還暦を迎えた。数えで60歳の春分の日で古来の還暦だ。
2019年11月の日本ペンクラブの「ペンの日」の懇親会で、吉岡忍会長が挨拶したように、歴史の転換点に立っていると強く感じる。
戦後民主主義では当たり前だった、日本国憲法の諸原則が危うい。表現の自由が危うい。
こんな時代が来るとは思わなかった、とすでに他の投稿で書いた。
2014年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定。2015年の安保法制の強行採決。その後の共謀罪の制定、日米貿易協定の合意。森友問題、加計問題、桜を見る会をめぐる行政の私物化。横浜のカジノ誘致。官僚の忖度。司法さえ内閣のコントロール下にあるかと感じるほどの三権分立の危うさ。
数えればきりがない。従来なら内閣がいくつも倒れるほどの事件の連続だ。
「青空」と言う歌がある。「ブラウン管の向こう側、かっこつけた騎兵隊がインディアンをうちたおした。・・・生まれたところや皮膚や目の色で、いったいこの僕の何が分かるというのだろう。・・・歴史が僕を問い詰める・・・まぶしい青空のしたで。」という歌詞だ。
「歴史が僕を問い詰める」この言葉が僕の心に深く刺さっている。「2014年から、あと30年ほど。後の夜の人間から、あの時代に日本に住んでいた人たちはいったい何をしていたのがろうか」と言われるだろう。昭和初期の満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争の前のように。
・のちの世に種まくように生きたしと母にあてたる手紙書きたり
加藤周一の「戦後世代の戦争責任」、家永三郎の「戦争責任」の叙述の内容が、たびたび心をよぎる。
このブログに書評、内容の紹介がある。是非多くの人に読んで頂きたい。