「茂吉再生」という展示会の企画は、神奈川近代文学館のものであった。2012年4月28日から6月10日までであったから、既に終わったことになる。
展示会が終わったにも関わらず、記事にしたのは或るブログに気になる記事があったからだ。
そのブログの記事の内容にここでは深入りをしない。だが、その記事の内容の中心は、「斎藤茂吉の何が、いつ、どこで再生するのか」という問題だった。
展示は三部構成。第一部「歌との出会い」、第二部「生を詠う」、そして第三部「茂吉再生」。第一部と第二部とは戦前、第三部が戦中、戦後にあたる。
問題のブログの記事では、「戦争を煽った斎藤茂吉が再生するという位置づけは不適当」というものであった。その他のブログでも、茂吉の未刊の歌集「萬軍」について、「恐るべき歌集」とされていた。
しかし戦争に協力し、戦意高揚の歌を詠んだのは何も斎藤茂吉だけではない。当時の「専門歌人」、つまりプロの歌人は全て戦争に協力したのだ。それも例外なく戦意を煽ったのである。だからこれは、斎藤茂吉個人だけの問題ではなく、歌壇全体の問題なのだ。
ところが戦争が「敗戦」という形で終わった時から、「元々はこの戦争は負けると思っていた」「やはり戦争はすべきではなかった」と一斉に歌人達が言い始めたのである。このことは以前の記事にも書いたが、斎藤茂吉一人に戦争に協力した責任を負わせた観がないでもない。
僕は斎藤茂吉を必要以上に庇う理由はないと考える。だが茂吉が戦争に協力したことが、歌壇全体が打ち揃って戦争に協力したことを「帳消し」にするものではないとも思う。
だから「茂吉再生」の「再生」の意味は、敗戦に打ちひしがれた心境から、力強く蘇ったことを指すものであると、僕は理解している。それには斎藤茂吉が生涯に渡って乗り越えてきた困難も当然のことオーバーラップされるだろう。「意に沿わない結婚」「妻との不仲」「青山脳病院の全焼」「医学研究者としての挫折」などがそれには含まれるだろう。
よって「再生」の意味は「様々な困難を乗り越えて来た」という意味であり、戦争に協力したことの責任を「免罪」するものではない。
問題のブログの記事の内容からすれば、先ずもって、三枝昂之著「昭和短歌の精神史」に批判の矢を向けるべきであろう。
我々が歴史から学ぶとは、そういうことであって、茂吉個人の責任だけを追及することではあるまい。斎藤茂吉の戦時中の言動は「負の遺産」として、反面教師にすればよい。逆に歌壇全体としての総括が未だに終わっていないことのほうが問題だとおもうのだが、いかがだろうか。
今年は茂吉生誕130年。そして来年は茂吉没後60年。事は来年にも関わるものでもあるのだ。