75年目の「広島原爆忌」に思う。
1945年8月6日。アメリカは広島に原子爆弾を投下した。直後の数日間に10数万、その後も含めれば数十万の市民が犠牲となった。無差別の大量虐殺である。
広島では「原水爆禁止世界大会」が長崎と隔年で開催される。僕も三度ばかりこれに参加した。その時の衝撃は忘れられない。現場樹資料館にはいって、展示を見て回った。吉永小百合の解説の録音音声を聞きながら丁寧に一つ一つ見ていった。そのあまりの悲惨さ、残酷さに、立ちすくんでしまって、資料館の出口から出られなくなったのを記憶している。
さらに広島を去る、前の晩に、宿舎ちかくの居酒屋にはいって酒を呑みながら女将と話をした。原爆の被害者だった。被爆直後の原爆ドームの周りには、被害者が着の身着のままでたむろしていたこと、生活が文字通り死線をさまようようなものだったこと、被爆者が偏見の目で見られていたということ。酒を呑みながら、話を聞いて痛飲した。
おそらく一生忘れられない体験となるだろう。それは今から20年ほど前。当時、核兵器を巡っては、NPT再検討会議で核保有国に「核兵器廃絶の明確な約束を履行」するように署名運動が展開されていた。だが正直言って核兵器の禁止の道のりはまだまだ遠いと感じていた。
だが今は違う。核兵器禁止条約が締結され、効力を発する、50カ国の批准まで、あと10カ国まで迫った。核保有国と唯一の戦争被爆国の日本政府は批准どころか、条約に署名さえしていない。これをもって条約の有効性を疑問視する声があるが、僕はそうは思わない。核兵器の保存、運搬、使用のできない地域が増えていけば、核兵器が使用できにくくなる。
禁止条約の批准国が50カ国に達して効力をもてば、署名、批准する国は益々増えるだろう。核兵器禁止の日が一日もはやくくるのを待望している。
今、被爆者国際署名が全世界で集められている。僕も署名した。この署名は全国で1000万を超える数が集まっている。これがさらに集まることで、核兵器禁止の動きが大きくなるに違いない。