・よひ闇のはかなかりける遠くより雷とどろきて海に降る雨・
「石泉」所収。1931年(昭和6年)作。岩波文庫「斎藤茂吉歌集」P154。
一読して意味の通る作品。何の衒いも飾った言い回しもない。それでいて情景が浮かぶ。情景とは「情=こころ」の「景=けしき」であり、見えるものを詠んでいながら、そのモノに心情を重ねること。ただ事実を5・7・5・7・7にあてはめるだけでは詩にも文学にもならない。そんなお手本のような作品である。「お手本」とは見習うべきものという意味で、斎藤茂吉といえど時代の制約からは逃れられない。言葉遣いが古風なのは当たり前。問題はこの作品から何をくみ取るかである。
先ず自註から。
「宵闇になって、心ぼそくはかない感じがそのあたりを領して居る。すると雷が遠くから鳴り近づいて来て強い雨が降って来たといふので、此処にも< 雷 >が出て来て、うるさいやうであるが、この歌のみを独立せしめるとうるさくはないであらう。また< 海に降る雨 >と結んだ結句が幾らか新しいやうにおもはれる。」(「作歌40年」
「(27首列挙のあと)おほむね平凡な歌であって、句の上などに奇抜な工夫などが無いやうであるが、写生の比較的真面目に出来ているものも交ざってゐるやうである。」(「石泉・後記」)
「石泉」は戦前の作品を戦後になってまとめたものだから、戦争中の言動を問われ、「短歌的抒情」に疑問が呈されていた時期だから、「石泉・後記」の方が控え目な表現になっているのだろう。
それに対し「作歌40年」は歌集にまとめる前の昭和19年7月出版(執筆の準備は昭和17年、執筆開始は昭和19年春。)だから茂吉の自註の本音は「作歌40年」の方だろう。
さて佐藤佐太郎・長沢一作・塚本邦雄の評価は以下の通り。
「< はかなかりける >からすぐ< 遠くより >と続くところ、< 遠くより >からすぐ< 雷とどろきて >とところは、実に簡潔でいい。散文にいい替えることのできない韻文の味わいである。結句の< 海に降る雨 >がまた簡潔である。」(佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」)
「(結句が< 雨 >で終わる体言止め9首を抄出したあと)さまざまに降る結句の雨、すべて作者の個と孤を際立たす雨であった。・・・春は羊歯の雨、墓に降る雨、病床に聞く雨。夏は雷雨、湖上の雨、山上の雨、秋は落葉の雨、ふたたび季は周つて、きさらぎの雨は< ひとりして >と、敢へて孤を宣して山に入る。・・・ヴェルレーヌも溜息をつくばかりの雨の交感ではあるまいか。」(塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」)
長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」にはとりあげられていない。
佐藤佐太郎の評価は「写実派」としてのそれである。「短歌の調べ説」と「単純化・表現の限定」説に基づいている。
一方塚本のいうヴェルレーヌはフランス象徴派の詩人であり、上田敏の訳で広く知られる。塚本は「雨」を孤独感の象徴と見ているのである。
茂吉の作品は「写実派」の立場から見ても評価が高く、象徴性も同じく高いということになる。「象徴主義=サンボリズム」の立場からの塚本の批評からもそれがわかる。
後に「象徴的写実歌」(岡井隆)と呼ばれた佐太郎の目にとまったのも無理はない。情景に主観を託す。「客観・主観一体」である。この茂吉の作風を独自のものとしていったのが、佐藤佐太郎である。茂吉・佐太郎にあっては「写実派」と「象徴派」の違いは紙一重である。