・しろがねも黄金も欲しとおもふなよ胸のとどろきを今しづめつつ・
「ともしび」所収。1926年(大正15年・昭和元年)作。
先ずは読みから。「しろがね=銀」「黄金=金(古くは「くがね」と読まれたが、茂吉は「こがね」とルビをふっている。万葉集の言葉を引きうつしにせず、同時代の読みを重視したのだろう。)
言うまでもなく、万葉集の山上憶良の本歌取りである。「ともしび」は、病院・自宅の全焼、養父の死、金策など、生活上の困難をかかえたもとで作歌された作品群がおさめられているが、その深刻な状況下でのものとしては異色の作品である。
「作歌四十年」「ともしび・後記」にも茂吉の自註はない。佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」、塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」にも取り上げられていない。
代表作とはとても言えない。だが僕は苦しい生活の中の、茂吉の余裕のようなものを感じる。あの状況下で本歌取りができるとは。「茶目っ気」と言ったら茂吉は怒るだろうか。
「欲しとおもふなよ」という半ば投げやりな口語調の上の句と、「胸のとどろきを今しづめつつ」というゆったりとした文語調の下の句のアンバランスなところが、かえって面白い。深刻な問題を詠むのに意図的にアンバランスにしたのだろうか。そうすると逆説的な言い方になるが、「アンバランスがほどよいバランスを保っている」ことになる。それともユーモアか。自嘲気味なのか。
茂吉には変わった気質があったようで、樹海を巡ったときなど次のような会話が交わされたと聞いたことがある。
「先生。この樹海は歌のよい題材になりますね。」
「いや、樹海は歌の素材とならんよ。」
しかしほどなく、茂吉はチャッカリ樹海を素材にした作品を発表したという。
冒頭の作品を読むと、何故かこの逸話を思い出す。金策に苦心した時代であるから、「しろがねも黄金も」欲しかったに違いないのに、とも思う。
古典和歌の本歌取りの約束事を、たしか藤原定家が定めていたと思う。きちんとそれを踏まえているのが、こころにくい。本歌取りの条件は次の三つ。
1・本歌より相当の年月が経っていること。(30年だったか60年だったか)
2・本歌は誰でも知っているものであること。
3・本歌と切り口が違うこと。
本歌取りの出来としてはあまりよくないが、そんなこもごもが脳裏をかすめる。
ちなみに憶良の本歌は次のもの。
・しろがねも黄金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも・