「角川・短歌」誌上で「前衛短歌についての共同研究」の連載が始まった。一方で、佐藤佐太郎にプロ歌人の注目が集まっている。(< カテゴリー「運河の会と星座の会」 >の新聞記事についての記載を参照。)佐藤佐太郎と土屋文明の共同研究を始めた結社もある。
つまり、戦後短歌全体を再検証しようとするものだと思うのだけれど、高度経済成長世代の僕としても思うところはある。3回にわたって述べてみたい。
前衛短歌の歌人たちに共通するのは戦争体験があることである。近藤芳美・宮柊二なども同じであるが、前衛短歌の特徴は「祖国や国家」を無条件で支持しない、まるで戦争世代と自分たちはちがうのだと殊更強調するかのようでさえある。実作をいくつか提示しよう。
・突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼・・・塚本邦雄
・俘虜の日の歩幅たもちし彼ならむ青麦踏むをしづかにはやく・・・寺山修司
ともに戦後の歌である。「かつてかく撃ちぬかれたる」は従軍した兵士の悲惨、「俘虜の日」とはシベリア抑留であろうか。
・黄牛(あめうし)狂う荘厳ミサの真っ最中。(八月十五日正午、日本。)・・・岡井隆
・徴兵とふ一語ひびくに敏き者敏からぬ者ラジオを聞けり・・・葛原妙子
岡井の一首は1945年の玉音放送である。「荘厳ミサ」を「ベートーベンの荘厳ミサ曲」と小池光は述べるが、玉音放送を慎ましく聞く「臣民」のさまを形容しているとも考えられる。
葛原の一首は戦中の回顧とも、朝鮮戦争のときに蘇った過去の幻影とも読める。制作年代は1950年から1957年の間。まさに朝鮮戦争の最中にあたる。
この二首がいくつもの読みを可能にするのは、「荘厳ミサ」「ラジオを聞けり」が特定され得ないという意味での象徴性・抽象性を持っているからである。
「斎藤茂吉と塚本邦雄(3)」の記事でも述べたが、戦中に塚本邦雄が呉の海軍工廠に徴用されていた時に広島の町が原爆でもえあがるのを目撃したのではないかということが明らかになりつつある。原爆の爆発や街の炎上のすさまじさは、黒澤明の映画「八月の狂詩曲」で作品化されているので50代以上の人は容易に実感できると思う。
1945年8月15日に「国家観」が激変した日本人は少なくなかった。登呂遺跡の第一次発掘に従事した考古学者の一人もその旨を、数年前の朝日新聞の文化欄で述べていた。
敗戦という事実は、歌壇にとっても大きな衝撃だったに違いない。