医学の進歩があればこそ4度も命を救われた。ひと昔前であればとうに落命していただろう。しかし原発事故の報道をきいていると「科学技術の利用は結局は人類の叡知に任されている」と思うことしばしばである。
ところで今回の大震災だが、原子力災害を伴うところが事態をより深刻にしている。放射性物質の拡散量は「チェルノブイリの8分の1」と発表されたが、前例のない事故であり、高濃度汚染水の移送だけでも年内いっぱいかかるというし、その結果出る放射性廃棄物の処理の方法もなく貯蔵するだけだという。新聞には天気予報よろしく「各地の放射線量」が報じられる。
こうなると放射能と「どうつきあうか」が問題となってくる。シーベルト、ベクレルといった聞きなれない単位も使って、日常生活を営まねばならぬだろう。少なくとも福島第一原発が更地になって20キロ圏内に再び人が住めるようになるまでは。
シーベルトは人体が受ける放射線量で、自然界から1年間に2.4ミリシーベルトの放射線を受けるのだという。短時間に250ミリシーベルトの放射線を受けると人体に障害を起こし、1シーベルトで眩暈などの自覚症状があり、2シーベルトで生命に危険があり、7シーベルトで全員が死亡。
一方ベクレルはある物質が発する放射線量で、食品と魚介類の暫定基準は1キログラムあたり500ベクレル未満、乳児の基準は100ベクレル。
暫定というのは「とりあえずの」という意味だが、これがよくわからない。人体実験が出来る訳ではないので、広島・長崎の被爆、チェルノブイリの事故の事例などから割り出したものだとも言われる。
福島第一原発がこのような状態になったからは、これらの数値を確認しながら生きていくしかないだろう。
それには例えば、生鮮食品にベクレル表示を義務づける、街頭にシーベルト表示の電光掲示板をつけるなどの対処が必要だろう。(渋谷ハチ公広場に「オキシダント濃度」の掲示板があるように)「花粉情報」のように「放射線情報」を出すのも考えねばならないかも知れない。
僕が小学生のころ初めて「光化学スモッグ」が発生した。最初は首都圏の学校の校庭で生徒がバタバタ倒れた。原因不明で日本中大騒ぎになったが、やがて原因がはっきりした。自動車の排気ガスなどに含まれる窒素酸化物が太陽光線で化学変化を起こして人間が呼吸困難に陥るのだ。オキシダントはその光化学スモッグの原因物質で、その濃度を測定し、「光化学スモッグ注意報・警報」が気象庁より出された。
警報の場合体育と屋外の部活は中止。注意報の場合、体育は体育館での軽体操だった。校庭に赤=警報、黄=注意報の旗が掲げられた。その後、自動車の排ガス規制などで、このごろはとんと聞かなくなった。
今でも「花粉情報」が出る。同様に「放射線情報」が出る日もあるかも知れない。
要は何が安全で何が危険かはっきりさせることではなかろうか。5月9日に中部電力の浜岡原発の運転停止が発表された。前の週の首相の「停止要請」を受けたものだが、さらにその前日に理化学研究所の所長が「原子力を含め、人間が作ったものに絶対安全というものはあり得ない。科学のありかたが問われている。今回の福島原発の事故を、科学者は< 想定外 >というべきではない。」という発言がテレビ放送されたのも大きかったと思う。
政府とも電力会社とも利害関係のない科学者だからこそ言えたことだろう。日本の原子力政策、エネルギー政策のひとつの節目になるだろう。
その所長はこうも言った。「明治時代の科学者で随筆家でもある寺田寅彦が言ったように、< 科学を過信せず、正しく畏れること >が大切だ。」