日本近代文学館 「夏の文学教室」於)有楽町よみうりホール
日本近代文学館の「夏の文学教室」は、毎年開かれ、今年で51回になる。日程は6日間で、講演は17コマ、講師は18人にのぼる。
僕はそのなかで15人14講座を受講した。日本近代文学館が主催、読売新聞社、小学館の後援、協力なので期待して出かけた。
内容は様々だった。雑談を一時間続ける講師もいたし、真剣に文学論を話す講師もいた。また、個人的趣味や感想を述べるにとどまった講師もいた。
印象的だった、7人、7講座の内容を紹介しよう。
1、荒川洋治(山之口獏の世界)
講師が山之口獏の作品を紹介しながら、作品の背景や特徴が述べられた。山之口は生活に困窮しながら、創作を続けた。作品に難解語はない。それでいて表現されている世界はおそろしく深い。一篇の作品を画くのに300枚の原稿用紙を使った。また彼には「重石の言葉」があった。「宇宙」である。「重石の言葉」とは、作者の文学的資質に関連するもので、山之口の世界観、人生観に関わるものなのだろう。
2、佐伯一麦(私小説の時間)
ひとり前の講師は非常に饒舌だった。ハッキリ言って、与太話をしていた。その講師へのあてつけではないだろうが、「文士はトークが上手くてはいかん」という開高健の言葉が冒頭に述べられた。私小説は「自分自身が生きるという意味を持つだけにし、自分で自分を認識するものである」と述べられた。作者自身の生活の中で、文学の普遍的素材を発見するという事だろうと僕は解釈した。講師曰く「そのためには日常がビジネスライクではいけない」。私小説と日記との違いがこの辺りにあるのだろう。
3、池内紀(宇野千代の生き方と書き方)
宇野千代は「人形師」の聞き書きを残しているが、これはルポルタージュではなく、一篇の小説となっている。これはのちの「おはん」の原形となっている。宇野千代は自分を客観的に見て、生きることを楽しんだ人だ。文壇がこぞって戦意高揚のプロパガンダを書いている時にそれに迎合せず、それとは無縁のところで、自分のスタイルを作っていった。生きることと書く事が結びつき、自分に必要なものを直観的に選べるひとだった。
4、森まゆみ(子規と漱石の青春時代)
正岡子規は俳句、短歌、野球、政治論議、グルメなど多趣味な人間であった。友に恵まれ、充実した青春時代を送った。体は小柄だが、血の気が多く、好奇心のかたまりだった。
ここに旺盛な創作活動の基礎にある、と僕は受け取った。
5、永田和宏(医師として歌人を生きた斎藤茂吉)
斎藤茂吉は「歌人として生きた医師」と言えるかもしれない。それだけ多方面から見られる人物だ。そういう人間でなければ、作品は面白くない。茂吉の作品には、医師ならではの視点が活きている物が多い。作品は連想力を広げるものが多く、自分を相対化して見れる人だった。研究者として挫折もしているが、やはり近代短歌の巨人だろう。
6、佐野真一(開高健の「人とこの世界」を詠む)
ノンフィクション文学は、どれだけ素晴らしい人々をみつけられるかにかかっている。そして人間を掘り下げることだ。その点「人とこの世界」「夏の闇」は必読だろう。
全体を通して「文学は人間をえがくこと」「さまざまなものに興味をもつことの重要性」を感じた。