎・馬場:「短歌の口語化は必然だ。現代の思索を表現するには口語的発想にならざるを得ないからだ。しかし、だらしのない口語は短歌を滅ぼす。河野裕子さんには口語歌の前に文語による長い修練の期間があった。< 偲ぶ集い >で< 河野作品の口語は文語の香がする >と言ったら、永田和宏さんが喜んでくれた。」

穂村弘  :「先ほどから、音韻と律の話が出ているが、それは事前に効果を計算して作歌しているのか。」

馬場あき子:「そんなことはしない。日本語にはももともと< 日本語の韻律・リズム >があるのだから。」

尾崎左永子:「作品が出来たら韻を踏んでいたということ。(歌を詠む上での)呼吸のようなものだ。」

穂村弘  :「・・・・・。」

馬場・尾崎:「軽い口語だけの短歌は全盛期を迎えながら衰退していくだろう。短歌という様式は古典様式だ。口語自由詩が作れないから、短歌の中で暴れてやろうという口語歌はほろんでいくだろう。文芸評論の面で言うと、作品のなかで今まで見過ごされていたものを持ってくるのが流行っているが、代表歌を多面的に再発見するということも必要だろう。穂村さんの発言は影響力が大きいのだから、発言には注意して頂きたい。」

穂村弘  :「お二人の大家からそういわれると言葉もなくなってしまうのですが、お時間ですのでこの辺で終わりにしたいと思います。」


短歌の基礎知識:

 短歌は定型の現代詩である。何をもって「現代」とするか、現代を「どう切り取るか」には様々な考え方がある。それはそれでいいのだが、定形さえ守れば「何でもあり」ではないはずだ。事実を連ねただけでは詩にはならない。

 次に定形の意味。尾崎左永子・馬場あき子という二人の大家が期せずして古典から学んだということは重要だ。1000年を超えて続いてきた詩形の意味をしっかり受け止め、それを現代にどう生かすか。これが最大の課題だ。


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 このトークショーの発言は、後日「星座」誌上に掲載されるとのことだが、「短歌研究」編集長・「角川短歌」編集スタッフもこの会に出席しており、この企画が歌壇全体への、大胆な提言だったと僕は受け止めた。

 「口語と文語の問題」は単に表記の問題ではなく、短歌作品における「伝統の問題」と、詩の中の「言葉の必然性の問題」だと感じた。「韻を踏むのは計算のうえか?」という発言には驚いた。事前に計算などせず、作品が完成したら韻を踏んでいたというのが正直なところだからだ。

 伝統から学ぶということの重要性と、必然性のない言葉は口語も文語も使う意味がないし、必然性のない使い方は短歌を滅亡に導くということ。結果として、これがトークショーの主題となったようだ。僕の心の中で「背水の陣」が出来上がった。

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