・君かへす朝の敷道さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ・
「桐の花」所収。
白秋のこの恋は当時の民法の「姦通罪」にあたり、白秋は一時、詩人・歌人としての名声を一切失ったことは有名。そういう背景をぬきにしても、この歌は近代短歌のなかでずばぬけて優れた相聞だと僕は思う。理由はただ一つ。
「無条件に美しい」からだ。「さくさく」というオノマトペが、林檎を嚙む音と、雪を踏む音の両方に係わってくるし、早朝の雪の白さが無垢な愛情を象徴している。
斎藤茂吉も異性を詠っているが、なにかこうジトジトした感じがある。「赤鉛筆」の歌をめぐって、白秋と茂吉の比較をした記事を書いたが、「美しく相聞を詠む」のに茂吉はあまりにも感情が濃厚すぎたとでもいうべきだろうか。
現代歌人では岡野弘彦の、
・うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし・
が印象深い。これも無条件に美しい。
ちなみに佐藤佐太郎の作品のモチーフからは、相聞はなくなっている。歌集未収録のものがいくつかあり、放蕩生活を送った日々もあったと、今西幹一・長沢一作著「佐藤佐太郎」(桜楓社)にあるが、佐太郎はこれをいわば「封印」したようである。
表現の中心に何を据え、何を削るかも短歌作家の姿勢を判断する指標のひとつである。こう考えながら様々な歌人の作品を読んでいくのも、また楽しである。