戦争前夜(満州事変の前年)だが、張作霖爆殺事件など関東軍による軍事行動は日を追って激しさを増していた。局地的戦闘、あるいは軍事衝突はもう起っていたのだ。
その中国がいま揺れている。先日も幹部の一人が失脚し、権力闘争が激しさを増していると新聞にあった。少数民族との衝突の報も絶えることはない。国家の最高指導部(政治局常務委員)は9人だそうだが、10億近い人間の行く末をこの9人が決めるのだそうだ。別名「10億の民を指導する9人」と呼ぶそうだが、こういう状態で国家の歪みが出て来ない訳がない。
その「歪み」のひとつと思われる事件が、新聞の片隅の記事になっていた。官僚の汚職が蔓延しているという。勿論けしからん話だが、その対策にもっと驚いた。
「党への忠誠心が足りない。文化大革命を見習え。」
思わず目を疑った。文化大革命といえば、毛沢東と若い世代の権力闘争で、都市部では内乱状態だった。それはさまざまな資料や証言で明らかにされていて、中国指導部もそう結論づけ、批判したはず。それなのに、それに「見習え」とは。第一、汚職は犯罪であり、政治のモラルの問題でもある。それが特定の政党への忠誠心の問題とされるとは。二重におかしな話だ。
それにしても、中国は一体どこへ行くのだろう。中国経済は「バブル」という話もあるし、中国市場は市場として未完成という話もある。GDPはすでに日本を追い越し、「世界の工場」とも呼ばれる。問題は中国一国では済まない。
未完成な市場と世界屈指の生産力。定まらない国家権力内部の闘争。そういえば、天安門事件のときに、鍵を握るが、地方の軍の動向と言われた。まるで地方の軍伐が割拠した時代を連想させるものが、つい最近まであったのだ。
その国に民主主義が定着するにはその国の国民が変らなければならない、という事を言ったが、とどのつまりはそこに話は落ち着くのだろうか。
以前の記事にも書いたが、北京大学からの留学生と話したことがある。好青年ばかりで、文化大革命や天安門事件の頃の中国には戻らないと思ったものだが、こうなると行く先不透明である。
近代史のなかで、中国は列強の「半植民地」とされ、自国の自律的発展を阻害されてきた。軍閥という地方の軍事政権の乱立もあった。その混乱の間をぬって日本は権益を拡大し、やがて全面戦争に突入していく。
こう考えると心中複雑なものがあるが、おかしいものは、おかしい。
「中国はどこへ?」である。
・渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで・(岡井隆)
渤海とは北京に一番近い海。「瀕死の白鳥」は、混乱の続く、建国8年目の中華人民共和国。中国革命の進展が日本のインテリゲンチャに大きな影響を与えた時代の話だ。(「土地よ、痛みを負え」)