岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

星座α・第1回 定例歌会

2011年02月03日 23時59分59秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
「星座α・第一回歌会」:於・鎌倉浄妙寺境内石窯ガーデンテラス2F


1・題材:

「病床の思い」「挽歌」「午後の陽に光るマスト」「降りしきるケヤキの木と果たされなかった友の約束」「マラソンをする子ら」「刻々に形を変える雲と冬の日差し」「水平線に横たわる北斗七星(低緯度地方の機上から)」「万華鏡の中をさまようような聖夜の街」「浄妙寺境内の猫」「新年の歌」「言葉をかわさぬ父と子」「夢の中のすれ違った人」「消去出来ないメール」「黒雲を照らす日輪」「車内より見る逆光の富士」「サッカーの応援」「林檎の光に蘇ってきた父母の声」・・・素材の豊富さに驚いた。ものの見方が参加者の数だけあるような感覚をもった。


2・歌会の形式:

 参加者の多さと時間の関係で、一首につき参加者からの批評・選者団(4人のうちのひとり)からの批評・尾崎主宰の批評という順で行われた。僕はその選者団のひとりとして、司会者より数回に一回の発言が求められたが、全ての詠草の下調べをほぼ終えて参加したので、戸惑うことはなかった。


3・論点:

「古めかしくないか」「技巧が先んじてしまってはいないか」「状況はいいところを捉えているが、言葉により過ぎてはいないか」「わかるようでわからないのは、作者の場が明確でなく、作者自身だけがわかっているからではないか」「感覚はわかるがもっと言葉を磨いた方がいい」「素直でいい」「中心が定まっていない」「新年を祝う歌は、すらっとしたものになり易く個性を出しにくい」「具体をふんで具象的なものを詠うのが写実の第一歩」「軽い歌になってしまった。しゃれ過ぎでは」「アンニュイを表現しているが、こういう歌が並ぶと読者がアンニュイになる」「丁寧な表現だが丁寧すぎる」「一首の中に抑揚がない」「斎藤茂吉の作品のように一気に詠みくだすのは現代短歌でも参考になる」など。短時間だったが非常に密度の濃い歌会だった。


4・短歌の基礎知識:

「上手い歌でなく佳い歌を詠むという目標」「自分中心になり過ぎると読者に伝わらない作品になる、読者を意識し過ぎると大衆迎合の作品になる」「①頭で作らない、②感じて作る、③言葉に対する神経をとがらす、④そういう状況下で心情と言葉が合致したとき歌ができる、⑤そういう風に降ってくる(ように感じられる)言葉を捉まえる」「意味をもった感情は瞬間でありながら永遠を思わせる:それが歌の生まれる時である」「思いついたことを、5・7・5・7・7の定型にあてはめるだけでは詩にならない」など。


5・僕の収穫:

 書ききれない。作品の完成度を高めるためには、まだまだ修練が足りないと感じた。そのための確かなきっかけはつかめた気がする。例えば、佐太郎の歌論「短歌指導」の重要性を知ったこと。さっそく古書店で買い込んだ。

 岩波文庫「斎藤茂吉歌集」を読み込んでいる最中なので、僕自身の作品がやや古風になりつつある。「茂吉に学ぶ」「佐太郎に学ぶ」とは文体や語句の真似をすることではない。そこをしっかりと心に刻んだ。

 歌会とは直接関係がないが、「石窯ガーデン」のオープンテラスを詠んだ作品が「かながわ文化センター・短歌講座」で出され、僕の住んでいる地域の「タウンニュース」に載り、全戸配布された。2009年の新春のことだったが、たまたま一部残っていたものを直接「石窯ガーデン」のスタッフに渡し喜んで頂いたのは僥倖だった。


・集まりて歌を語らふ楽しさは遠くさしくる光のごとし・(斎藤茂吉)

 歌会終了後、石窯ガーデンで昼食。話題は伊藤左千夫・斎藤茂吉の話からこれからの短歌の方向性にまで及んだ。

 それにしても斎藤茂吉や佐藤佐太郎の業績の大きさには、しばしば驚かされる。これに「新」を積むのは並大抵のことでは出来ないだろう。とあらためて思った。
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248-0003

神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31

  石窯ガーデンテラス2F

  「星座α 事務局」




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