「運河の会」第31回全国集会 於)石川県加賀温泉ホテルアローレ
第1日(5月17日)
第1日のメインは、作品批評会だった。「運河の会」の創立に参加したベテラン会員の梶井重雄の地元。実力者だが、お目にかかったことはない。今年で103歳となるこの歌人には会う機会はそうあるものではない。佐藤佐太郎は勿論、斎藤茂吉の直接の薫陶を受けた。
103歳だが驚くほど若い。声が響く。「詩人の聲」で高齢者だが、声が若い詩人の作品の完成度は高い。この歌人がどのように作品の評価をしていくかに注目していた。
「運河のかながわサロン」「運河の東京歌会」でも、作品は無記名で配布され、厳しい言葉が飛ぶ。だが梶井重雄の批評は、原作を重視し作者の歌境によって作品を批評する。初心者は初心者なりに、ベテランには厳しくが方針らしい。
そのせいか石川の「運河の会」の会員は、かなりの実力者ぞろい。褒められて作品の質が高まるという例だろう。だが何でもありではない。ときには厳しい批評をする。
厳しく批評されたあとは、かなりの打撃だが、そのあと笑いながら歓談する。亡くなった長澤代表がそうだった。
第2日(5月18日)
第2日のメインは総会。「運河の会」の規約の改正、会計報告、「運河年間賞」の受賞式が行われた。
なかでも今年は規約の改正が重要だった。代表、副代表、選者、運営委員の設置が明記され任期は2年。重任は妨げられない。斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論と実作に学ぶことが明記された。また規約にあった「結社」という言葉を「短歌会」とした。近代の短歌革新には打倒すべき敵がいた。旧派和歌である。「アララギ」「新詩社」も結社だった。そこには「結社」を名乗る必然性があった。時代の要請があったのだ。今の時代に「結社」を名乗る必然性はない。
永田和宏の『近代秀歌』『現代秀歌』(岩波新書)を読んで、近代短歌が豊かなこと、現代短歌で首を捻りたくなる歌人は、近代短歌との断絶を強調している。僕はこの改正案に全面的に賛成して、規約は一部修正ののち採択された。
僕は長澤一作元代表から「安住してはいけない。常に実験作を試みよ。それには歌論が必要だ。」と事あるごとに言われてきた。長澤一作は「新写実」を標榜したが、写実を心掛けて作歌しても、時代とともに作者である人間の感じ方も語感も語彙も変化する。
斎藤茂吉や佐藤佐太郎になかったものを、一つでも新たに積めればそれが「新写実」だ。
去年の全国集会で「第2次運河」の出発と言われたが、この規約改定で出発の条件が整った。この規約決定の場に立ち会ったことと、梶井重雄に合えたのが、一番の収穫だった。