岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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斎藤茂吉ゆかりの箱根・伊豆の旅:斎藤茂吉の短歌4首とともに

2012年02月11日 23時59分59秒 | 紀行文・エッセイ
斎藤茂吉の「強羅のうた」。

・東京のあつき日ざかりのがれ来て強羅の山に老い呆けむとす・「つきかげ」

・今ゆのちいくばく吾は生くらむと思ひつつ三島の納豆買ひつ・「同」

・吹きいづる大涌谷の衰えてながれのすゑに石のあつまる・「同」

・便所にて生れたる蚊のこゑするを箱根の山の蚊とおもひ聞け「同」

 地名のはいった作品を書きだした。強羅(神奈川県)、三島(静岡県)、大涌谷(神奈川県)、箱根(神奈川県)。1876年(明治9年)まで伊豆半島は小田原・足柄とともに「足柄県」で、この年初めて神奈川県に編入された。実際、箱根と伊豆は連山である。

 さて旅の記憶だが、数が多いのでアトランダムに書いてみる。地元ゆえ幾度も足を運んだので。


・金時山:

 ご存じ金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)の故郷。坂田金時は摂津源氏の祖、源頼光の四天王の一人。頼光は源義家の叔父で内裏の屋根に巣くう「ぬえ」という妖怪を退治したと伝えれれる武士。その家臣の坂田金時は史料にも残っている実在の人物。その武者の育ったのにふさわしく、登りがいのある山。2回登ったが2回目はガスが掛っていて、視界不良。不思議とそのときの方が記憶に残っている。


・強羅;

 頂上付近にスケート場があり、中学3年の卒業遠足で滑りに行った。丁度合格発表前で「滑るとは縁起が悪い」と思った。吹雪いており、屋外リンクには雪が積もっていたが、へそ曲がりの僕はひとりで一周400メートルほどを滑った。といっても半分は深い雪の中をスケート靴で「歩いた」。滅多に経験出来ないことをしたくなるのが性分らしい。


・修禅寺:

 大学の卒論ゼミで2泊した。教授からは準備不足を指摘されたが楽しかった。西瓜が旨かった。選んだのは僕で、卒論の素案はさんざんだったが、西瓜の選び方は誉められた。鎌倉時代を中心とする史跡も多々あり、それらを巡ったのも印象に残っている。鎌倉幕府の二代将軍・源頼家が幽閉され殺された持仏堂は当時のものではなかろうが、狭く暗く当時の面影を残していた。


・西伊豆(土肥):

 土肥温泉。「ドイ」ではなく、「トイ」と読む。宿の近くに金山の跡があり、廃坑の奥100メートルほど中にはいった。やわらかい岩石で指の先の力で崩れる。褐色の筋が何本もはいっていて、それが金の鉱脈だそうだ。肝心のこと、採掘されていた時代を聞き忘れた。帰りに韮山の反射炉(江戸末期の初めての西洋式溶鉱炉)と伊豆郡代、江川太郎左衛門の屋敷を見た。


・小田原:

 ここは何度も行った。五月の連休に大名行列が再現されるのに出くわしたことがある。豪華なものだったが、槍奴に扮する人の足の親指が、アスファルトの溶けかかった路面に接して黒くなっていたのが妙に印象深かった。小田原城は鉄筋コンクリート造りの復元天守だが、内部は資料館になっており、一見の価値はある。小田原は城下町であり、箱根越えのために一泊する宿場町でもある。江戸城の西の守りの最前線だった。関東の城で天守があるのは、江戸城を除いてここだけだった。


 なお斎藤茂吉の「強羅の山荘」については、岡井隆著「茂吉の短歌を読む」でふれられている。




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