岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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(続)原発と科学技術(安全を担保する5つの壁の脆弱性)

2012年04月04日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ

 2011年3月11日の東日本大震災、わけても福島第一原発の原子力災害の「発生」以来、原発と科学技術のありかたが、問われているように思う。また豊かさの内容も。これは現在進行形の「歴史」だ。

 原発については疑問があとを絶たない。これまで原子炉の水位が3mとされていた福島第一原発2号炉の水位がわずか60cmで、燃料が原子炉格納容器の底を突き破って、下に溶け落ちているのが、この3月末に確認された。東京電力は「残った水の温度が低いので、燃料は冷却されていると考えられる」と発表した。

しかし、発表が二転三転して、当初「メルトダウンは起っていないと考えられる」と言ったにもかかわらず、今やメルトダウンどころかメルトスルーが起こっているのは、まぎれもない事実である。疑問だらけだ。


 まずは原子炉そのものの安全性。「原子炉は五重の壁」で外界から遮断されているので安全だと言われてきた。

1・燃料棒はむき出しではなく、ペレット状(棒のように焼き固める)に加工されている。

2・それを被覆管という金属製の管に入れ、さらに水のプールに漬けて放射線を遮断している。

3・そのプール全体が圧力容器に入れられている。

4・さらに原子炉格納容器がそれを覆っている。

5・最後にそれら全体が頑丈な鉄筋コンクリート製の建屋にはいっている。

だから安全だといわれてきた。だがその「5つの壁」は外部電源の喪失と水素爆発により、文字通り吹き飛んだ。科学者は「想定外」というが、われわれの方こそ「想定外」だ。津波で外部電源が喪失したとされるが、地震の揺れそのもので原子炉が壊れたとも言われている。福井県若狭湾沿岸の原発群は、10本以上走る活断層に挟まれるように点在している。果たして安全なのか。


 次に放射線の安全基準。これはどうも、これで絶対安全というものがないらしい。安全基準のおおもとを辿れば、広島の原爆投下直後の、ABCCの資料がもとになっているという。「自然界からうける放射線が年間2.4ミリシーベルトであるとか、レントゲンやMRIの撮影で何シーベルト被爆するとか言われるが、人体に対する影響となると、新聞の図に依れば???がついている。

 分からないなら分からないと正直に言ってもらいたいが、そんな安全基準を信用しない人がいてもおかしくはない。この4月からようやっと「暫定基準」の「暫定」がとれて明確な基準が決まった。かなり低めに「基準」が設定されているが、今まで基準がなかった方が不思議だ。


 三番目に食の安全の問題。生協は自前でベクレル測定のための機器を購入したという。出荷段階、流通段階、販売段階でそれぞれ検査はできないものだろうか。食品のベクレル測定は時間がかかるが、シーベルト測定は比較的容易だ。そのシーベルトをベクレルに換算する公式がある。

 放射性物質により係数が違うそうだが、出どころは福島第一原発。そこから放出された放射性物質名を公表し手元で切り替えて個別測定する機器も作れるのではないか。とりあえずヨウ素、セシウム、プルトニウムのほか数種類での簡易測定になろうが、現在実施している検査と合わせれば、チェック体制の強化になるだろう。そういう機器を大量生産する科学技術と生産力を日本は充分もっているはずだ。


 四番目に「除染」。これは放射性物質が移動するだけでなくなる訳ではない。人体に触れにくくなりはするが、どこかに集積される。その「処理」は現在の科学水準では「保管」するしかない。ものによっては何百年も?ならば何故そんなものを作ったのか。「原発は『トイレのないマンション』のようなもの」とかねてから言われていたが、それが全国規模で起こっている。原発周辺でも都市でも。何しろ原発は全国にあるのだから。

 また福島第一原発では膨大な「汚染水」がたまる一方で、かなりの量の「汚染水が海へ流れ込んだ。その量、4京(40000000000000000)シーベルトと言われる。(一説によれば1景。)

(フェイスブックに「電気を使う都市の人間が声をあげなければ」と書いていた人がいたが、そのとおりだ。)

 最後に「鋼鉄の劣化」。燃料棒から出る中性子が鋼鉄の「粘り気」を劣化させて、グラスに湯を注ぐとヒビがはいるような現象が起るのだ。そうなると冷却システムがはたらいていても、放射線が漏れるのだと言う。数日前に初めて知ったのだが、原子炉にはあらかじめその劣化を確かめる金属片が入れてあり、十年後・二十年・三十年後に採り出して劣化の度合いを確認するのだそうだ。原発に関わる者たちはそれを公表していなかったことになる。(だから信頼感が薄れてくるのだ。)


 だが人間には「歴史から学ぶ」ということが出来る。現在進行形の歴史から、さあ何を学ぶか。選択の時だ。

 ちなみに僕は、全ての日本中の電球をLEDに替え、発電を小規模分散化しながら、節電型にライフスタイルを換えれば、原発は必要ないと思う。これが新聞・書籍・ネット検索などで情報を集め、一年間、自宅で一切エアコンを使わなかった僕の結論である。

 このことは以前の記事にも書いた。だが原発の廃炉まで30年。全国の原発を片付け終わるまで50年くらいはかかるだろう。「孫子(まごこ)の代」までかかることになる。後戻りしないように、何度でも繰り返し繰り返し強調する必要がありはしまいか。

「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」では困るのだから。



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