「日本国憲法」の改正点として浮上している項目を挙げて、私見を述べたい。その前に「立憲主義」の事に触れておく。
憲法は、時の権力者を、国民、人民が縛るものとして、制定された。例を挙げよう。
・マグナ=カルタ(イギリス)
「憲章は大部分封建貴族に関する条項で、王権の乱用を防止することにより、彼らの既得権益を守ろうとするものであった。しかし自由民の裁判権確認、王も法に従うなどのことが、英国の人権伸長の基礎となった。」
・人権宣言(フランス)
「正式には『人間と市民のための権利宣言』と呼ばれる。この宣言は、ミラボーの起草した前文と全17条の本文よりなり、基本的人権、国民主権、財産権の確立と保障を規定し、市民革命の金字塔にふさわしいものである。」
(「秀英出版『詳説 世界史史料集』)
これを、「立憲主義」といい、世界共通の認識でもある。
従って、次のような「改正論議」は、論拠を失う。日本国憲法第96条の改正の問題だ。
92条は「憲法改正の手続き」を規定したもの。現行憲法では、「衆参各議院の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案して、その承認を経なければならない。」となっている。これを「衆参両院の過半数」で発議できるように、92条を改正しようという、論点が浮上している。だが、これは、「立憲主義」に反するものである。過半数で「改正」の発議が可能なら、時の権力者に都合のいい「改正」が繰り返されてしまうだろう。
・「前文」について。
「かの暴走老人、=文芸政治家」の石原慎太郎が、「憲法前文は間違いだらけの日本語で書かれている」と、繰り返し強調している。これは問題にならない。法律用語と文芸用語が異なるのは当然だから。文芸用語は、複数の読みが可能なように使われる。一方、法律用語は、解釈のよる混乱を避ける為、厳密に書かれる。(この違いが分からない人が政治家をやっていることが、不自然だ。)
・所謂「加憲」について。
日本国憲法の公布は、1946年だから、それ以降「新しい権利」として、認められてきたものがある。「プライバシーの権利」「知る権利」「環境権」などだ。しかしこれらの権利は、日本国憲法の第13条の「幸福追求権」と「判例」で、認められている。とりわけて改正の必要はないと僕は考える。
・第9条について。
第九条は「恒久平和条項」と呼ばれる。国際紛争を解決する手段としての「戦争・武力の行使」の放棄、「戦力の不保持」「国の交戦権を認めない」を内容とする。この9条の発案者が誰かはハッキリしていない。だが、この条文があるために、憲法公布以来の、半世紀以上、日本が戦争の当事者になる事はなかった。戦前の、「日清戦争」「日露戦争」「シベリア出兵」「第一次世界大戦」「満州事変」「日中戦争」「アジア太平洋戦争」と、幾多の戦争を経て来たのとは、根本的に違うのは、この条文があったからだ。改正の必要はないと考える。
逆に、世界の国々より注目されている条文だ。第9条の考えを、世界に広めるべきだと考える。「国際貢献」は、軍事力によらない「日本独自」のもので、通すべきだろう。
九条の改正を初めて、言い出したのは、占領政策転換後のアメリカである。冷戦の激化を踏まえて、日本に「軍事的役割」を求めるようになった。これはアメリカの高官の発言で明らかだ。
「日本はグルカ兵的であり、ドイツ的であり、イギリス的である」。グルカ兵はネパールの少数民族で、戦闘には果敢。ドイツは「工業力」がある。イギリスは島国で「不沈空母」。アメリカが、日本を軍事的に利用しようとする意図は明らかだ。
またこういう発言もある。「私の個人的な感情としては、日本が再軍備されることは、少し悲しいことであった。・・・・・私は戦争放棄こそ人類の崇高なゴールであると見ていた。・・・・ところがいまや人類のこの気高い抱負は粉砕されようとしている。アメリカ及び私も、個人として参加する『時代の大ウソ』が始まろうとしている。・・・・兵隊も小火器・戦車火砲・ロケットや航空機も戦力でない、という『時代の大ウソ』である。」(アメリカ軍事顧問団幕僚長、F.コワルスキー)
・道州制について
日本国憲法の、最大の特徴は「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」だが、そこに「地方自治」「議会制民主主義」が加わる。戦前の県知事は国家の任命制だった。それが、戦後は公選制に変わった。ここではすでに「民主主義」「地方分権」「住民自治」「団体自治」の考えが取り入れられている。(ほるぷ教育研究所編「学習資料:政治経済」)
だから、地方分権が上手く行っていないとすれば、現行の都道府県に問題があるのではなく、運用に問題があるのだ。道州制では、住民と国政との距離が遠くなってしまう。
いずれにせよ、現行法で対応できるかとだ。「道州制にすれば、日本が変わる」というのは、幻影にすぎない。
・思わぬ落とし穴
原発に対する批判が高まっている。国民投票を求める人たちも多い。日本国憲法に「国民投票」の規定がないことで、「改正」を求める人も多いだろう。だが、思い出して欲しい。「小選挙区制」が導入された時のことを。「消費税選挙」と呼ばれた参議院議員選挙があった。社会党の独り勝ちだった。「これが『小選挙区制』なら政権交代が起こっていたはずだ」と言う声が与党の方から出て来た。社会党は「小選挙区制」に反対だったが、それを機に方針転換をした。その結果、第一党が四割台の得票で八割の議席を占める様になった。一番驚いたのは社会党だろう。「原発の国民投票」をエサに、「改憲」に進むことも考えられる。それも与党の提案で。「蟻の一穴」という言葉を心に刻む必要があるのではないか。
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