天童大人プロデュース「詩人の聲」 2016年3月
1、禿慶子 3月3日 キャシュキャシュダール
禿は36回目の公演。高齢だが歳を感じさせないほど聲に力がある。若いのだ。リズムも心地よい。
作品は、人間への愛おしみ、子どもや人との別れ、苦悩する人間、愛した人、人間の生死。人間を表現している。花を素材とした作品もあったが、人間の命を暗示している。
高齢者にありがち愚痴がない。ユーモアもあり、会場から笑い声が聞こえた。直接話をしても聲も表情も若々しい。好奇心も旺盛だ。
精神的若さ、好奇心。これが詩人には不可欠なのだろう。
2、天童大人 3月7日 東京平和教会
天童は63回目の公演。毎月聲を撃たないと元へ戻ってしまうという。このプロジェクトに参加している大島龍、照井良平は地方で聲の公演をしている。詩歌とは言葉の音楽性の芸術だとつくづく思う。
「日本篇」「バビロン詩篇」「エジプト詩篇」「アフリカ詩篇」を読んだが、作品にはアニミズムの要素がある。人間、文明、言葉、への祈りが感じられる。
しかし祈りだけではない。中東の戦争、東日本大震災、人間の歴史といった、社会への鋭い洞察もある。
何より聲の出し方の勉強になる。
3、建畠哲 3月9日 ギャルリー東京ユニマテ
建畠は8回目の公演。埼玉美術館の館長だ。呟くように読む。時々聞き取れない部分がある。観客の何人かは建畠の詩集を見ながら聞いていた。
作品は理知的なもので立原道造を彷彿とさせる。都会人の孤独を表現している。
だが雰囲気が先行しているように感じた。聲が籠ってしまうがポーズを付け過ぎている。詩集を読んだことのある人間には聞き取れるが、初めて耳で聞いたものには聞き取れない。
ここが毎月、聲を撃っている天童との違いだ。
4、友理 3月12日 キャッシュキャシュダール
友理は39回目の公演。1000回記念の公演で「飯塚弁を駆使した詩をマシンガンのように読んだ」と新聞に書かれた。その頃は方言の珍しさ、言葉遣いの面白さ、おどろおどろしさがありそういうことに寄かかった作品が多かった。
しかし最近は聲と作品に凄味がでてきたようだ。作品に厚みが出て来た。
作品によってリズムを変えて読み、そのリズムが心地よい。進境著しい。先が楽しみだ。