岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座かまくら歌会」2017年3月

2017年03月04日 12時47分48秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
星座かまくら歌会。毎月第一金曜日に開催される。「星座」の選者を託されてからも、しばらくは参加できなかった。参加する歌会が多かったからだ。そこを調整しながら参加し始めて3年になろうか。作品を尾崎左永子主筆に直接批評してもらえるのが魅力だ。そして何より作品の質が高い。批評する場合「こういう歌があってもいい」ということがある。「出来は良くないが、お愛嬌だね」という意味に近い。この言葉がほとんど出ない。


 作品は一首一首ずつ批評される。そして選者を含めて数人が発言したのち尾崎主筆が好評する。この講評が次第にシビアになってきた。「皆さん、もう一人前なのだから、自覚をもってください。」これが理由だ。


 この日に言われたこと。「身辺雑詠が多い」「一首に気迫を込めてほしい」「感想文にならないように」「抒情は情感を表現すること。理性にとらわれると説明になる。(この場合の理性は理屈と言う意味)」「聞いたことのある言葉でなく自分の言葉で表現せよ」「本気で生きて、本気で歌を詠め、そうでなければ趣味になる。」「助詞一つにも力を抜くな」「結句が独立しすぎ」これらは上級者への助言を多く含む。だから手ごたえがあって面白い。冒険作、実験作をもってこいとも言われる。


 多くを期待されるのが嬉しい。作品が褒められなくても、言葉が印象に残る。これが財産となるのだ。15年前、「運河かながわサロン」で次のような発言があった。


 「い段の音が連続すると耳障りでしょう。わからないひとは仕方がないけれど。」時々尾崎主筆の発言に納得しない人がいるのだ。「それも仕方がない」というスタンスだが、僕はそういう経験がほとんどない。言われることが新しい発見に思える。


 短歌を始めたばかりの頃、どこの結社に入るか迷った。「新アララギ」「未来」「コスモス」「まひる野」。さまざま考えたが「運河」を選んだ。「NHK歌壇」の添削コーナーで、添削のまえに画像を止め、どこをどう添削するか予想をたてる。選者の尾崎左永子が直すところは、僕が予想した箇所とほぼ一致尾した。どう直すかはわからない。だが僕が違和感を持った箇所の八割以上は選者尾崎が手を入れていた。

 尾崎左永子の兄弟子の長澤一作。尾崎左永子が信頼する盟友の一人。短歌から遠ざかっていた尾崎が歌壇に復帰するときに、作品の添削を頼んだそうだ。だがそのままでは長澤流になってしまう。歌集に収録するときは自分自身の言葉に直したそうだ。こういう話は岡井隆の著書にも書いてあった。近藤芳美の添削を全部もとに戻したというのだ。


 表現者はこういう気概でありたいと思う。




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