・ひとところ谷あかるきにそそりたつ巌のやまをけふ見つるかも
・山がはの音えをしきけば底(そこひ)より鳴りくるごとし山がはのおと
・山がはに倒れたりける太樹々(ふときぎ)が浪をかぶるを見つつゆきけり
・海に入る石狩川のみなかみはかかるはざまをながれたるはや
・いつしかに谿(たに)みづほそくないゆけど木の下のやみにしぶきあがれり
・宗人がさびしみしごと山のうへより音の聞こゆる瀧見つつをり
・せばまれる谷の空はれて虚しきにひびきを挙げて浪は疾(はや)しも
・山峡(やまかひ)はせまくなりつつむかふより盛りあがりくる浪は白しも
・山がはのみづの荒波みるときはなかに生くらむ魚し思ほゆ
(「石泉」所収)
「層雲峡」と表題のついた22首の連作。層雲峡は、ダイナミックな景観で知られる。茂吉は、守谷富太郎、高橋四郎兵衛、石本米蔵と同行して昭和6年に訪れている。
岩波文庫「斎藤茂吉歌集」には2首しか収録されていないが、全集で22首を一気に読むと圧倒される。それだけ叙景歌としての完成度が高いのだろう。
「石泉」の中でひときわ目を引く大作だ。
そのせいだろう、佐藤佐太郎「茂吉秀歌」にも、塚本邦雄「茂吉秀歌・つゆじも~石泉」にも取り上げられている。だが、取り上げる作品が異なっている。引用した冒頭の8首が、塚本邦雄の取り上げた作品群、9首目が佐藤佐太郎が取り上げた作品。鑑賞文を紹介しよう。
「『山がは』は石狩川の上流で、大雪山に源を発して、大函、小函などという断崖のきりたった層雲峡を流れている。このあらあらしく波をあげて流れている山河に棲む魚はどんなにしているだろう。急流にさからいあるいは流されて、しばらくも安らかでないかもしれない。しかし環境に順応する彼らは案外楽しく棲息しているかもしれない。そういうことを思って急淵に向かっているところである。」
(佐藤佐太郎「茂吉秀歌」)
「右側は石狩川を隔てて数知れぬ峯の群と滝の数。『鬼が楯』『遊仙台』『逆鉾峰』『天柱峰』『集仙峰』、また滝は『流星の滝』『銀河の滝』『雲井の滝』『錦糸の滝』。・・・・奇観に圧倒されるやうな作者ではないが、『けふ見つるかも』には、私的な感動の念押しを感じ、『山がは』のルフランも耳障りのよさが却って歌を軽くしている。」
(塚本邦雄「茂吉秀歌つゆじも~石泉」)
佐藤佐太郎は、「山中の命」に注目して批評している。それに対し、塚本邦雄は「叙景詩」として、解析している。言葉を変えれば、「佐太郎は鑑賞文を『写生論』と位置付けている」。塚本邦雄は「詩としての解析をしている」と言えよう。両者の視点の違いが現れていて面白い。
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