岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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旧日本軍の話

2012年02月10日 23時59分59秒 | 歴史論・資料
時代。その時々に「時代の軸」のようなもの、時代を特徴づける何かがある。 

先ず歴史学者の言うところを聞いてみよう。

「(関東軍参謀に転任した石原莞爾の戦争構想について)構想のスケールはおおきかったが、その構想は石原自身による戦史研究の論理的帰結を日蓮信仰の宗教的確信と無媒介に結びつけたものであり、みちびきだした論理を綿密な情勢分析にそくして具体的に検証し、とるべき方針を明らかにするという手段を欠いていた。」(大江志乃夫著「日本の参謀本部」)

「(将校が社会から隔絶しやすいとの一般論ののち)日本の将校団には、さらにこれに二つの要因がつけ加えられる。第一は、専門的職業団体としてはレベルが低かったことである。・・・日本の陸軍を代表する軍人の系譜は、・・・海軍も・・・軍政家から軍人政治家に転じた将校たちによって代表される。第二の要因は、・・・将校という専門的職業が幅広い高度の知的能力を要求される職業であることが理解されなかった。・・・陸大教育が戦術至上主義のため、・・・政治、経済、歴史等一般教養部門を軽視したばかりでなく、参謀要務に属する軍政その他高等の軍事行政その他の軍事行政面の教育の比重さえも必要最小限にした・・・」(大江志乃夫著「天皇の軍隊」)

 このブログで書いた「日露戦争以来の帝国陸海軍の精神主義・非合理主義」はすでに歴史学者の説くところだった。

 さてそういう旧日本軍の性格の象徴的事件を、1994年放送の NHK 「ドキュメント太平洋戦争に沿って言うと、次の5点である。


1・シーレーン確保の無計画性:

 日米開戦時にシーレーン確保(北は千島から南はインドネシア。東ミッドウェイ、西ミャンマーまでの補給線確保)には600万トンの艦船が必要だが、確保は可能と計算していた。ところが実際は300万トンが軍艦で、300万トンが民間からの徴発それも漁船などをも前提としていた。空母が不足し、潜水艦に対しては無防備だった。


2・精神論の過度の強調:

 ガダルカナル戦。火器をふんだんに有する米軍に対し、日本軍は銃剣のみによる突撃。しかも兵力は3ぶんの1しかなかった。冷静な戦力分析がなされていたとはとても言えない。合理的判断が十分あったとは、とても思えない。国際法を知っていれば、投降するのも出来たはず。指揮官は国際法を知らなかったのか。


3・ハイテク・人命の軽視:

 艦船に搭載するレーダーの研究が進んでいたが、「武士道に反する」と開発は中止された。それに対してアメリカはミッドウェイ海戦までに実用化していた。またアメリカ軍は「VT 信管」を開発。これは飛行機近くで爆発し、命中しなくても飛行機が撃墜できるというもの。日本の「ゼロ戦」は機体を軽くするために基礎構造の金属部分に多くの空洞があった。機体は軽かったが、軽い攻撃を受けると搭乗員は生命の危険にさらされた。対してアメリカのヘルキャットは機体が重いかわりに搭乗員を守るため機体が頑丈だった。優秀なパイロットを多数失った日本軍とは対照的だ。


4・戦場での無責任性:

 ミャンマー、インド国境のインパール作戦。補給を全く考えない無謀な作戦。「食料がなくとも周りに山菜がある」。熱帯には山菜は生えない。「牛と豚を隊列に入れれば、生きた缶詰だ」。渡河作戦で牛や豚は川に沈んだ。それでも司令部は退却を許さず、退却しはじめた時には、兵士は次々と死んでいった。その街道は「白骨街道」と呼ばれた。のち司令官の辻政信は戦犯指名されるが帰国せず、東京裁判終結後に帰国し参議院議員・衆議院議員となった。


5・外交的観点の欠如:

 敗戦濃厚の日本が最後の頼りにしたのは、ソ連の仲介。だが既にソ連は連合国の一員で、対日戦の準備をしていた。そもそも日米開戦の前に日ソはソ満国境で武力衝突(ノモンハン事件)をしていた。戦略・外交的観点が全くない。


 これらから汲み取れるものは、旧日本軍の非合理・非常識的体質だ。では科学技術と合理的戦略を持って、強力な軍隊(実力部隊でもいい)を持てばいいのか。そうではあるまい。日本は愚かな戦争をしたのだ。いや、戦争そのものが愚かなのだ。その愚を繰り返さないのが、戦死した兵士ほかすべての戦争被害者の死を無駄にしない道である。

 このような歴史観は「自虐史観」でも「反日史観」でもない。「現在の国際法を踏まえた歴史観」だ。これに反対する史観は「国際法無視史観」「国家エゴ史観」と呼んでいいだろう。

参考文献・大江志乃夫著「日本の参謀本部」「天皇の軍隊」、江口圭一「二つの大戦」、木坂順一郎著「太平洋戦争」、藤原彰著「太平洋戦争史論」「天皇制と軍隊」、歴史学研究会編「日本史年表」。




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