斎藤茂吉、1935年(昭和10年)の作。「晩秋より歳晩」の副題がついている。すべて「暁紅」所収。
・つゆじものしとしととして枯れゆける庭の羊歯(しだ)むら見て立ちにけり・
・家蜹(いへだに)に苦しめられしこと思(も)えば家蜹とわれは戦いをしぬ・
・霜ぐもる朝々子等と飯(いひ)を食ふひとり児(ご)だにもなき人思(も)ひて・
「歳晩」とは「年末」のこと。一年のしめくくりである。茂吉の自註、佐藤佐太郎、長沢一作、塚本邦雄ともに採りあげられていない。日常の目立たない作品だからだろう。
題材も平凡と言えば平凡。おそらく手帳に書き留めたか、雑誌・新聞の求めに応じた作品だろう。挨拶歌とも言える。だがそういうもののなかにも茂吉らしさが表れているだろう。
一首目。「つゆじも」とは茂吉の歌集にもある名だが、「露と霜」。夜露が霜になるもの。「としつき」「歳月」という意味もある。俳句では秋の季語だが、この場合は文字どおりの「露と霜」と考えていいだろう。歳末の季節感がよく表されている言葉だ。「しとしととして」は口語的発想。「赤光」の時代からの茂吉の作品に見られる傾向である。全体は文語脈だが、そのなかに口語が自然に溶け込んでいる。品詞でいうと「副詞+助詞+補助動詞」でまとめて、副詞的役割をしている。佐太郎はこれを虚語と呼んだが、「5 W 1H」のうちの「1H」、すなわち、どのようにを表し、ものの様態が確実に読者に伝えられる。
二首目。茂吉の肌の敏感さ。これは母親から引き継いだ体質らしいが、結句にユーモアがある。真面目な遊び心だ。1935年(昭和10年)は軍部の「統制派」のリーダー、永田軍務局長が惨殺され、2・26事件の引き金になった年である。そういう年の終わりに、こういう歌があってもいい。きなきさく、雲行きがあやしい日中戦争前夜である。
三首目。子らと飯(いひ)を食べている。世の中には一人も子のいない家庭があるのだと思いながら。息子が徴兵されている家庭を思っていると言えば、深読みに過ぎると思うが、子のいない家庭・夫婦は寂しいものだ。特に年末は。そういううら悲しさが出ている。
平凡な歌で、切実さとか切迫感はないが、そういう凡作の中でも茂吉らしさがでている。
なお「飲食(おんじき)の歌」は岡井隆著「茂吉の短歌」に詳しく、「茂吉と笑い」については、岡井隆ほか著「斎藤茂吉-その迷宮に遊ぶ」で永田和宏がニ首目をとりあげている。永田和宏は時代背景には触れていない。
また「茂吉の短歌を読む」には「家族のうた」の章もある。岡井は「人間茂吉を書きたい」と言っているが、その方向性の片鱗がわかる。