岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

タブレット端末で「広がる世界」

2015年04月07日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
2015年の3月の末のことだった。ツイッターもフェイスブックも、パソコンとガラケイでやっていたのだが、その日からツイッターに接続できなくなった。ツイッターが新しいバージョンになると言う。

 ガラケイでツイッターを使うのは不便だ。画像が見えない。これはフェイスブックでも同様だった。同じく画像が見えない。スマホに変えようと思ったが躊躇した。フェイスブックとツイッターは毎日使う。「詩人の聲」のお知らせ、仲間との連絡、創作活動の記録と報告。ツイッターとフェイスブックの機能を使って、この数年間行ってきた。

 スマホに変えるのも考えたが、スマホでへの切り替えが上手くいかないと困る。まだ少なくともガラケイで、フェイスブックの機能の一部は行える。そこでガラケイを使いながら、タブレット端末に切り替えるのを試みた。

 切り替えは上手く行かなかった。NTT DOCOMO ではわからないと言う。そこで知り合いに教えてもらいながら切り替えた。そのときどういうはずみか、ツイッターもフェイスブックもアカウントが二つ出来てしまった。また切り替えるときにどういうはずみか、海外の友達がたくさんできてしまった。

 そこで考えた。アカウントが二つあるので、フェイスブックは少しコンセプトを変えて、二つ使ってみよう。

 フェイスブックのもとのアカウントは、ほぼこのブログと同じ内容。ただし写真が増えた。

 第二アカウントの方は海外の友達、特に中東地域、イスラム文化圏の人が多い。そこで第二アカウントの方は、「詩人の聲」の関連記事と、文化交流を中心にすることとした。日本文化を、イスラム圏に紹介する。逆にイスラム文化を日本の友人に伝える。やってみてこれが面白い。日本人のフェイスブックは、料理の写真が多い。「グルメブーム」の名残だろうか。それに対し、イスラム圏の人は自分の自己表現に使っている。自分の信仰心を表現したり、家族や友人への愛情を表現したりする。イラク、ヨルダンなど紛争地域に住む人は、戦場の惨状、平和への願い、先進国のエゴにたいする批判を、フェイスブックで行っている。

 ここで僕の世界が広がった。中東などの紛争が他人事ではなくなった。身近な問題となった。イラクやイランの人たちの文化が、非常に高いのも実感した。日本文化、アメリカ文化とも、全く異なる。考えて見れば当然だ。メソポタミア文明など、人類の文明の発祥の地だ。紛争地域でも、魑魅魍魎やモンスターが跋扈しているわけではない。生身の人間が生活しているのだ。当たり前のことだが、日本のマスメディアを通して得られる情報だけの場合とは全く印象が違う。

 「詩人の聲」のことを投稿するとイラクの友人が興味深く見ている。日本の桜や花見に関することにも共感してくれる。

 シリアの戦闘地域の画像には日本の友人たちがコメントをしてくれる。異なる文化を知りたい、自分の住んでいる国以外のことを知りたい、というのは国を問わず共通するのだろう。

 僕の投稿を読んで、イスラム文化の紹介グループ、イスラムの芸術の紹介グループに入れてもらった。僕のタブレット端末にはどうやら翻訳機能はないらしいが、相手のパソコンでは翻訳機能が使える。(僕のパソコンは今、一部の画面表示が出来ない。復旧に努力しているが、時間がかかりそうだ。)

 第二アカウントのプロフィール写真が、若く見えるらしく、世界の若者の交流グループにも入れた。これで一層、世界が広がりそうだ。

 こういう交流が進めば、おいそれと戦争は始められないだろう。

 フェイスブックは一人が一つしかアカウントを持てない。第一アカウントは、フェイスブックに消去または閉鎖を要請している。




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