岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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73回目の8・15(戦争を忘れない)

2018年09月05日 02時14分41秒 | 政治経済論・メモ
1945年8月15日。この日で戦争が終わったとされる。今年で戦後73年目だ。


 今年は猛暑で体力を消耗し、8・15について書くのが9月に入ってしまった。ミズリー号上で降伏文書に署名されたのが、9月だからまんざら季節外れでもなかろう。


 8・15は「終戦の日」「敗戦の日」と呼ばれる。だが僕は、どちらの呼び方にも違和感がある。「終戦の日」では戦争が自動的に終了したかのようにとれる。「敗戦の日」ではいつか復讐するというニュアンスを感じる。大日本帝国が戦争に敗れたのだから、歴史の事実からいえば、このほうが正確だ。


 だが僕は「ポツダム宣言の受け入れが発表された日」と呼んでいる。ポツダム宣言は戦後民主主義、戦後の民主化の指針となった。「ポツダム宣言の完全実施」が社会運動の目標になったこともある。この方がより8・15の意味と意義が正確に伝わるのではないかと思う。



 今年の8・15は格別だ。憲法9条の改定が政治日程にのぼろうとしている。これがとんでもない改悪であるのはほかの記事に書いた。

 「戦争から70年経つと大きな戦争が起こる。戦争体験者がいなくなるからだ。」ある弁護士の講演で聞いた。まさにそういう時代に差し掛かっている。今の日本がそうだ。日本会議という「ウルトラ民族主義のカルト集団」と海外で報道されている団体が与党自民党をのっとってしまった。創価学会という宗教団体がそれを支えている。


 アメリカの「ホロコースト記念博物館」にあったとされている「ファシズムの初期症状」の、宗教と政治の癒着がそっくりそのまま表れている。


 戦後民主主義を、否定する一歩を踏み出すか、戦後民主主義の意義を確認し、深め充実させる方向に舵を切るか。この分岐点にきていると思う。


 僕は戦後生まれだが、祖父母、父母から戦争体験をさんざん聞いて育った。戦争の実感を持っている。「九条改憲」を声高に言うのは、そういう実感のない人が多いように思う。


 そそういう、実感のない人たちこそ「平和ボケ」であり、戦争をリアルに捉えられない「お花畑」であると思うのだ。今年も戦争の記憶・追体験を心にしっかりと留めおきたいと思う。




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